2012年5月2日水曜日

花粉症の続き。

あ、そうか 日本はGWなのだな。

今日はバスケのプレーオフのことを書こうと思っていたけど変更。
とにかく来年の自分に向けて
今年の仙一の花粉症の経過を書いておく。
のどもと過ぎると何でも忘れてしまう私は
去年観てもらった医者に 去年の仙一の状態を
いろいろ聞かれ、記憶が遠くて曖昧にしか
答えられなかったのだ。
(カルテを見ながら先生苦笑。)

★ ★ ★

その後
仙一を結局 専門医に連れて行った。(4月23日)
その日の診断は 鼻づまりは酷いけど
喘息の心配はない、とのことで数種の薬が処方された。
診療所で鼻の洗浄をしてもらい、鼻づまりが解消したら
仙一の様子がみるみる元気になったのにはびっくり。
翌日も鼻づまりにはならず、数日は元気に過ごしていた。

そんな感じで 取り合えず 何とか落ち着きそうだったのだけど
しばらくしたら乾いた咳が止まらず、夜になると咳き込んで
痰が絡んだように ゲボゲボと苦しそうな状態になり、
明らかに 様子がおかしいのでもう一度 医者を訪ねた。
(というか スグに連れてきなさい、となった。)

危ぶまれていた「喘息」の気配があらわれているので
急遽ステロイド剤も処方され、炎症を抑えるためのシロップも出された。

この時点で 点鼻薬2種、抗ヒスタミン剤(朝晩)、シロップ(一日一回)、
インヘーラー(吸入薬)と 大量の薬を飲むことに。

とはいえ 気管に炎症があるせいで喘息も起こるということで
この処置をとらなかったら 咳から酷い発作を起こしていたかもしれない。
今年は サッカーの練習もあるので 早めに悪化を防ぎ、
回復を促したほうがいい、と、このあたりで考えを改めた。
西洋医学に頼ることにしたのだ。

、、、っていうか 鼻水、咳で眠れない日々が続いて
本人も家族もヘトヘトだったし、、、。


お蔭さまで 咳は徐々に治まり、発作も起きず、
まだ若干の咳はあるものの 元気に練習にも試合にも参加できるようになった。
ようやく 一安心だ。

毎年 このシーズンは同じような経過を辿るのだけど
年々その症状がひどくなっている気がする。
ただ、今年の経験から幾つか対処の仕方が見えてきたので
これは来年に生かさなくちゃ。

*鼻うがいはかなり効果がある。
(サイナス・リンス、NEILMEDという会社の
 洗浄器具と調整されたパウダー(塩)で鼻を洗浄できることを発見。)

*仙一の場合はとにかく 鼻づまりから悪化するので
 来年は鼻づまりに徹底的に気をつける。

*やっぱり ツボの指圧。肩甲骨の周辺もよくほぐしておくこと。
 (肩ぐるぐる回し。)

とにかく 喘息になってしまっていないことに感謝。
来年も気をつけねば。

関係ないけど 専門医の女医さんはロシア系の美人である。
ロシア系の人って きつい人が多いのだけど
彼女はかなり親切に観てくれるし、説明も良くしてくれる。
しかも 心配して 週末の緊急時の連絡先や対処のしかたも
丁寧に教えてくれるし、数日するとオフィスの人が
その後どう?と電話をかけてきてくれる。
アメリカでこんな丁寧な医者、なかなかいないのではないか、と
変なところで感心してしまうのだけど
仙一の鼻の穴の状態をみて
「アヤヤヤヤァ!!!」
(あら、あら、あら、の意)と叫んだのには笑ってしまった。
ラテン系のオバちゃんとかがよく この言い方をするのだけど
まさか こんな品のいい、美人の先生がそんな言葉を使うなんて。
帰り道、仙一と大笑いしたのであった。









2012年4月21日土曜日

今年の春も。

   THE BANDの一員であった レヴォン・ヘルムが昨日亡くなった。

  半年に一回くらいの割合で ザ・バンドブームがやってきては去る、の
  繰り返しをここ5年ほど繰り返していて(つまり渡米してからずっと、だ。)
  ちょうど先週くらいから半年振りの波が来ていたところだった。

  先月は車で4-50分の街で彼がライブをやる、という告知を目にしたので
  行きたいなぁ、でも 50ドルは高いなぁ、、、と 
  ぼんやり思っていたりしていたのだ。

