2011年12月13日火曜日

社会科のお時間。

仙一の話です。

4年生になって 社会科の授業が本格的になってきた。
去年までは 担任が教えていたけど
今年からは 担任の社会の時間と別の教師の授業がある。
ややこしい。やっていることは 似ているから 現場は混乱気味。

ま、それはいいとして。

先々週末、月曜にソーシャル・スタディ(社会)のテストがあるんだ、という。
それは アメリカ50州の名前と それぞれのキャピタル・シティ
(えーっと、州都、 というのかなぁ 日本語だと。)を
覚えて来い、というのである。

さすがに 1週で全ては無理だから 25州ずつ、2週間にわたってのテスト。
A-Z順で半分だと 前半はミズオーリ州まで。

それで 先々週末、先週末は 朝から晩まで
仙一にQ&Aを繰り返す。

私たちはアメリカ人じゃないので 馴染みの無い地名ばかり。
工夫でもしないと なかなか覚えられない。
(特に大人。)

仙一は バスケ、野球、フット・ボールのチームを妙なことに
よく知っているので それで関連付けて覚えるのが かなり役に立った。

たとえば ミネソタは大リーグの球団 ミネソタ・ツインズのあるところ、
ST.PAULが州都。

アイダホは (どこだ?それは!!)
大学のバスケで強いチームBOISE大学があるから州都もボイズ。
(へぇー 知らなかったよ 、 そんなこと。)

マサチューセッツは 松坂投手、ってことでボストン。

でも そのほかは 工夫がいる。

カンサス = トペカ = クラスの女の子の飼っている犬の名前

ウィスコンシン = マディソン = 友達の妹の名前

ケンタッキー= フランクフォート= フライドチキンでないけどフランクフルトでもない。

デラウェア = ドーバー = Dで始まる州だからDで始まる州都。
             (かなり無理がある。)

大人にしてみると
ニューメキシコ = サンタ・フェ = 宮沢りえ
テネシー = ナッシュビル = ボブ・ディラン(のアルバム名)

ややこしいのが
サウス・ダコタ、ノース・ダコタ、サウス・カロライナ、ノース・カロライナ。
何の馴染みも親しみも無い土地。
これには参った。(大人だけ)

ところで NYの州都はどこか、意外に知られていないかもしれない。
いや、私は知らなかったよ、数年前まで。
NYの州都は アルバニーというところです。

そんな訳で 行くこともないだろう土地の名前を必死に覚えた週末であった。

さて テストの結果はいかに。

2011年12月2日金曜日

カーネギー!

先週の金曜はブラックフライデー、といって
アメリカでは年に一度の大安売りの日。
その日、仙一とふたりでカーネギー・ホールへ。

ここのところの私のお気に入りのJASON MRAZが
マチネーでショーを行う、しかもファミリーコンサート。
こりゃ 仙一を誘って行かなくちゃ、とチケットを押さえていたのである。

彼の公演は基本的にすぐに売り切れる、ので
ドキドキだったけど 2階席の端っこを取ることができた。

カーネギー、というと格調高い感じで 私には縁の無いホールだが
来年の五月に仙一の学年は ここでコンサートを行うのだそうだ。
そういう関係もあって 仙一はワクワク。

仙一たちのコンサートは!!!
何と!!!!!!!
縦笛(ソプラノ・リコーダー)=子供たちと
オーケストラの競演だとか。

縦笛だよ、、、、、ぴーひゃらら、、、
それでカーネギー、、、、、、、、、。

まぁ、それはいつか報告できるとして。

今回この公演のあと 裏通りを歩いていたら
ジェイソンの友であり、パーカッションニストのトカ氏がいるではないか!!
「今日のステージよかったよ!」と一度は手を振って通り過ぎたが
仙一が一緒に写真を撮りたい。というので 引き返し、
握手して肩を組んで写真を撮らせてもらった。
(写真はFACE BOOKのほうにUP。)

こんな風に NYでは 有名人にばったり会えることが多い。
残念ながらジェイソンには会えなかったけど。

トカ氏の手のぬくもりが忘れられない一夜であった、、、、。

2011年11月19日土曜日

聞こえてくる歌。

それにしても 相変わらずのバタバタの毎日。

やっと週末。
今夜は一人 ビールナイト。
ぷぷぷ。

そんな時 昔 大好きだった THE KINKSの
LOLA VS POWERMAN AND  MONEY GO AROUNDなんか
聞いちゃったら こりゃ まずい。
久しぶりに聞くと よく聞いていた当時の情景が、ムードがよみがえってくる。
あの、薄暗い大学下宿時代、、、、、、。ヒー。

そのように 音楽は記憶のひだひだに ぐっさり突き刺さっている。
ただ この頃気付いたのだけど
その頃 聞き取れていなかった、もしくは 意味は分かっていたけど
リアリティに欠けていた英語の歌詞が 
妙に よく分かるようになったのだ。

うーん 少しは進歩しているのか。

とはいえ 昔のレトロ趣味ばかりやっていると
「今」を思い出す音楽がなくなってしまうので
なるべく マンネリしない配慮はしている。

いちおう イマドキの音楽も買って聴くわけです。
自分の老化防止のために!!!

PS
5年前にNYに来たときを思い出すのは
アリシア・キーズのNO ONEという曲。
その後は ボブ・マーリーの息子のジギーのアルバム。
続いて 何故か THE BAND、
それからCARS のサントラ(仙一の趣味)からシェリル・クロウ。
JASON MRAZ(うひひ、もうすぐ LIVEに行ける!)
RAY DAVIES.
仙一のここのところの一押しは
ブルーノ・マーズか 
タイヨー・クルズ(よくわかんない)。

歌は世につれ、、、、、、

それにしても 山口百恵のラスト・コンサートは
うっかり見ちゃうと 号泣ものでした。

何やってんだか。

2011年11月1日火曜日

ベッカムIN NY

土曜はいきなり雪であった。
まだ10月末なのに けっこう、しっかり降った。
しかも めちゃくちゃ寒いではないか。

さて 翌日の日曜は快晴。
急遽 プレーオフの決まったNYレッドブルズとLAギャラクシーの試合を観にいった。
レッドブルズは去年も観にいったけど 今回は盛り上がりが違う。
LAにはベッカムがいるのだ! これは行かねば!

