2011年5月20日金曜日

やくしん!











学校からの帰り道。
空を見上げると 電線にクツがぶら下がっている。
どういうわけか 学校の周りにはこの風景がよく見られる。
そして そのまま何年もぶら下がっている、、、、。

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さて コレも記録。
またしても仙一の話。

昨夜 寝る直前になって
背中やお腹がかゆいと言い出した仙一。
変だな、、、、どれどれ、、、と
背中を見ると一面に 赤いポツポツやら
皮膚が盛り上がったように赤くなっている。

ありゃー これは酷い。

「この間の 咳の薬のせいだよ、絶対。」
と、仙一は言う。

そうだ、その前の晩、咳がかなり出たので
咳止めを飲ませたんだ。

「前に飲んだときも カイカイが出たじゃん。」

ああ、うっかりしていた。
とにかく咳を止めることしか考えていなかった。
そうだ、前回もジンマシンが出たんだっけ。

「ううううううう かゆいよぅ!!!!!!!」

と言いながらも 眠気に勝てず寝てしまった仙一。

実はその薬は 友人ママから譲ってもらったもの。
彼女の子供(同じ歳)に処方されたものだったが
花粉症からくる咳がひどい仙一のことを案じて
その薬を持ってきてくれたのだ。

何度か飲んだあとに 最初の薬疹
(薬による発疹が出ること)がでたから
そのあとは飲ませていなかった、、、それなのに。。。

ああ、やってしまった。

慌ててネットで子供の薬疹について調べる。
英語のサイトだと
RASH(発疹)が出たら 医者に相談のこと、
口、顔などが腫れ上がったり、呼吸がおかしくなることがあり、
場合によっては命に関わることもあるので
ER(またか!!)に速やかに行くように、と書いてある。
、、、、、、、焦る、、、、、、、。

呼吸困難になっていないか不安で
何度も仙一の様子を見に行く。
いつもより 異常なまでの汗をかき、
かゆいお腹をボリボリ掻いている。
でも ぐっすり眠っている。

心配だったけど 気づいたら私も暴睡していて
朝になったら 薬疹は消えていた。

ほ。

今まで 薬疹のことになんて無頓着だった私。
非常に反省しました。
実は発疹の出た薬は二度と使わない方がいい、
次に使うときの方が薬疹がもっと強く出て
症状も悪化するとの事。

今回は使った後 一日経ってから
発疹が出た。前は飲んだ直後だったのに。
そういうように 数日後発症することも多いそうだ。
しかもこれは使い慣れた薬でも
起こりうることらしく、どんな薬、例えば
その辺で売っている風邪薬でも起こるとの事。
ああ、そんなこと考えもしなかった!!


これからは 医者にかかるときには
この薬のことをあたまに置いておくこと、
また 安易に薬を与えないよう
気をつけて過ごさなくては。

(もともと病院も薬も好きじゃなかったんだけどなぁ、、)

2011年5月17日火曜日

ERにいくはめに。

記録としてつけておく。

水曜の夜から仙一の様子がおかしくなった。
熱が出始め 深夜にいきなりモドし、下痢。
ここ数年そのようなことがなかったので かなり焦る。

翌朝も嘔吐、下痢、高熱。
気分が悪くて 水分も取れない。

いつもの医者が休暇中なので
知人に聞いた予約が不要というロシア人の医者へ急行。
ここで お腹の触診で痛みがある、ということから
いきなりER(救急治療室)に行くように指示される。

ERのある病院は近所にもあるが
医者が「あそこは最低だから ここか、あそこへ行くように。」と
病院の指定を受ける。
父ちゃんの帰宅を早めてもらい 車で20分ほどの
子供専用の救急病院へ行く。

かなり混雑していて 受付のおねーちゃんも
「今日は異常に混んでいる。満月だからかしら?」。

痺れが切れるほど待たされて ようやく診療してもらう。
ここで 英語力の限界を知った。
「OJBCUT(V(VU(V&&&**」
「????」
黙って辞書を差し出す。

