2011年2月24日木曜日

春の虫

だんだん 日差しは春めいてきたNY.
気温は上がれば 帽子も手袋も要らない
ところが 気温が下がると すぐに氷点下。
まったく 体調管理の難しい季節になってきた。
ここ数日は 三寒四温、といったところ、
春も近い、、かな、、。


さて 毎年この季節になると
どういうわけか 無性に日本に帰りたくなる私だが、
今年は仙一のほうが ホーム・シック。
年明けくらいから 「日本に帰りたい」を連発。
どういうことか聞いてみると
「コンビニに行きたい。おじいちゃんやマーおじ(私の兄)に会いたい。
ショーちゃんや皆と遊びたい。ファミレスに行きたい。」のだそうだ。
それが駄目なら ヨーロッパに行きたい。
(サッカー馬鹿もここまで来るとは、、、、。)

ふーむ。
もうちょっと待てば 夏に帰省するのだから 我慢だね、、。
ヨーロッパなんて 行ける訳ないじゃん、日本で散財だよっ。

私の最近の日本恋しいブームは、あれだ、あれあれ、
あの雑誌のせいだ、この間友人(日本人)が回してくれた雑誌に
「鎌倉特集」があったせいだ。

東京や横浜の特集だったら それほどでもなかったかもしれないけど
「鎌倉」ですからね。
この歴史も風情も情緒もなーんにも 感じられないNYに住んでいると
「鎌倉」、と言っただけで ノック・ダウン。

落ち着いたカフェでお茶。
ただそれだけで うーん、帰りたいぃぃぃ。
海辺を散歩。
ただそれだけで うーん、帰りたいぃぃぃ。
どこそこで お土産を買って、、、あぁ 夢のよう。

まぁ 現実の暮らしから遠いからこそ
よく見えちゃうんだろうけど。

このところ 日本人との付き合いも全くなくなり、
英語付けの日々だった故
なおさら ホーム・シックなのかも。
この間 久しぶりに 仲良しの日本人ママたちに会って
どうでもいいくだらない話をして 大笑いした晩は
かなりのストレス発散でした。

、、、、、私も まだまだよのう。

PS 只今 恐怖の「真冬休み」。
  10日間の休校、それなのに 宿題がてんこ盛り。
  でも 明日は意地でも MET(美術館)に行ってやる。
  次回は マンハッタン便りになる予定。

2011年2月17日木曜日

初・救急車

昨日 仙一と放課後のジム・クラスに行く途中、
舗道を杖をついて歩いていた
おじいさんとすれ違った。

ちょっと ふらついていたので
「大丈夫?手を貸しましょうか?」と声をかけると
「大丈夫、、歩きにくいけど いつものことさ。」というので
「じゃ、気をつけてね、」と 先に追い越して歩き始めた、
その次の瞬間。

ドサっという音がし、振り向いたらおじいさんが
舗道に仰向けにひっくり返っていた。

慌てて駆け戻ると 「救急車を呼んでくれ!」と言う。
おろおろしつつ 911(救急の電話番号)。
ちょうど ママ友のマリアもジム・クラスに行く途中で
通りかかり、手助けをしてくれる。
他にも 色んな人が声を掛けてくれる。
(意外に親切な人が多いのだ、、、それにもびっくりした。)

たまたま そのおじいさんのアパートの住人が通りかかり、
「大丈夫か!!」と寄ってきた。
幸い 頭を打っておらず、背中を強く打ったのと
左足に痛みがある、と 本人が言う。

意識もあるし、流血もしていないが
救急のオペレーターは 
「絶対に動かさないように。」と指示。

動かそうにも 大柄のおじいさんなので
とてもそんなことは出来ない。
ただ じっと寝たまま救急車を待つ。

この日はかなり冷え込んでいたので
寒さにもやられてしまう!と
こっちが ドキドキし、おろおろしていたら
「落ち着いて!!大丈夫だから!」と
逆におじいさんになだめられてしまった。