雪と渋滞を心配したけど それは何とかクリアし、NJに到着。
(ブルズはNYのチームだけど 何故か球場はニュージャージーにある。)

前回はど渋滞にはまり、前半をだいぶ見逃してしまったけど
今回は余裕があって 開会式から見ることができた。
そして 選手入場。
大きな歓声、、、、でも 私達の席はブルズのサポーター側。
周囲は熱狂的なファンばかりで あまり大っぴらにLAを応援できる感じではない。
しかも かなり野次は飛ばすし、フォーレターワードを言いまくっているし、
子供にはちょっと刺激が強いかも。

それを尻目に 私達の目はベッカムに釘付け。

一点入れて喜び合うLA. ハグしているのがベッカム。
フリーキック。



実はブルズには アンリがいる。(元フランス代表。)
アンリはキャプテンでもあるし、NYではスターだ。
他にも 人気の選手がいるけど
やはり 動きを見ていても ベッカムは別物。
かっこいい。

仙一は ベッカムにもキャーキャー言っていたが
LAの選手、ドノバンのファンでもあるので
キョロキョロ忙しくしていた。

折りしも 今月から本格的にサッカー練習を始めたので
仙一にとってはいい刺激になったようだ。

それにしても
パスを蹴るだけで かっこいいー と思わせる存在にはうっとり。
あんまり 興奮しすぎて 最後に仙一が
「 ママ、うるさいっ。」「しかも しつこい。」だって。

2011年10月26日水曜日

NYお勉強事情 その2

スポーツ用品やにて。


















フリペの編集もおおむね終了したのであとはみんなの
原稿チェックを待つのみ。 ほ。

    ☆

それで今日はこの間の続き、
仙一の学校でのお勉強事情、その2.

アメリカの学校が日本と大きく違う点は
とにもかくにも リーディング(読書)をさせる点だ。
幼児部のころから 宿題でリーディングが出て、
毎日読んだ本の題と作者名を用紙に書き込む。
(かれこれ5年もやってるよ。。。)
4年生では 毎日40分以上の読書が義務とされている。
これは 学校によって違うかもしれないけれど
仙一のところは 校長が事あることに 「リーディング!!」と
口をすっぱくして言っている。

子供たちは 慣れているので本を読むことに抵抗は無いようだ。
毎月 それぞれのレベルを担任がチェックして
こどもが今どの位置にいるのかをみる。
レベルは幼児部でAから始まり、B,c, とランクアップをしていく。
子供たちは さりげなく誰がどのレベルかを気にしていて
「あいつ、まだJだぜ、」とか
「あたし もうQよ。」とか教室で言い合ってるらしい。

仙一は読むのは大好きなので 今は5年生レベル、sランクにいる。
いちおう アメリカ人のパパを持つ友達と同レベルにいるので
悪くない成績らしい。
ネイティブでないので少々心配をしていたけど
まぁ 日本語の本も英語の本も何でも読む人だから
それこそ好きこそものの上手なれ、である。
(え、こんな格言なかったっけ?)

と、ここまでは 去年までの状況。
今年の先生は 「読むだけじゃなく、そこから先へ!!」という方針。
つまり レベルよりも本の内容をもっと深く探ろう!というのだ。

たとえば 何故作者がここでこの人にこういう台詞を言わせたのか、とか
主人公を取り巻く登場人物の関係性、また、
それはどういう位置づけになっているのか、などなど。
多角的に内容をとらえることを重視するようだ。

この間 今年のリーディングの方針を知らせる(しかも子供たち向け)
手引きを見せてもらったけれど
どえりゃー 高度なことをやろうとしている。
一部 辞書なしでは理解できませんでした、母は。

そして それに伴って ライティング(作文)も強化。
これまた 大変なことになってきているようだ。
(だから 母にとっては、だ。)
こちらについては また今度。

2011年10月21日金曜日

NYお勉強事情。

NYお勉強事情。というほど詳しくないけれど
今日は 仙一の学校のことを少々。

9月に始まった新年度、今年の担任は厳しい、と
周りからさんざん聞かされていたので
どんな先生かとドキドキだったけど
(仙一はかなり緊張していた。)
実際は 理性のある、分別のある、冗談も言う、
厳しいというより しっかりした先生のようだ。

去年の先生は60歳で お茶目で 愉快なことが好きで
勉強は学校で、が、モットーなので宿題はあまり出さない先生。
なので 勉学的にはゆるゆる、でも 社会科のプロジェクトなんかで
子供の興味をかきたてて 勉強自体を楽しませてくれる先生だった。
それでも何故か仙一は今年の先生のほうが相性がいいようで
やる気満々で学校に行っている。(今のところ、だけど。)

さて その点は問題がない。
ところが4年生になって 理科の授業が増え、社会科も強化。
どちらも 別の先生が受け持つ。
そして クラスとは別に 各教科の宿題がでる。
その量が、、、、、今年は半端じゃないのだ。

理科は去年からよく知っている先生なので 出る宿題もまぁ 何とかなる。
問題は社会の先生。5年生の教師だとかで 
この先生がわっかりにくい宿題を出し、
しかも 子供たちに対する態度もすこぶる悪いらしい。

そして 今朝、、、、、

全く関係ないワークショップ(カリキュラムの説明会)が学校で行われ、
たまたま仙一のクラスの親たちが顔を合わせた。
これは全校の親に向けたものだったのだが
仙一のクラスの親の出席率はバツグン。
会の後、ちょっと分からないことを聞こうと思って
みんなのところに行ったら
いっせいに社会科の宿題のことで大ブーイングがおきて、
とうとう その場にいた校長に詰め寄り
代表のお母さんが怒りをぶつけたのだ。

ええ、私はその場にいましたがね、不自由な英語で文句を言うほどの
度胸はありませんので ただただ頷いて 英語の堪能なお母さんを
尊敬のまなざしで眺めていたのです。
途中、ほら、RIEもなんか言いなさいよっ、と
何人かにじっと見つめられるも あうあうあうっ。