  とにかく 残念で悲しい。

  今日はラジオから彼の音楽がたくさん聞こえてきている。
  
★ ★ ★

さてさて 今年の春も花粉で苦しむ仙一。
例年と比べて 春が早くやってきたので
花粉シーズンは長引くと言われている。
実際は2月の下旬頃から軽く咳が出始めた。
今年は体質改善と称して 起きぬけに体ぶらぶら体操、
ストレッチ、食品の見直し、お茶を変える、など
早めに対策を練ったのだ。

3月の中旬から鼻水が出だしたので
日本から取り寄せた「小青竜湯」という
子供でも飲める配合の漢方を
飲ませたら 効果があったのでシメシメ、と思っていた。
今年は漢方で花粉症撃退の予感がしていた、、、のだが、、、。

4月6日から9日間の春休みが始まって
ニュージャージーに引っ越した友人宅を訪ねた夜から 様子が一変。
目は真っ赤になり、鼻が詰まり、あきらかに容態が悪化してしまった。
これは NJの樹木に対する反応なのか それとも
うちの近所の別の木が花粉を吐き出し始めたからなのか
よくわからないけれど この日を堺に 夜は鼻づまりで
眠れなくなってしまった。

ちょうど 人生の進路が決まると言うNY州一斉テストが
始まったばかりで(3日間連続が2週にわたって行われる。)
どう考えても まずい。集中力なんてもともと無い仙一が
鼻グズグズでくしゃみ連発でテストに取り組めるわけがない。

仕方が無く 医者へ。
(去年薬疹で苦しんだので なるべく医者にかかりたくなかったのだ。)

ちょっ ちょっ と診察した医師は
「こりゃ 駄目だわ。専門医(アレジー専門)にいって。」
そう言って 取り合えず 一時しのぎの点媚薬を処方された。

そして アレジーの医者に予約の電話を入れると
来週まで予約が入れられない!!!!!

あーあ。

そうこうしているうちに 最初の3日間のテストは終わってしまい、
この間、毎晩鼻づまりとくしゃみと咳で 睡眠不足のまま
今日を迎えている。
どうにもならなかったので
いわゆる民間療法を手当たり次第試してみた。

ごぼう茶。
(タマタマ大量のごぼうを購入したばかりだったので。)
鼻の穴にワセリン。
緑茶でうがい。
牛乳を当面飲まない。
塩温水で鼻うがい。
アロマ テラピー(これは日常的にやっている。)
ベポラッブ塗りまくり。

これらが功を奏したのかはさっぱり分からない。

でも はっきりと効果があったのは咳のひどいときに 
切った玉ねぎを枕元において寝る。

これは 何回か効いた。びっくりするくらい。

でも 加湿器(ヴィックスの液体入り)と玉ねぎとベポラッブの匂いで
寝室はすごい匂いになったので 普通の人には厳しいかも。
とはいえ これ以上薬を与えるのは無理だし危険なので
これで 少しは眠れて体力が回復するのなら匂いなんて「へ」でもない。

、、、、、、、偉大なる玉ねぎ。

週末は大雨の予報なので少しは症状が軽くなることを祈る。

2012年4月6日金曜日

表紙の人



仙一は昨年の11月からサッカーを始めた。
最初はインドアの小さい子向けの教室だったけど
やはり物足りないので チームとして活動している
サッカー団に入った。

思ったよりもできるので コーチからお呼びがかかり
トラべルチーム(マジモード組)に入ることになった。
最初はついていけるか不安だったのだけど
いつの間にか身につけたタフさでチームメイトとも
仲良くなった。一安心である。

しかし 週二回、夜の練習(2時間)、週末は試合。

もうすぐ州一斉テストがあるので
学校、担任はそれに向けて最後の追い込みをかけ、
周囲は勉強一色。
宿題もてんこ盛り。
昨日はギターの教室もあったので
当然宿題は終わらないままサッカーへ。

今朝はいつもより一時間早起きをして
朝からエッセーの宿題を小一時間。
本人はサッカーのためなら何でも頑張るので
文句なくこなしているけど
お母さんは ヘトヘトです。

