2012年2月3日金曜日

アーミッシュ村へ 続きの続きの続き。完結近し。

NYはここ数日温かい。
気味が悪いくらいに。
そして雨が多い。
2月にして春の気配。
でもきっと 大ドンデン返しがあるんだろうな。覚悟。

さて 村の見学施設で受けた説明はまだまだたくさんあるのだが
時間が経つと共に 数日前まで読み返していた本の中で知った知識と
ごちゃ混ぜになってきてしまった。うーん。
ま、いいや。

とにかく子供たちはいわゆる高等教育を受けない。
これは父ちゃんから聞いたのだけど
アーミッシュの人は若い時に外の世界に出て
暮らしてみることもできるのだそうだ。
それを経験した上で その後をアーミッシュとして生きていくのか
自分で決めることも出来るらしい。

もちろん 外の世界に魅かれ、アーミッシュの世界に戻らない人もいるという。
だけど たいてい若者は自分の生きてきた世界を選ぶそうだ。

また、彼らの掟として戒を破ったものは 破門になることもある。
そうなると 近所の助けも得られず(収穫などは近所が助け合うのが基本。)
孤立し、暮らしていけなくなるのだそうだ。
色々な面で厳しいのは コミュニティを守っていく上で必要なことなのだろう。

ガイドのオバちゃんの説明から面白いと思ったのは
彼らは日々の祈りには教会を使わないということ。
教会はコミュニティごとに存在するのだけれど
基本的に祈りは自宅にて行う。
(日曜礼拝は教会であるという。それは一日がかりだそうだ。)

また、神父に権威をつけることを避けるために
その選出も抽選で行われるらしい。
つまり、代々神父の家系ということはなく、
その仕事をやれそうな人物を数人選んで 
やり方はよくわからないけれど くじ引きのようなことをして
当たった人がその職につくのだという。
色々な面において 公平で一人の人間に力を与えすぎないように
かなり配慮がなされている。

あとは何だっけ。

衣服住、もろもろの制約についても説明を受けたけど
ここでは割愛する。

とにかく信仰にのっとって日々シンプルな生活を送る、とされる
彼らだが、このアーミッシュ・ビレッジ見学農場を後にし、
予約していたホテルの近所のファースト・フードの店で
アーミッシュの家族がなごやかに食事をしている姿を目撃。
(余談だけど こっちもびっくりしたけど
 あっちもアジア人が珍しいようで じっと見つめられてしまった。)

そして その後、そのまた近所にある ターゲットという
日本でいうイトーヨーカドーのようなデパートでウロウロしている
彼らを何人も見た。もちろん買い物に来ているのである。

え? ターゲットで買い物するの?!
ってことは ここに馬車で来ているのか???
すんごい違和感、、、、、。

しばらく考えてみたのだけど
どうも 私(たち)がアーミッシュの人々を誤解しているのでは?、と
今では思うようになった。

というのも 彼らは電気を使わず、馬車を使って昔ながらの生活を守って
日々をすごしているけれど、それは信仰に沿って行っているのであって
エコロジーのためでもないし、人として必ずしも正しい姿なのでは無いのだ。
地球のためのエコ、ではなく
教え通りにやってたら 外界からはエコとみなされるようになった。
という 皮肉な話ではないのか、、、と。
ある意味、時代の最先端なのかもしれない。

ある本で書かれていたけど
アーミッシュ自体の文化も変化してきているそうで
たとえば 有名なキルトにしても
綿の布を使う伝統から ポリエステル混が多くなり、
昔のようなくたびれて出てくる見事な風合いがなくなって来たようだ。
買い物も然り。履いている靴は規定どおり黒色のものだけど
観察したところリーボック、ナイキなんかも履いていた。
それに家の中にはプラスティックのものも多いという。
でも それは彼らにとっては普通のことなのだろう。

そう、私が勝手に作ってしまった幻想でびっくりしたり
がっかりしたりしたのである。

とはいえ、まだまだ興味は尽きない。
電気の問題にしても 農業の問題にしても
生活に対する姿勢にしても いろいろな面で
これから考え直してみるためのヒントは多い。
それから ネイティブアメリカンの文化との比較もして
もっと突っ込んで考えて見る必要がある、と考える今日この頃。


さて、次回は写真をまとめるのと 補足があれば補足をしようかなっと。

PS 30年近い付き合いの友人が娘(中学生)を連れて遊びに来ている。
  やることなすこと新鮮で、こっちも楽しませてもらっている。
  明日はどこに行こうか。

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