結局 校長が今日中にその件は話し合うから、、、と
前向きに対処することになり その場は収まったのだけど、、、。

とにかく 親達はみんな カリカリきている。
というのは NYに住む小学生は4年生の成績が
人生で一番大事といわれているからだ。

えええええ そんな大げさな。
でも 本当らしいんだよね。
3年生から NY州一斉の統一テストが始まり、
4年生のテスト結果で 中学、高校が決まってくるとか。

また、学校側もこのテストの結果で学校のレベルが上下するので
必死なのです。学校のレベルが下がれば 校長も背水の陣、、、。

それで 学校はテストのスコアを上げたい一心で
テスト対策をする。勉強する、というより
テスト勉強ばっかりだったもの、3年の最後の方は。

それで4年生のテストは子供の進路に関わるから
親も必死になるとかで、、、、、、、、、、、
みなさん、必死のようです。

うちは そんなことを知ったのはつい最近。
まぁ いいんだけど 今人生の全てが決まるわけじゃあるまいし。
(って言っているのはウチくらいか。)

この辺の愚痴は またきっと近いうちに書くことでしょう。
何だか思考がまとまらなくなってきた。

2011年10月13日木曜日

虹の橋をわたって。

先週末は またしても連休(土日月)。
今回はコロンバス・デーが月曜で学校が休みだった。

というわけで まだ観光にはギリギリ間に合うというので
ナイアガラの滝までプチ・旅行。
(10月下旬から寒くて観光どころではないらしい、、。)

夏に日本帰国で散財する我が家としては
国内旅行なんて 夢また夢。
でも今回は 飛行機会社からもらった金券と
マイルを駆使して 費用を捻出。
そうでもしなけりゃ せっかくアメリカに住んでいても
NY以外にどこにも行けないのだ。
(これって かなり悲しい。)

ナイアガラは 行くことにするまで知らなかったのだけど
アメリカ側とカナダ側にまたがっている。
カナダ滝を見たければ 国境を越えるのだ!!
人に言わせれば カナダ側のほうが眺めも迫力もすごい、
っていうことで 国境を超え、カナダに一泊ということにした。

そうなると、いちおう外国に行くことになるのだから
もろもろ下調べが必要になり、何だかえらい手間取ってしまった。
たとえば ビザとかお金とか免許証(レンタカーの場合)とか。

まぁ バタバタしたけれど 無事に行って帰ってこられた。
しかも お天気は最高! 気温も上々! 人出もちょうどいい感じ。
道を間違ったり 予定より食費がかなりオーバーしたけど、
(世界有数の観光地ということで 物価がやたら高い、
のに加えて消費税が13%。NYでも8.8%なのに。)
まぁ、それも ご愛嬌、、、、っていうか ここから涙の節約生活ですな。

それにしても 虹が何度もかかるのは素晴らしい眺めでした。
(滝のしぶきと太陽光によるもの。)

でっかいところに行きたかったので 大満足の週末でした。



2011年9月26日月曜日

秋の花粉。

じっと先を見るウサ子。近所の農場にて。
 連休中のイベント、無事に終わったと報告を受けほっとしてます。
ご来場くださった方、お買い上げくださった方、ありがとうございました。

さて この頃の話。
何だかここ数週間仙一が鼻水、くしゃみが止まらない。
あやしい、、、、、、、


案の定、近所に住む人々から秋のアレジー報告が。
今年のNYは 秋の花粉がすごくて
通常以上の患者が医者に押しかけているそう。
仙一は 春の花粉にだけ反応していたが
今年は どうやら 秋の花粉にもやられているみたい。

おまけに りんごを夕飯の後食べたら
口の周りに湿疹がでてきて
のどが 締め付けられるように苦しいと言い出した。

いままで 果物で反応したことはなかったのに、、、、

近所の女の子は ある日、急に呼吸困難になって喘息を発症。
学校でも苦しくなるので 保健室に呼吸を補助する機械を預けることになったほど。
仙一も 花粉の季節は軽い喘息のような症状をだすので
その話を聞いて 身の毛がよだった。

幸い ここ数日は咳も少ないし、割と落ち着いているのだけれど。。。。

父ちゃんも私も アレルギーを全く持っていないので
対処法に途方にくれる。

ま、体質改善とか頑張ってやってみるしかないかな。

そういうわけで 毎日スクワットを仙一と始めた。

コレがけっこう きついのね。
私が先にギブアップしそうだ。
たった10回ですぜ。。



2011年9月14日水曜日

Japanese Lunch Box おべんとう



















やっと学校が始まって まだまだ 落ち着かない毎日。
本日4日目。

去年は(6月まで)仙一はホット・ランチ、つまり学校が出す
いわゆる 給食をとっていた。
仲間と同じものを食べたかったそうで
毎日毎日 うんざりするようなアメリカーンなランチ。
(基本はハンバーガーかチキン。)

ときには フライド・ライス(炒飯)や タコ(メキシコ料理)が出たりするし
金曜は毎週ピザだから そういうときは嬉しかったようだが
年度末が近づくにつれ、「オレ、もう学校のランチ嫌だ。」と言い出した。

収入のよほど低い人は激安のランチ、でも 普通の家庭なら
一食1.5ドル。(まずい牛乳付き)
月額にして30ドルくらい。
安いっちゃ安いけど 栄養面や味のことを考えると疑問に感じる。

結局 新学期からはお弁当にすることに。

帰ってきたよー お弁当を作る毎日が。

ま、父ちゃんのお弁当を何年も作っているから
大した苦じゃないのだけど
今まで手を抜いていた弁当づくりを
これを機に見直すことに。

どうも 日本の弁当というのは他の国の子たちには
珍しいし、変だし、ときには おいしそうだし、
興味津々だそうで この間もおかずをけっこう
あげちゃった、と言っていた。
そう聞けば ますます気合が入る母である。

数年前よりも 日本食が手に入りやすくなったし
仙一の食べるものも増えてきたし
やっと 卵を食べるようになった!)
アメリカに来た当初よりは 充実した弁当生活になりそうだ。
(あのころは 厳しかったなぁ。。。)

もちろん キャラ弁なんて遠い世界のことだけど!

