2011年7月28日木曜日

幻の赤い鳥

外を歩いていていると 目の端にすーっと赤いものがよぎる。
空を飛ぶ赤いもの、それが幻の鳥、、、、、、
、、、あ、、、、
名前が急に出てこない、なんだっけ、ほら、メジャーリーグの
球団にもある名前だ、えーっと、えーっと、
そうだ、カーディナル。

毎年 この鳥とは一年のうち一回くらいしか出会えない。
だから勝手に幻の鳥、としている。

先週、うちのアパートのエントランス付近で
そのカーディナルを目撃。
あわてて 携帯電話のカメラで取ったのだが、
何せ携帯カメラだからズームにも限界があった。

←この木の中に巣がある様子










←中央に
赤い色が
かろうじて
みえる?!











本来はこんな鳥。













そして その日の夕方、仙一をサマー・キャンプから連れ帰り、
アパートに着いたとき 今度はきれいな鳴き声が聞こえてきた。
あれ、またカーディナルじゃない?
周りを見回したけど 赤い色は無く、その代わり
オレンジ色の口ばしと長い尻尾の鳥がいて
美声を発している。
「また、新種の鳥だよ。写真とっとこ。」
















うーん 見えにくい。
移動したところをもう一枚。

















み、見えにくい。

家に帰ってから 調べたら
何と こちらはカーディナルの雌だそうだ。
オスは鮮やかな赤なのに雌はジミ。
それで どうやらこの二羽はカップルらしい。
スズメと違って美しい声で鳴くので
これからは色だけじゃなく鳴き声で近くにいることが
分かるようになりそう。

ちなみに雌はこんなんです。











可愛いぃ。

NYでは比較的よく見られる鳥なのだそう。
でも うちの周りはレンガのビルだらけ。
あまり自然があるとはいえない。
それでも彼らに会えるということは
やっぱり ラッキーなことだ。

最近は外出時にやたらとキョロキョロするようになってしまった。
明らかに挙動不審、、、、。

2011年7月20日水曜日

いざ 日本へ。

うー とうとうNYも暑くなってしまった。
それでも日本よりはましかと思うけど
じっとしていると 汗がジワジワと、、、、。

さて この夏は手術もあったことだし
一時帰国はどうかな、、、と術後の経過を見てましたが
一応ドクターも8月なら飛行機に乗ってもいいよー、と
言うので 帰ることに決まりました。

とはいえ 例年のように東京には長く居られない。
5日だけどす。
その間に米国大使館に用があり、1日は潰れる。。
仙一は友達に会って遊びたいのだけど
そのお友達たちも 夏休み、どう過ごしているんだろう。
上手く都合が合えばいいんだけど、、。

いつもと違って 自分の体のこと、震災のことが
大きく影響しているので ワーイワーイ、日本に帰れるぅ♪ という
楽しい気分になかなかなれない。
いつもなら あれして、これして、あれ食べて、飲みに行って、、、、と
やりたいことだらけなのに。

でも 会いたい人たちに「無事に」会える(かも)なので
それだけで 嬉しい。
願わくば それまでに暑さが和らいでいて欲しいなぁーーーー。

あ、コバトの皆さん、今年こそはメンバーだけで集いたいっす。
できるかな できるといいな せっかく生きて帰れることだし。


PS アメリカでも女子サッカーの話題で持ちきりだった。
  ちょうど午後2時からだったから ばっちり観戦。
  晩御飯は冷やし中華・ごまみそダレでお祝い。

2011年7月7日木曜日

時を越えて

仙一はすでに夏休み、2週目。
今年は日本の小学校での体験入学をあきらめたので
サマーキャンプに参加させている。

キャンプ、っていっても 泊りではなく
毎日早朝から夕方まで学校で過ごすこと。
夏休みには あらゆる学校やら保育施設やらが
さまざまな趣向をこらしたキャンプが開かれる。

仙一のは 朝から晩まで郊外の広い敷地の学校で
遊び放題、プールも一日二回のレッスン付き。

というわけで 私は朝から夕方まで
療養と言う名の のんびりタイムを過ごしている。

のんびりにも程があるのだけど
実際 疲れやすいし 色々な活動の制限があって
本を読むか 編み物するか、、、くらいしかできない。
この間は調子に乗って ミシンかけまくったら
かなり疲れてしまい、反省。
いまだに PCも30分で具合が悪くなる。

そんなこんなで このところ本棚にあった古い本を
読み返している。

「ルイズ 父に貰いし名は」松下竜一著

実は若い頃読んだことのある本。
NYに来て たまたまブックオフで見かけて
買って読み直したものだ。
そのまま書棚にあったものを ふと手に取ると
数年前に読んだはずなのに
読んだことがないような新鮮な気がして、
それで 再読。
(結局3回読んでいる。歳をとってボケると同じ本で
何度でも新しい感動を味わえることが発覚。)

内容は大杉栄・伊藤ノエの四女、ルイズの生涯。
大正末から戦中、戦後の時代をアナキストの娘として
生きざるを得なかった彼女の苦悩の日々。

病気療養中には ちと重いけど
またしてもズンズン読んでしまい、今朝読了。
やっぱり この辺の時代のものは興味深い。

お陰で英語がまたしても怪しくなりそう。
つぎは 英語の本を読まねば。

あ、もし この本を読みたい方がいれば送ります。
(実家にもう一冊あるから)
NYの本棚もパンパンになってきた、、、、。
ちなみにこれはハードカバー版です。

2011年7月2日土曜日

Ben &P

退院して1週間が過ぎた。
人間の体はすごい。
先週はベッドでウンウン唸っていたのに
ここ数日は近所をゆっくり歩くくらいなら
できるようになった。

それにしても
この一週間、人生でこんなつらい事はなかった。
仙一の出産後も 微妙につらい日々だったけど
それをも上回る苦しみ、それは Ben&Pのせいである。

日本語で書くとなまなましいので書きませぬが
この頑固なBen&Pのお陰で
くらーい気分と痛みに襲われたのだった。。。


退院時、家で飲むように指示されていた薬が
いくつかあったものの
英語を読む気にもなれず
必要な痛み止めのみ飲んでいた。

ある日、はっと気づいた。
もしかしてこのBen&Pって 薬で緩和するように指示が出ていた?!
慌てて指示書を辞書と首っ引きで読む。

あるわけよ、そこに、毎日飲めって薬が。
そうでしたか、、、それでこんなにつらいことになってしまいましたか。

それにしても つらすぎる。
その日以来 薬は摂ったものの
効果はなく、一日中ドヨーんとした気分で過ごす。
もちろん 効果があるというヨーグルトやら繊維やら
ものすごい食べたりもした。
しかし、数日後には 限界がやってきた。
食欲もなくなり 脂汗は出るわ、、危険な状態。

あきらめて薬局に行き、相談し、他の薬を試してみた。
これも すぐには効かず、、、ああ、もう救急車かも、、と
もんどりうっておりましたが
しばらくして 全てが解消され、平和が訪れたのであった、、、。


うーん、情けない話だけれど 記録として残しとこう。
このおかげで また新たな英単語を習得できた。
でも、ぜんぜん嬉しくない。