2009年3月24日火曜日

台湾から南米へ

久しぶりに中国へ行ってきた。
といっても 電車で数駅行ったところだ。
地下鉄の階段を登ると 地上は中国。
マンハッタンには大きなチャイナタウンがあるが
このエルムハーストという場所は
ミニ・チャイナタウンといったところ。

歩いているのは殆どが中国系の人々。
大きな中華系スーパーもあって
ちょこっと日本の食品もあるので
時々買い物に出る。

野菜や肉も安いが その周辺のレストランも
安くて美味しい店が多い。
ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、中国、
そして 台湾料理店。

私たち家族の気に入っている台湾料理やで
昨日はランチをとった。
仙一は この店ではこの料理しか食べない。
       →筍と豚肉の細切り炒め
この日は臨時収入(?)があったので ふだんは躊躇してしまう
メニューにも挑戦してみた。
、、、、が、画像は上のものしか撮れなかった。
仙一がこの巨大な皿のものを ほぼ一皿一人で食べてしまったのだ。
写真どころじゃない、自分の分を死守するのに精一杯だった、、、。
(情けない母である。)

さて 明日は TAXの申請をしに「南米」に旅に出る。
この「南米」もまた 電車で数駅行ったところで
ここもまた 南米人しかいない。
スペイン語が飛び交い、ギャハハ、、という
笑い声が空を飛んでいるエリアだ。
街角には 謎の売り子が謎の食べ物を売っている。
今回 挑戦できるかな、
なにせ 英語が通じないのである。
それより 明日は時間が足りないかな。
写真を撮るのも ちょっと怖い感じがするしなぁ。


さて これから 仙一を迎えに「ロシア」に行ってきます。
(仙一の学校は実にロシア人が多い。インド人も。)



2009年3月17日火曜日

アメリカ流

すったもんだあったけど
一応 水漏れ事件は決着がついた。
ここへ至るまでは 書いても書ききれないほどの
紆余曲折があったのだけど
あらためて ここはアメリカなんだ、と痛感させられた。

とりあえず かいつまんで記しておくと
まず 抗議のレターをCERTIFIED(配達確認付き)で
送った。この書面を書くだけでも かなりの労力が要った。
書き上げて寝たのは 深夜3時だった、、、。

そこには 今回の被害をこうむった分を請求するということと
流し台(汚くて使いたくない)の工事を翌週中には
完了するように要請し、損害額とリスト、現場の写真を
添付しておいたのだ。

期限は水曜までに 郵便で返答せよ、と付け加えておいた。
しかし やっぱり奴等(マネージメント会社)はツワモノ。
いきなり 水曜の昼に「被害状況のチェックに来る」と
電話をしてきた。
そして やってきたのはデービッドという中国人のマネージャー。
このおっさんが まー なんというか 感じが悪い。
見るからに狡猾そうな顔をしている。

結局このオヤジとそこで言い争いになって
あっちが違法なことを言い出し
(損害なんて払わない!流し台は変えるが契約の更新は
もうしない。もしくは家賃を上げる、、等の暴言)

さすがの私も切れて 「とにかくここで
ワーワー言うな!書面でよこせ!!」と
言うと 怒ったまま出て行った。
しかも その日の夕方、私が同意していないというのに
「工事のものが行くから 明日の夕方家にいろ」と
勝手なことを言い出す。

あったまにきて そんな話は聞いてない!
とにかく書面で返答せよ、さもなければ
NY市のそれなりの部署に訴える、と言うと
ガチャーンと電話を切られた。

そして しょうがないからハウジング・コート(家などのトラブル専用の法廷)に
訴えるか NY市の方に訴えるか もしくは弁護士たてるか
あらゆる方法を人に相談したりして 解決策を練り
マネージメント会社からの返答を待ったのである。

そうそう そのオヤジの来た直後、スーパーが来て
「ペンキの塗りなおしのことは言ったのか?!
その剥げている箇所を見せたか?!」と
怒鳴り込んできた。
(これは 水漏れ後のペンキやが来たときに
直したほうが言いと忠告されていた一件である。)

私はその中国人オヤジが怒って帰っただけで腹が立つやら
悔しいやらで ペンキのことどころじゃないのに
何故かスーパーが怒っている。
「いや、そのことを話せる状況じゃなかった」というと
「なにやってんだ!このペンキのことは大事なことなんだぞ!
なんで言わなかった!ダメじゃないか!!!
俺の立場はどうなるんだ!!」と 怒鳴る。

ここで 強気でいた私もとうとう泣き出してしまった。
一体なんであっちこっちから文句言われたり
怒鳴られたりしなきゃならないんだ、
水漏れの被害を受けたのは我が家なのに、、、。

すると スーパーは はっとして
「す、すまん、泣かないでくれ、、、その、、、ここは、
アメリカなんだよ、言うこといわなきゃダメなんだよ、、、
み、水でも飲んで 、お、落ち着いて、、、」と
おろおろ なだめ始めた。

「そんなのわかってる、アメリカだってことも 十分わかってる、
でも あのオヤジもひどい、たくさん嫌なこと言われたんだよ、
だいたい、何で私が嫌な目にあうんだ、、、」と
さめざめ泣いてしまった。

そんなこんなで あっちこっちから「ひっぱたかれ」た
散々な日々だったが
結局 土曜日に郵便で損害分の小切が送られてきた。
今回の結果は 金をやる、だが満期で出て行くように。ということだった。

本来なら徹底的に裁判で訴えれば勝てるのだけど
もう、疲れた、、、、それに面倒、、、、
小切手とここを年末に出ることでいいことにした。

しかーし 今朝 またしても浴室に水漏れの初期症状を発見。
はぁぁぁぁ いますぐココを出たい、、、、、、、。

2009年3月4日水曜日

もう計算できない!CとF。

日本ではひな祭りですな。
3月に入ったというのに
この冬はなかなか終わりそうも
ないNYである。
昨日(月曜)は 悪天候のため公立学校は
全て休校になった。
とはいえ この辺はまだましだったから
「え?休み?!」って感じだった。

それにしても 日本のように
「クラス連絡網」というものが存在しないので
たまたまニュースで知ったとか
人から聞いたとかでないと
あの氷点下の吹雪の中
うっかり学校へ行くところだった。

ウチは友人が何人かが連絡してくれて
早めに知ることができたけど
ある知人が電話してきてくれて
「ウチのアパート、学校の前でしょう、
けっこうな人が学校来ちゃってるよ、、、、
みんな 門のところでうろうろしてる!」
なんて 実況中継してくれた。

明けて今日、火曜は晴天。
日差しはすっかり春だし アパートの中は暖房効きまくって
夏のようだけど 朝の気温は12度(華氏)。

日本の摂氏表示ではないので
一見 摂氏だと何度かわからない。
(計算が複雑なのだ。)

ただ 34Fで摂氏・0度にあたるので
34Fを基準に考えると とても寒いはず。
ただね、もう計算しない、、、っていうか
12度なんて NYへ来て初体験。
ということは 今までで一番寒い、となると
今までで最高に寒かった日より寒いってことで
自分の(皮膚)体験からイメージできる。

つまり 寒いというより 息できない、痛さ、ってことになる。

いいよ、いまさら 数字で理解しなくても、、、。

ちなみに 友人に言わせると
数字がマイナスにならないだけまだいいよ、、、とのこと。
うーむ そうなったらバナナで釘が打てるレベルなのだろうか、、、。