、、、、だって こんなこと初めてだし
救急車を呼ぶなんて人生初めてだし
しかも 正確に住所が伝わったか 心配だし、、、、

結局 10分近く待ってようやく救助隊がやってきた。

はぁぁあ、、、、、、、、ドッキリした。

自分の親の年頃のおじいさんだったので
日本に住む家族のことを思い、人ごとじゃないなぁ、と
やけに 心配になってきた。
ウーム。

☆ ☆ ☆

全く話は変わるけど
仙一が通学バックから 
こんなものを取り出して見せてくれた。















一見 レーズンの箱なので
「それ、いつのオヤツ??食べちゃ駄目だよ!!」と
言ったら ニヤニヤして中を開けてくれた。
「宝物」なんだそうだ。

う、、、、、、、

小学生っ、、、、、。

隣のナンシーが箱を折ってくれて
そこに「大事なもの」(ゴミ!)を入れてある。
消しゴムの欠片とか、剥げたシールとか。。。。

「クリスもこういうの、持っているんだよ♪」

ああ、、男子たちよ、、、、、。

2011年2月9日水曜日

辛くて熱くてすっぱいスープ。

この間のインフル感染時に
自分で作ってみて はまったスープ。
その名も HOT SOUR SOUP。
日本だと中国名 酸辛湯(サンラータン)という。
ん?何か違う気がするが まぁそんなスープだ。


この近所ではチャイニーズ・デリの
どの店にもあるメニューで店によって味が違う。
すっぱいけど まろやかで 温まる、という点は
どこも共通で、しかも 値段も安い。
(たっぷりコンで 2ドルしないのだ。)

治りかけのある日、猛烈にこのスープが呑みたくなって
家にある材料で適当に作ってみたら これが大ヒット。

というわけで 風邪の引き始め、もしくは
治りかけに体を温めるのにもってこいの このスープの
作り方を紹介しておきます。

白粉コショウをたっぷりかけるのが良い。


①なべにお湯を沸かして チキンスープの素を溶かす。

②その鍋に 少し(こさじ1程度)のしょうゆと酢(大さじ1-1.5)を入れる。

③ぐらぐらに煮立てて 水溶き片栗粉でとろみをつける。

④卵を溶いたものを ゆっくりと入れて溶き卵スープをつくる。
そして さいの目に切った豆腐を投入。
豆腐が温まるくらいで出来上がり。


THAT’S IT!!
簡単で実に体が温まる。
いつも行く店のスープには 千切りセロリ、人参、きくらげが入っている。
あと多少の豆板醤状のとんがらし。

酢の量はお好みだけど 実は ウーっとなるくらい
たくさん入れるほうがおいしいのです。

あー また食べたくなってきた、、、、。

2011年2月7日月曜日

判決を言い渡す。

  

!!
判決を言い渡す!!
!!

この冬は 最悪の冬である。

既にご存知の方もおりますが
先週月曜に仙一氏が高熱出して早退。
帰宅するやいなや 立てないほどの状況。

ところが 翌日にはまぁまぁ平熱近くまで下がり、
残すは「激しい咳」のみ。
あんまり 咳き込むので その後の2日間は
学校を休ませた。

仙一の早退の翌日。
私も何だか変な感じ。
体温計で計ってみると39.1℃。
多分人生初の9度台だ。

それでもその日は 何とか勢いで
仙一の世話やら炊事やらをこなした。
でも 熱は下がらず
下がっても8度台が続く。
頭が痛いし 体が鉛のよう。
咳き込み始めると 止まらずに
終いには 腹筋が筋肉痛で
咳をする度に 地獄を見る。

ここで不安がよぎる。
やっぱりインフルエンザ?
でも仙一は違ったぞ。
どこから来たのだ?

そんなこと考えてもしょうがない。
そこから何と今日(日曜日)まで
結局 ノック・ダウンだった。

医者に行きたくも 仙一も咳が酷かったから
学校に行けないし 
そうなると病院に同行させるしかない。
そりゃかわいそうだ。
しかも私の主治医はマンハッタンだから
えらい遠いし 状況的に一人でも行けない。
タミフルをもらって楽になりたかったが
医者行きは断念。
まぁ 半端じゃなく寒い外気に触れるほうが
危険だよね、この時期この天気では。

多分 インフルエンザだと思う。
今も微熱と背中の痛みが残っているが
気分はかなり良くなった。

記憶する限り
子供の頃から インフルエンザにかかったことは
無いんじゃなかったか。
なーんてことを うつらうつらベッドで考えていた。

ちなみに 仙一君は2年ぶり(?)の
発熱で 自分自身でもパニックだったよう。
「自分の体じゃないぃぃぃ!!!!」と
泣いて叫んでました。


皆さんも くれぐれもお気をつけて。
うちは このあと父ちゃんが罹らないことだけを
祈っております。

PS 新聞の懸賞でバスケのVIP席を当てたので
   今日は男二人でNJまで出かけていった。
   本当なら 一昨日スキーに行って
   一泊してバスケを見て帰ってくる
   ゴージャスな週末の予定だったのに!!!!
 
やはり 最低の冬だね!!