PS でも 今日はチリ・スープと
  クラッカーという脱・日本食のメニュー。

2011年9月9日金曜日

遠い空の下で

NYに戻ってまだ一週間に満たない。
時差ぼけもだいぶ解消、そしてそして本日より
やっと 仙一の学校が始まった。
今日から4年生だ。

長い長い夏休み。
2ヶ月以上あるので 今朝は久しぶりに会う父兄の皆さん、
「LONG TIME NO SEE!! HOW ARE YOU ?」の連発。
それで 今日から毎日顔を合わせることになる。
4年生といえども まだ 一人で登下校はしないのだ。
今年も毎日迎えに行くのだ、母は。
(深いため息ーふぃーーー。)

さて 日本に帰省中、色々お世話になった方々、ありがとうございました。
今年は東京滞在が短かったので 残念ながら会えなかった人も
多かったのですが また来年があるさ、ということで、、。

それにしても 仙一の日本に対する愛情は深まる一方。
毎度のことなんだけど、帰りの飛行機では 大号泣。
年齢が上がるにつれ、感受性も豊かになるので
余計に気持ちが高ぶるのかも。
今年は 震災のこともあったし 
懐かしい友達にも会えたし
オジちゃんにたっぷり遊んでもらえたし
、、、そりゃそうだよね。

泣きべそをかきながら 仙一の撮った成田周辺の空。


    空はひとつだぞ、仙一!!


一方、大人としては 被災地に住む義理の両親を
心配なままにしてNYに戻るのは 複雑な気持ちである。
それでも 今は自分達の主としている生活に戻ることしかできない。
いろいろと 被災状況を目の当たりにしたのだけど
それは後日 書くとして。

とにかく学校が始まったので
やっとPCに向かうこともできる。
9月に予定されているイベント(MINIかもめブックス)のことも
紹介したいし、あれやこれややること山積み。
イベントの詳細は別ブログにて紹介するので
見てみてください。
   絵本 IN USA

2011年8月12日金曜日

まるで外人、、、。

東京メトロ?
都営地下鉄?
大江戸線はどっちじゃ?

パスモ?スイカ?
新しいシティーライナー?
スカイライナーと何が違うんだ?

いちいち調べるはめに。。。。

まるで おのぼりさんだなぁ。

NYの地下鉄は路線は多いけど
券はただひとつ、METROカードでOKだ。
料金も決まっているから ややこしくはない。
電車からバスも乗り換え一回は無料。
(その逆もOK)

でも 値上がりが甚だしく ここ一年で
お得感が無くなった。

ちなみに子供もある身長以上は大人と同じ料金。

いいんだか悪いんだか、さっぱりわからない。

さて、東京。。。。

路線を間違っても怖い思いをすることは無い。
それだけは 安心材料。

2011年7月28日木曜日

幻の赤い鳥

外を歩いていていると 目の端にすーっと赤いものがよぎる。
空を飛ぶ赤いもの、それが幻の鳥、、、、、、
、、、あ、、、、
名前が急に出てこない、なんだっけ、ほら、メジャーリーグの
球団にもある名前だ、えーっと、えーっと、
そうだ、カーディナル。

毎年 この鳥とは一年のうち一回くらいしか出会えない。
だから勝手に幻の鳥、としている。

先週、うちのアパートのエントランス付近で
そのカーディナルを目撃。
あわてて 携帯電話のカメラで取ったのだが、
何せ携帯カメラだからズームにも限界があった。

←この木の中に巣がある様子










←中央に
赤い色が
かろうじて
みえる?!











本来はこんな鳥。













そして その日の夕方、仙一をサマー・キャンプから連れ帰り、
アパートに着いたとき 今度はきれいな鳴き声が聞こえてきた。
あれ、またカーディナルじゃない?
周りを見回したけど 赤い色は無く、その代わり
オレンジ色の口ばしと長い尻尾の鳥がいて
美声を発している。
「また、新種の鳥だよ。写真とっとこ。」
















うーん 見えにくい。
移動したところをもう一枚。

















み、見えにくい。

家に帰ってから 調べたら
何と こちらはカーディナルの雌だそうだ。
オスは鮮やかな赤なのに雌はジミ。
それで どうやらこの二羽はカップルらしい。
スズメと違って美しい声で鳴くので
これからは色だけじゃなく鳴き声で近くにいることが
分かるようになりそう。

ちなみに雌はこんなんです。











可愛いぃ。

NYでは比較的よく見られる鳥なのだそう。
でも うちの周りはレンガのビルだらけ。
あまり自然があるとはいえない。
それでも彼らに会えるということは
やっぱり ラッキーなことだ。

最近は外出時にやたらとキョロキョロするようになってしまった。
明らかに挙動不審、、、、。

2011年7月20日水曜日

いざ 日本へ。

うー とうとうNYも暑くなってしまった。
それでも日本よりはましかと思うけど
じっとしていると 汗がジワジワと、、、、。

さて この夏は手術もあったことだし
一時帰国はどうかな、、、と術後の経過を見てましたが
一応ドクターも8月なら飛行機に乗ってもいいよー、と
言うので 帰ることに決まりました。

とはいえ 例年のように東京には長く居られない。
5日だけどす。
その間に米国大使館に用があり、1日は潰れる。。
仙一は友達に会って遊びたいのだけど
そのお友達たちも 夏休み、どう過ごしているんだろう。
上手く都合が合えばいいんだけど、、。

いつもと違って 自分の体のこと、震災のことが
大きく影響しているので ワーイワーイ、日本に帰れるぅ♪ という
楽しい気分になかなかなれない。
いつもなら あれして、これして、あれ食べて、飲みに行って、、、、と
やりたいことだらけなのに。

でも 会いたい人たちに「無事に」会える(かも)なので
それだけで 嬉しい。
願わくば それまでに暑さが和らいでいて欲しいなぁーーーー。

あ、コバトの皆さん、今年こそはメンバーだけで集いたいっす。
できるかな できるといいな せっかく生きて帰れることだし。


PS アメリカでも女子サッカーの話題で持ちきりだった。
  ちょうど午後2時からだったから ばっちり観戦。
  晩御飯は冷やし中華・ごまみそダレでお祝い。

2011年7月7日木曜日

時を越えて

仙一はすでに夏休み、2週目。
今年は日本の小学校での体験入学をあきらめたので
サマーキャンプに参加させている。

キャンプ、っていっても 泊りではなく
毎日早朝から夕方まで学校で過ごすこと。
夏休みには あらゆる学校やら保育施設やらが
さまざまな趣向をこらしたキャンプが開かれる。