医者が言ったのは「APPENDICTIS」。
辞書で指差してもらい、虫垂炎かも、と言うのだ。

うーん 身近に虫垂炎をやったことのある人がいないので
夫婦ともども 理解できない。
困ったなぁ、、、と スマホで検索して大まかな知識を得、
ようやく医者の言うことがわかった。

そこから深夜2時まで飲まず食わずで 検査等に付き合う。
結局 虫垂炎の可能性は低い、多分胃腸炎、ということで
帰宅できると思いきや、
「今夜は入院してもらいます。」

そういうわけで 急に病棟に移され、
一晩中仙一は点滴を受け、私は隣の安楽椅子兼ベッドにて仮眠。

翌日の昼までには帰宅できると思ったら
なんだかんだ待たされて 結局退院したのは夕方5時半。
(この間 仙一はTV見っぱなし。我まま放題。)

簡単にまとめると 胃腸炎(近所で流行ってるとの事)で
虫垂炎の疑いがあったから 念のため入院させられた、のである。
子供の虫垂炎は進行が早く、危険を伴うそうで
そりゃ そうかもだけど ERってものすごくお金かかるし
本当にそこまでしなけりゃいけなかったのか??と疑問も残る。
父ちゃんも成り行き上 金曜は会社を休み、
仕事のしわ寄せが土日に食い込んでしまった。

それでも NYでも有名な子供専用病院に行って
体験入院したのは今後の参考になった。
(意地でも前向きな私。)
ずっと 入れ替わり立ち代りやってくる医者、ナースにも
英語で説明し続けたため、医療用語の語彙数も増えた。
あーあ まだまだ試練は続くよ。

PS 面白かったのは教育委員会からの人が来て
  退屈しまくっていた仙一にドリルを渡し、
  やったらチェックしに来るから、と言ってきた。
  ちょうど NY州の一斉テストの期間だから
  学校を休むのは問題があったのだ。
  このテストについては いつかまた書く予定。

  それにしても この病院はすごく設備がよく
  応対も良かった。
  私もできることならこんな病院で診てもらいたかった、、。


 *メールの返信がますます遅れています。
  もうしばらく お待ちください、ごめんなさい。

 

2011年5月3日火曜日

この日々。

うーむ 色々ありすぎて どこから書けばいいのやら。
とにかく 5月に入ってしまった。
まずい、、、。


4月の中旬から11日間、仙一の春休み。
この間、父ちゃんが日本の実家へ
被災状況と両親の様子を見るために帰省していた。
母と子だけで過ごす春休み。
これが日本なら 大して問題じゃない。
子供は勝手に遊びに行けるから。
一人で遊びに行かせられないNYの
毎度ながらの 親子べったりの毎日だ。

この頃は自分で友達に電話して
公園で遊ぼう!と仙一も自主的に活動するんだけど、
どっちにしろ 相手の親も公園に来るのだから
話をせざるを得ない。

仲良しのJ・Bのママ、メアリーは話好き。
この間は3時間しゃべりっぱなし。
しかもNY訛りの早口だから
聞き取りにくい!
それに耐えること3時間。

メアリーじゃなくても 他の親御さんでも
子供の様子を見ながら しゃべるのはくたびれる。
一人で本でも読んでいたいのに。。。


と、まぁ 毎度の休みの愚痴な訳ですが
それに加えて 父ちゃんがいない。
しかも 持病の悪化により
体調ゼッ不調。

父ちゃんのいない間に
危うく気を失って救急車か、、、という状況に陥り、
どうにか 無事夜が明けるのを祈りつつ
半分意識を失って朝が来ました。
ああ、怖かった。
(仙一は何も知らず グーグー寝ていた。)

さて そんなこんなで今月末、手術になりました。
詳しいことは書かないけれど
ぼちぼち できるときに 記録を書いていきます。

それで この数週間、連絡くださっている方、
返信が遅くなって申し訳ないです。
やっと PCに向き合えるようになったので
徐々にメールをいたします。
待たせてごめんなさい、心配おかけしてごめんなさい。

とにかく 夏に日本に帰ることを目標にしばし
病気と向き合います。

PS とうとうテロ首謀者というひとが殺害された。
  却って報復テロが起きるのではと
  不安で仕方がない。
  今年は 本当に色々なことが起こって
  気持ちも体もついていけない。