2011年1月28日金曜日

雪が溶ける前に、雪。




 
                                                                                                          





雪で仙一、学校、休み。
大した雪じゃない。
でも休み。
ま、このところ異常なまでの
宿題の量と放課後活動だったから
休んでのんびり、は ちょうどいいタイミングであった。

でも明日も雪の予報。
どうするつもりだ、教育委員長!
(この間就任したばかりで揉め事ばかり、この人。)
明日も休みなら 4連休だよ、
お母さんは気絶するよ。

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で、この間の続きを書こうと思っていたら
その後 たまたま知り合った女の子のお母さんは
「アゼルバイジャン」出身。

あ、あぜるばいじゃん????
(発音もむつかしい。)

んー、それは どこだ。
よく聞いたら彼女は 前述のジョニーの親戚だという。
ジョニーのパパの兄弟の奥さんなのだ。
えーっと、ってことは ウズベック関係?

すかさずマリア(最近良く話すロシアン・ママ)に聞いてみる。
(たまたま近くに居た。)

「アゼルバイジャンは もとソ連の国のひとつ。
だからロシア語を一応話す。
でもアゼルバイジャン語を現地では話すようだから
ジョニーの家族(ウズベック)とはロシア語で話すようね。
ウズベクとアゼルは言葉が全然違うから、、、、。」

うーむ。
なんだかよくわかんない。
でも その彼女はどっちかっていうと
中近東の顔立ち。
地図で見てみたら ロシアというより
中近東のほうが近い感じ。
ってことはイスラム教の国なのか?

時間のある時に もうちょっと
マリア先生に教えて頂かねば。
ロシアは奥が深くて複雑である。

まだまだ この話は続く。
でももう書けるかどうかわからない(笑)。

2011年1月25日火曜日

世間知らず

このところ 仙一氏の交友関係が広がり、
あちこちのお宅に遊びに行くようになった。

去年からクラスメートが変わらないので
少ない男子の仲はよくなる傾向になるようだ。

そんななか 必然的に親同士も以前よりも
話す機会が増える。
そこで 知った新たな事実たち。

ジョニーの家族は
ユダヤ教徒というので イスラエル出身かと
勝手に想像していたら(子供たちは米国生まれ)
ウズベキスタン出身の家族だった。

、、、すでに ウズベキスタンの地理も歴史も分からない私。
最近知り合いになったマリアから 色々教わる。
ウズベキスタンは ロシアのはずれの方。
基本的にイスラム教徒が多いが ユダヤ人も共存していた。
しかし 近年のイスラム勢力に押されて ほとんどが
国を捨て、別の国に移住してきているとのこと。

ずっと 彼らがヘブライ語を話しているのかと
思っていたら ロシア語だった。
見た目は イスラエルっぽいのだけど。

マークの家族。
フィリピン人かと思い込んでいた。
先日 お母さんと話していたら
「私は 中国人の両親のもと、フィリピンで育った。」という。
基本的に家での会話は 中国語。
しかし 中国語も色々あって
(このことは いつか書く、複雑なのだ。)
彼女は福建語しか話せない。
中国語を書くのは無理。
日常のタガログ語は問題なくこなせるけれど
ダンナさん(同じくフィリピン育ちの中国人)
とは 福建語でしか話さない。
や、ややこしい。

ブライの家族。
マレーシアの人とは知っていたけど
話すのは中国語。しかも広東語。
だから 多分マークのママと話すなら
英語のほうが話が早い。
聞いてびっくりだけど 実家のマレーまで
25時間のフライトだそうだ。
と、遠い。

日本なんてまだまだ近い方だね。

あ、、、時間切れ。
今日はマイナス10度。
これから 完全武装でお迎えに行ってまいります。

2011年1月21日金曜日

新入り。

 
SERGENT MURPHY



だいぶ遅くなっての紹介だけど
クリスマスに仙一が私にプレゼントをしてくれた。

それは、、、
リチャード・スキャリーのキャラクター、
犬のおまわりさんだ。

最初は 猫のハックルの縫いぐるみを
買ってくれようとしたのだが
(前から 私が欲しくて欲しくて大騒ぎをしていた。)
ひょっと見たら お隣にこの犬が並んでいて
思わずこっちに決めてしまったようだ。

仙一の貯金は大してないので
父ちゃんが半分出してやったとのこと。

、、、泣けるねぇ、、、

それにしても 可愛い新入り君、
結局 仙一の縫いぐるみ仲間コーナーに入っている。
実は 仙ちゃんが欲しかったのでは、、、。



横向き