仙一のは 朝から晩まで郊外の広い敷地の学校で
遊び放題、プールも一日二回のレッスン付き。

というわけで 私は朝から夕方まで
療養と言う名の のんびりタイムを過ごしている。

のんびりにも程があるのだけど
実際 疲れやすいし 色々な活動の制限があって
本を読むか 編み物するか、、、くらいしかできない。
この間は調子に乗って ミシンかけまくったら
かなり疲れてしまい、反省。
いまだに PCも30分で具合が悪くなる。

そんなこんなで このところ本棚にあった古い本を
読み返している。

「ルイズ 父に貰いし名は」松下竜一著

実は若い頃読んだことのある本。
NYに来て たまたまブックオフで見かけて
買って読み直したものだ。
そのまま書棚にあったものを ふと手に取ると
数年前に読んだはずなのに
読んだことがないような新鮮な気がして、
それで 再読。
(結局3回読んでいる。歳をとってボケると同じ本で
何度でも新しい感動を味わえることが発覚。)

内容は大杉栄・伊藤ノエの四女、ルイズの生涯。
大正末から戦中、戦後の時代をアナキストの娘として
生きざるを得なかった彼女の苦悩の日々。

病気療養中には ちと重いけど
またしてもズンズン読んでしまい、今朝読了。
やっぱり この辺の時代のものは興味深い。

お陰で英語がまたしても怪しくなりそう。
つぎは 英語の本を読まねば。

あ、もし この本を読みたい方がいれば送ります。
(実家にもう一冊あるから)
NYの本棚もパンパンになってきた、、、、。
ちなみにこれはハードカバー版です。

2011年7月2日土曜日

Ben &P

退院して1週間が過ぎた。
人間の体はすごい。
先週はベッドでウンウン唸っていたのに
ここ数日は近所をゆっくり歩くくらいなら
できるようになった。

それにしても
この一週間、人生でこんなつらい事はなかった。
仙一の出産後も 微妙につらい日々だったけど
それをも上回る苦しみ、それは Ben&Pのせいである。

日本語で書くとなまなましいので書きませぬが
この頑固なBen&Pのお陰で
くらーい気分と痛みに襲われたのだった。。。


退院時、家で飲むように指示されていた薬が
いくつかあったものの
英語を読む気にもなれず
必要な痛み止めのみ飲んでいた。

ある日、はっと気づいた。
もしかしてこのBen&Pって 薬で緩和するように指示が出ていた?!
慌てて指示書を辞書と首っ引きで読む。

あるわけよ、そこに、毎日飲めって薬が。
そうでしたか、、、それでこんなにつらいことになってしまいましたか。

それにしても つらすぎる。
その日以来 薬は摂ったものの
効果はなく、一日中ドヨーんとした気分で過ごす。
もちろん 効果があるというヨーグルトやら繊維やら
ものすごい食べたりもした。
しかし、数日後には 限界がやってきた。
食欲もなくなり 脂汗は出るわ、、危険な状態。

あきらめて薬局に行き、相談し、他の薬を試してみた。
これも すぐには効かず、、、ああ、もう救急車かも、、と
もんどりうっておりましたが
しばらくして 全てが解消され、平和が訪れたのであった、、、。


うーん、情けない話だけれど 記録として残しとこう。
このおかげで また新たな英単語を習得できた。
でも、ぜんぜん嬉しくない。

2011年6月26日日曜日

とはいえ 作ってもらう食事は。

メールをたくさん頂きました。
ありがとう。
PC前20分が限界なので(今のところ)
ゆっくり返信していきます。
待ってて下さい。


という訳で プチプチ報告をしていく。
というのは自分の記録でもあり、
最近の物忘れの激しさを恐れていることもあり、、。


今回 手術の前後のヘルパーに兄を頼んだ。
はるばる四国から27時間かけて来てくれた。
会うのは仙一が10ヶ月のとき以来、9年ぶりだ。

まぁ 実の兄妹なので気が楽だ。
彼はまだ独身なので家事も出来る。
これが何より助かっている。

人にご飯を作ってもらうことの有難さ。

退院した日にご飯と味噌汁があることで
食卓が輝いて見えた。

男子にしては手際がいい。
やはり アウトドアー系の仕事と趣味があるからか。

という訳で 夏に里帰りするまで
「誰かのご飯」を食べられない私が
今年は早くありつけた。

それにしても 人の作るものって面白い。
自分の発想には無いことがあったりするのね。

う、もう限界 次回につづく。

2011年6月25日土曜日

帰ってきたよー。

火曜に手術を受け、木曜の夜に帰ってきました。
無事、生還。イエーイ。

入院は2晩だけという 厳しいアメリカ。
でも もう早く帰りたくて、、、

だってさ、手術の翌日、朝は
フレンチ・トースト
お昼は 何とラザニア。

食べれるかっ。

看護師いうには 食べないと
薬の副作用で どんどん具合悪くなるよ、、、って言う。
食べられないって。
匂いだけでげんなり。

どれほど家が恋しかったか。


まだまだ よろよろなので
後日 ちょっとずつレポートします。

とにかく 生きて帰れただけで、、、良かった、、、。

2011年6月9日木曜日

ダンスとギターと朗読と。




さて 今日は親バカ全快でいってみよう!

先月の下旬、仙一の学校で夜、
International Festivalというイベントがあった。
これは各国の文化をステージで表現するもので
ダンスやピアノ演奏、バイオリン等
特技のある子がオーディションを受けて
舞台に出ることができるものだ。
(4年生以上・ロシアとインドばっかりだ、とほほ)

仙一のクラスは3年生だが唯一クラスみんなで
ダンスで参加、ということになった。
曲はNY☆JAZZ。
毎週体育の時間にクラスで練習し、
仙一にしてみれば舞台なんて初めてだから
どうなることやら、と思っていたけど
級友もいるからか それほど緊張もせずに無事終了。

そして それから数日後。
今度はクラス内のアフリカ・プロジェクトの発表会。
この日 いきなり仙一氏は「学校にギターもってくから」と言い出す。
何のため?、と思ったら アフリカの曲をみんなの前で弾くと言う。

え”っ!あなた、弾けるんですか???