日本みたいに行っといでー
おかえりー、ってできないので
フィールドに2時間。


こうなったら 
ダルビッシュぐらいになってもらわなくちゃ
やりきれん。

本人もサッカーで生きていくと 本気で言ってますがね、
まぁ、好きにしてください。
やりたいだけやりなさい。

ちなみに母子して好きな選手は岡ちゃん(岡崎慎二)。
ドイツで頑張ってます。

2012年3月31日土曜日

混乱中

何だか知らないけれど ブログのスタイルが変わって
もとにもどらないので アレコレいじってますが
、、、、、どうしよう、、、、


来週いじってみようか。
よい週末を。










写真はUPできるみたい。
えと、絵本のブログの方は更新しました、写真が同じです。
わはは。

2012年3月17日土曜日

インドからの強風。

去年に続いて 仙一の学校で開かれている
親向けのワークショップ、「食事と栄養」に出席中。
去年と違って 今年のは「調理実習」が多いので
食べる楽しみもおまけでついてくる。

去年は けっこうまじめに「栄養」を学んだのだけど
ここ何回かで どういうわけか内容が各国の料理紹介に
なってきてしまった。

そして昨日は「インド料理」。

私の生活区は  一位;ロシア人
        二位;中国系(マレーシア等、含む)
        三位;インド人(宗派はいろいろ。)

という割合の人種構成だ。
いわゆるアメリカ人の白人って殆どいないし
どういうわけか 黒人も少ない。
ラティーノ(南米系)も 上位三国ほどはいない。

そして 昨日は「インド料理」。
彼らのグループが うちの国のを紹介したい!!と
熱望し、それが叶ったのだ。
講師は インド出身のママ数人。

もうすごいんですよ、インドの人って。
いや、いい人たちです。
知り合いになれば、基本的に。

何がすごいかって、、、、、その押しの強さ。
絶対に 自分の意見、主張を曲げない。
そして 大体において 自分の意見は正しい、と言って譲らない。

例えば 昨日の実習中、シアントロ(パクチー)を刻んで鍋に入れるのを
「あたし、まな板なんて使わないの。指とナイフでちゃ、ちゃ、ちゃ、よ。
(親指と人差し指でうまく刻みつつ、鍋にシアントロを投入。)」
「えぇ?それ、難しいよ、技術がないと。」(私)
「できるのよ、誰でも。まな板なんてね、駄目駄目!!
これはみんな出来て然るべき! こうしなくちゃ 時間の無駄よ。」
「そ、そうっすか、、、。」(私)
ええ。反論の余地もございません。

しつこく言うけど 仲良くなれば、いい人だと思う。そう思える。
ただ 日本人の感覚からすると
一体、どうやれば そんなに 自信たっぷりに意見を持てるのか、
相手の話なんて聞いてるようで聞いてない。
これは かなりの訓練がいるぞ、私には。
(ま、仙一はできてるけどねっ。←嫌味。)

、、、、ってここまで書いて 気付いたのだけれど
上位3つの国の人々は
おうおうにして 同じような感じ。
強いのです。なんだか知らないけど。

言いよどんだり、言い回しを考えたりする日本人からは
真似のできない(うーん、敢えてそうはしない、のだけど。)
力強さで生きている。

、、、、、まぁ、 でも 、昨日教わったレシピ、
夕飯で試してみたけど 上出来だった。
まさに 家で本格インド料理ができたわけです。
(家中 スパイスの匂いだらけですがね、、、、。)

何だかんだ言って このワーク・ショップは面白い。

で、次回は 「SUSHI]。(巻き寿司・太巻き)
いつの間にか勝手に決められていて
このワークショップに参加している日本人は私だけなので
どうなることやら。
(しょうがないから 知人の日本人ママを引きずり込む予定。)

納豆巻きでも作ってやろうか。
みんな、気絶するかもね。

2012年3月13日火曜日

虫の知らせ。

去年の震災から一年。
NYでも在米日本人によるいろいろな催しがあった。
私が参加したものはないけれど
ニュースや新聞で目にしては ああ、あれから一年かと
日々思い起こすことが多かった。

ちょうど去年の今頃は自分の体調が悪化し、
何度も病院を訪れ、不安ななか、手術が決まり、
極度の貧血のため 毎日鉄剤の点滴を受けに
マンハッタンまで通っていた頃だ。
震災のニュースを病院でも流していて
スタッフのみんなに声を掛けられ、慰められたりもした。
家に帰れば連絡のつかない義父母の安否を
ひたすらネットで探す、そんな日々だった。