疑問のまま教室に見学へ。
すると 仙一のほかには
アフリカのダンスを踊る女の子もいて
どうやら有志であるらしい。

そして 仙一の演奏が始まった。
正直に言って ギターレッスンは受けているけど
弾けると思っていなかったので
心底びっくりした。
しかも どうどうとやってのけた。
先生が「もう一回、今度はみんなも歌おう!」と
何故か子供達もこの曲を知っていた。
それにもびっくり。
ああ、勝手に成長している。。。。 

☆ ☆ ☆

そして先週の土曜日。
ある人から頼まれて 仙一がゴスペル・コンサートの会場で
詩の朗読をすることになった。
場所は UPPER WESTSIDEの教会。
これは日本の震災に向けたベネフィットコンサートで
しかも東北出身の人たちが主に活動されていたので
コンサートの合間に子供達に
宮沢賢治と石川啄木の詩を英語で朗読する、という企画。


仙一氏には啄木の短歌二編を読んでもらいたいと言う。
最初嫌がるかな、と恐る恐る聞いてみると
「いいよ、やるよ」と 即答。
あのぉ、一応2-300人のお客さんの前だけど、大丈夫?と
念を押したが 「大丈夫だよ!」と軽い返事。
親としては「怪しい」と思ったけど
これまた堂々とやってのけたのである。
他に13歳の男の子と10歳の女の子が賢治の詩を
読んだので 多少は気が楽だったのかもしれない。

それにしても いつの間にか度胸もついて
自発的に動く子になっていた。
保育園の頃はどちらかというと
人の後ろでチョロチョロしているタイプだったのに。

 これは多分仙一がもうアメリカ人になってしまったのだ、
というのが我が家の見解である。
最近は自己主張の塊で 手を焼いている。


それにしても このゴスペル隊が素晴らしかった。
鳥肌ものでした。







2011年6月2日木曜日

WORKING MAN'S CAFE


老けても禿げてもかっこいい、それって重要


















手術は6月下旬に変更したので
しばらく ゆっくり過ごせることに。

この数ヶ月 震災のことや自分の病気のことで
心底疲れてしまったので 久しぶりにYOUTUBEで
好きなミュージッシャンのビデオを見まくっていた。

CD、レコードは実家に置きっぱなしなので
聞きたくても聞けないものが多く 
買いなおすのも もったいないので
YOUTUBEで我慢している。

でも 現役で頑張っている人のCDは買うのだ。
そういう所は守りたい。
ダウンロードじゃなくて CDを買うんだ。

そうして 発売から2年が経ってしまったけど
RAY DAVIESの新譜、WORKING MAN'S CAFEを買って
ここのところは グルグルかけまわしている。

相変わらずの彼のスタンスに脱帽。
決して過去の人ではないのが素晴らしい。
しかも 現代っ子の仙一にも感銘を与えている。

ここで 凹みからまず脱出。

今朝 友人Kから届いた小包のなかに
岡本太郎展の図録が入っていた。
おおおおおおぉぉ、記憶がよみがえる!!
思えば 岡本太郎だった、そうだった。
そうだそうだ、の大合唱。
(意味不明)

これで 凹みからさらに脱出。

ありがとうK嬢。みごとにツボでした。

そんなわけで すこーしずつ気力を回復させ
手術に備えたいと思う今日この頃。



2011年5月20日金曜日

やくしん!











学校からの帰り道。
空を見上げると 電線にクツがぶら下がっている。
どういうわけか 学校の周りにはこの風景がよく見られる。
そして そのまま何年もぶら下がっている、、、、。

**********************

さて コレも記録。
またしても仙一の話。

昨夜 寝る直前になって
背中やお腹がかゆいと言い出した仙一。
変だな、、、、どれどれ、、、と
背中を見ると一面に 赤いポツポツやら
皮膚が盛り上がったように赤くなっている。

ありゃー これは酷い。

「この間の 咳の薬のせいだよ、絶対。」
と、仙一は言う。

そうだ、その前の晩、咳がかなり出たので
咳止めを飲ませたんだ。

「前に飲んだときも カイカイが出たじゃん。」

ああ、うっかりしていた。
とにかく咳を止めることしか考えていなかった。
そうだ、前回もジンマシンが出たんだっけ。

「ううううううう かゆいよぅ!!!!!!!」

と言いながらも 眠気に勝てず寝てしまった仙一。

実はその薬は 友人ママから譲ってもらったもの。
彼女の子供(同じ歳)に処方されたものだったが
花粉症からくる咳がひどい仙一のことを案じて
その薬を持ってきてくれたのだ。

何度か飲んだあとに 最初の薬疹
(薬による発疹が出ること)がでたから
そのあとは飲ませていなかった、、、それなのに。。。

ああ、やってしまった。

慌ててネットで子供の薬疹について調べる。
英語のサイトだと
RASH(発疹)が出たら 医者に相談のこと、
口、顔などが腫れ上がったり、呼吸がおかしくなることがあり、
場合によっては命に関わることもあるので
ER(またか!!)に速やかに行くように、と書いてある。
、、、、、、、焦る、、、、、、、。

呼吸困難になっていないか不安で
何度も仙一の様子を見に行く。
いつもより 異常なまでの汗をかき、
かゆいお腹をボリボリ掻いている。
でも ぐっすり眠っている。

心配だったけど 気づいたら私も暴睡していて
朝になったら 薬疹は消えていた。

ほ。

今まで 薬疹のことになんて無頓着だった私。
非常に反省しました。
実は発疹の出た薬は二度と使わない方がいい、
次に使うときの方が薬疹がもっと強く出て
症状も悪化するとの事。

今回は使った後 一日経ってから
発疹が出た。前は飲んだ直後だったのに。
そういうように 数日後発症することも多いそうだ。
しかもこれは使い慣れた薬でも
起こりうることらしく、どんな薬、例えば
その辺で売っている風邪薬でも起こるとの事。
ああ、そんなこと考えもしなかった!!


これからは 医者にかかるときには
この薬のことをあたまに置いておくこと、
また 安易に薬を与えないよう
気をつけて過ごさなくては。

(もともと病院も薬も好きじゃなかったんだけどなぁ、、)

2011年5月17日火曜日

ERにいくはめに。

記録としてつけておく。

水曜の夜から仙一の様子がおかしくなった。
熱が出始め 深夜にいきなりモドし、下痢。
ここ数年そのようなことがなかったので かなり焦る。

翌朝も嘔吐、下痢、高熱。
気分が悪くて 水分も取れない。

いつもの医者が休暇中なので
知人に聞いた予約が不要というロシア人の医者へ急行。
ここで お腹の触診で痛みがある、ということから
いきなりER(救急治療室)に行くように指示される。

ERのある病院は近所にもあるが
医者が「あそこは最低だから ここか、あそこへ行くように。」と
病院の指定を受ける。
父ちゃんの帰宅を早めてもらい 車で20分ほどの
子供専用の救急病院へ行く。

かなり混雑していて 受付のおねーちゃんも
「今日は異常に混んでいる。満月だからかしら?」。

痺れが切れるほど待たされて ようやく診療してもらう。
ここで 英語力の限界を知った。
「OJBCUT(V(VU(V&&&**」
「????」
黙って辞書を差し出す。

医者が言ったのは「APPENDICTIS」。
辞書で指差してもらい、虫垂炎かも、と言うのだ。

うーん 身近に虫垂炎をやったことのある人がいないので
夫婦ともども 理解できない。
困ったなぁ、、、と スマホで検索して大まかな知識を得、
ようやく医者の言うことがわかった。

そこから深夜2時まで飲まず食わずで 検査等に付き合う。
結局 虫垂炎の可能性は低い、多分胃腸炎、ということで
帰宅できると思いきや、
「今夜は入院してもらいます。」

そういうわけで 急に病棟に移され、
一晩中仙一は点滴を受け、私は隣の安楽椅子兼ベッドにて仮眠。

翌日の昼までには帰宅できると思ったら
なんだかんだ待たされて 結局退院したのは夕方5時半。
(この間 仙一はTV見っぱなし。我まま放題。)

簡単にまとめると 胃腸炎(近所で流行ってるとの事)で
虫垂炎の疑いがあったから 念のため入院させられた、のである。
子供の虫垂炎は進行が早く、危険を伴うそうで
そりゃ そうかもだけど ERってものすごくお金かかるし
本当にそこまでしなけりゃいけなかったのか??と疑問も残る。
父ちゃんも成り行き上 金曜は会社を休み、
仕事のしわ寄せが土日に食い込んでしまった。

それでも NYでも有名な子供専用病院に行って
体験入院したのは今後の参考になった。
(意地でも前向きな私。)
ずっと 入れ替わり立ち代りやってくる医者、ナースにも
英語で説明し続けたため、医療用語の語彙数も増えた。
あーあ まだまだ試練は続くよ。

PS 面白かったのは教育委員会からの人が来て
  退屈しまくっていた仙一にドリルを渡し、
  やったらチェックしに来るから、と言ってきた。
  ちょうど NY州の一斉テストの期間だから
  学校を休むのは問題があったのだ。
  このテストについては いつかまた書く予定。

  それにしても この病院はすごく設備がよく
  応対も良かった。
  私もできることならこんな病院で診てもらいたかった、、。


 *メールの返信がますます遅れています。
  もうしばらく お待ちください、ごめんなさい。

 

2011年5月3日火曜日

この日々。

うーむ 色々ありすぎて どこから書けばいいのやら。
とにかく 5月に入ってしまった。
まずい、、、。


4月の中旬から11日間、仙一の春休み。
この間、父ちゃんが日本の実家へ
被災状況と両親の様子を見るために帰省していた。
母と子だけで過ごす春休み。
これが日本なら 大して問題じゃない。
子供は勝手に遊びに行けるから。
一人で遊びに行かせられないNYの
毎度ながらの 親子べったりの毎日だ。

この頃は自分で友達に電話して
公園で遊ぼう!と仙一も自主的に活動するんだけど、
どっちにしろ 相手の親も公園に来るのだから
話をせざるを得ない。

仲良しのJ・Bのママ、メアリーは話好き。
この間は3時間しゃべりっぱなし。
しかもNY訛りの早口だから
聞き取りにくい!
それに耐えること3時間。

メアリーじゃなくても 他の親御さんでも
子供の様子を見ながら しゃべるのはくたびれる。
一人で本でも読んでいたいのに。。。


と、まぁ 毎度の休みの愚痴な訳ですが
それに加えて 父ちゃんがいない。
しかも 持病の悪化により
体調ゼッ不調。

父ちゃんのいない間に
危うく気を失って救急車か、、、という状況に陥り、
どうにか 無事夜が明けるのを祈りつつ
半分意識を失って朝が来ました。
ああ、怖かった。
(仙一は何も知らず グーグー寝ていた。)

さて そんなこんなで今月末、手術になりました。
詳しいことは書かないけれど
ぼちぼち できるときに 記録を書いていきます。

それで この数週間、連絡くださっている方、
返信が遅くなって申し訳ないです。
やっと PCに向き合えるようになったので
徐々にメールをいたします。
待たせてごめんなさい、心配おかけしてごめんなさい。

とにかく 夏に日本に帰ることを目標にしばし
病気と向き合います。

PS とうとうテロ首謀者というひとが殺害された。
  却って報復テロが起きるのではと
  不安で仕方がない。
  今年は 本当に色々なことが起こって
  気持ちも体もついていけない。
  