さて その辺のことは去年書いているからいいとして
あのころあった 書かなかったことがある。
私はあまり神秘的なことを
本格的に信じているわけではない。
でも このふたつはあの震災を前に何かを
感じていたような気がする。

まず 父ちゃん。
彼の性格、経歴からして 故郷の同窓会なんかに
出るような人ではない。
それなのに2011年の正月に
「年祝い」といって同級生が集まり、
厄落としを地域の神社で受け、そのあとちょっとしたパーティー
をする行事があった。その案内をもらった時に
「なーんだか 今回は行っておきたいんだよね。」なんて言う。
夏の帰省だけでお金がないのに 正月も日本に帰るのか?!
無理無理無理!!!(←私。)
「昔の同級生が今どうしているか、気になるんだよね。」
、、、、長い付き合いだけど 今までこんなことを言う人ではなかった。
田舎に帰って暮らす、という選択はいままで無かったし。
「一人ででも 帰ろうかなぁ。」(←マジですか?)

もちろん それは現実的に無理だったので
彼はあきらめたのだけど 里心が出るなんて珍しいので
私には不思議な気持ちだけが残ったのだった。

☆ 

それから 仙一。
去年の2月ー3月の日記にもあるように
異常なまでの 日本に帰りたいモードだった仙一。
今でもよく覚えているが 震災数日前、夕方学校から帰ると
「日本に帰りたい。」とポツリ言う。
「うーん 夏に帰るから、それまでガンバレ。」と私。
「なんだか 心配なんだよ、皆のことが。」
そこから 延々と日本に帰りたいと主張し続け、
いますぐは無理、という私に泣いて訴え始めた。
「じゃぁ アメリカの友達ともお別れだよ!いいの!」というと
それは嫌だ!!!!!!!!ぁぁぁぁああああ。
アメリカにも居たいぃぃぃ、、、でも、、、、
うわぁぁぁ、、、ああああ、 !!!
何を言っても聞いてくれない。

最初は 学校で嫌なことがあるのかと思ったのだけど
思い当たることが無い。あれこれ、さり気なく聞いたけど
学校が嫌なわけでは 全く無い。
でも 東京の友達に会いたい、今すぐ会いたい。
日本に帰りたい、今すぐ帰りたい。

最近、忘却力がかなりついた私がこのことを良く覚えているのは
このときほど 仙一がわがままを言って泣いたことが無かったからだ。
その晩、彼は泣いて泣いて 怒ったように寝てしまった。
私は(そうは見せなかったけど)かなり動揺した。
そんなに言うのなら 近い将来、帰国しなくちゃかな、、と。

そして 震災が起こり、私達夫婦は半狂乱で義父母を
心配していたのだけど どういう訳か仙一はすっきりしていた。
不思議に思って あんた、おじいちゃんたちのこと心配じゃないの、と
聞くと 「うん、大丈夫だよ。心配しなくて大丈夫だよ。」と言う。
あまりに取り乱している大人を見せたくなかったので
友人の家で預かってもらったりしていたのだが
日本の惨状を知りながらも あまり 動揺している感じではなかった。

だいぶ経ってから このことを思い出し、
これは虫の知らせだったのではないか、という思いに至った。
その後、仙一の帰りたいモードはぴたりと止み、
グジグジ言うことは全く無くなった。

実は数日前、このことを仙一に聞いてみた。
「そうなんだよ、あの時はね、なんだか知らないけど
胸がドキドキしてさ、 泣きたい気持ちが抑えられなかったんだよ。
よく覚えているよ。たぶんSIX SENSE(第六感)だったんじゃない?」
ああ、そうだったね。
泣きながら胸をさすって ここが痛いんだよって言ってたんだった、、、、。

あれだけの エネルギーが地球で起きたのだから
何らかの影響はあったに違いない。
いまでは そう思っている。

2012年3月3日土曜日

I won't give up.

だいたいやねー、、、、、
(竹村ケンイチ)


冬休みっていって10日も休むことないじゃん。

休みだからって あんなに宿題出すことないじゃん。

そりゃ4月に州一斉テストあるけどよ、

それで一生が決まるわけでもないじゃん。

ないはずじゃん。

ないはずだけど どこの親も大騒ぎ。

ってことは あるはずじゃん?!

いいの、、、別に、、、うちは もともとアウトローだし。

ラフ、で、タフ、で。

ということを 本日の放課後、校庭にて確信。


(それより 仙一の体質改善だ!!!!)