2011年4月12日火曜日

やれること、やれないこと、やりたいこと。

募金活動が近所でも活発。
それに参加するよう 各方面から
メール等で連絡が来る。

先週末、仙一の学校の校庭で
チャリティー募金活動があったので
それには 参加した。

それでも 私が、私が!!!と
中に入って立ち動く気にはなかなかなれず、
晴れ晴れとしたボランティア活動とは言えなかった。

体調の不良がまだまだあって
そのことで家族にも迷惑をかけていることも
ひとつの要因だけど もともとヘンポライだから
(うちの母さんは 変人のことをヘンポライ、と謎の単語を使う。)
仲良く皆さんで頑張りましょう、と 張り切れないのである。

こんなこと公で言うと問題だから 内緒だけど
本当はそうなんです。

別に誰かと力を合わせなくても
ひとりでもやれることはあるはずだし
やるべきことが決まったら 
それから 人に応援を頼んでもいいのだし。
とにかく むやみやたらに「お金を集めなきゃ!!」と
走り回る人たちを見て 不思議な思いに駆られる。

いや、人とつるんでやることに意義を感じる人、
それが性に合っている人はそれでいいと思う。
存分にやって欲しいと思う。
でも 強制や圧力はごめんこうむりたい。
(断っておくけど 学校のボランティアでは そういったことは
一切無かった。一人で企画を切り盛りしてくれた方に
感謝もしている。実際大変だったと思う。)

何かね、文化祭のようなノリになっているのが
怖いんです。簡単に言うと ただそれだけの理由かも。

2011年3月29日火曜日

CUPCAKE FOR JAPAN














震災後 あちこちで募金活動・義援金活動が
NYでも活発に行われている。
仙一の学校には 日本人家族が多いので
学校側も 義援金を集めよう、となり
何かと募金を募るときにとる方法、
CUPCAKE BAKE SALEというものを行うことになった。
(学校によってスタイルは全く違う。うちの学校はたいていこの方式。)

子供達に1ドルずつ持たせて
カップケーキを買ってもらい、収益にするというもの。
ハイチの地震の時には 1800ドル($1=100円計算だと18万円)集めたそうだ。

カップケーキは焼ける父兄の持ち寄り。(ボランティア)
今回は日本が被災地だから
日本人家族もケーキを焼いて持ち寄ることに。
でも それだけでは何だから
仙一のクラスメート全員に 和紙で作った小さな鶴を
お礼にあげるように準備をした。
果たして 喜んでもらえるか、微妙だけど。

さて そんな震災のことばかりの続く日々の中、
仙一君が2年ぶりに表彰された。
うれしいニュースである。
冬休みにヒーヒー言いながら仕上げた
サイエンス・プロジェクトが好評で
クラスのなかで、だけど3位。












去年、一度も賞をもらえず、今年も駄目だと
あきらめていたので かなりうれしい様子。
彼のクラスは 特別に選ばれた子達ばかりなので
その中で 成績が良いとか、行いがよい、といって
評価されるのはなかなか難しい。
現にこれまでの 表彰されている子達は
女子ばっかりである。

がんばれ男子!!!

私はクラスメートの男子に 同情せずにいられない。
彼らは 実に単純で アホなのである。
じっとしていない、馬鹿をやる、ゆえにすぐに怒られる。
つくづく可愛いと思う。
でも やっぱり 表彰されるには程遠い男子たち。。。
27人中、男子は9人。
分が悪いよ、、、、、、、。


ふふふ、でも 昨日はうれしそうだったなぁ。
たまにはご褒美が必要ですな。



2011年3月22日火曜日

現地から。

昨夜 父ちゃんが試しに
実家の携帯に電話をしてみたら つながった。
つながってびっくり。

震災後 かけてもかけても繋がらない電話。
むなしさだけが 募っていた。
その後 義母が避難所にある衛星電話を
長い列に並んだ後、ようやく使えて無事を知らせてくれた。
そのときは 詳しいことが聞けずじまいだったから
現地の様子が さっぱりわからなかった。

そんな訳で やっと夕べ長い話ができて
災害発生時の状況を聞くことができた。

義母はその時 外出中で、あわてて自宅に車で戻ったとのこと。
その数十分後、津波が押し寄せ、彼女が居た場所付近は
流されこそはしなかったが 浸水被害にあったそうだ。
よく自宅まで無事にたどり着けたものだ。
別の町では 車で避難の途中、車ごと流されていった人も多かった。
考えただけでも ぞっとする。

義父はその時 自宅にいたので その後は二人で
真っ暗な停電の続く中、世の中で何が起こっているか
全く知らずに4日間を過ごしていたそうだ。

4日が過ぎて 電気がついて TVを観て
隣町が壊滅状態と知り、絶句。
私の実家の 大地震を知って びっくり。
福島の惨状も このときまで知らなかった。

現地では 町の半分が大被害を受け、町の半分が
あまり被害にあわずに住んだ。
彼らは 浸水も無く 家のなかも少しの被害で済んだ。
ある種ラッキーだったと言える。
それでも 断水、停電、外部との連絡が一切取れず、
食料もだんだん尽き さぞかし不安なことだったろう。
(今も 食料は3時間待って僅かの食べ物しか貰えないそうだ。)

避難所の人たちは 避難者リストで安否がわかったりしたが
自宅で過ごしている人たちには 食料もまわらず、
医療も施されない。名前も名簿に載らないので
安否確認がかなり手間取る状況だ。

私たちも 最初は二人とも避難所にいるかと思って
手当たりしだい 探したが見つからない。
もしかすると 買い物等で別々の場所で災害にあって
自宅より遠いところに避難しているのかも、、、と
あちこちの避難所の名簿を探してみた。

そして 居ないとなると えもしれぬ不安が襲ってくる、、、。

それでも 災害後の航空写真が公開され、
自宅を見てみると 小さく車が2台、写っていた。
多分、家にいる!!!
そう確信して連絡を待っていたのだ。

それにしても ニュース、その他でわかってくる惨状を
目にするたびに いいようのない気持ちに襲われる。
結婚して10年、帰省するたびに出かけていったあちこちの
なじみの場所が もう無いのである。
隣町も またその隣町も 釣りに行った海岸も
海水浴場も、もう、原型を留めていない。

しばらく 言葉にならない。

2011年3月20日日曜日

そして1週間。

長らく更新できなかったわけは 他でもない、
日本の大惨事で 右往左往だったからだ。

父ちゃんの実家のある東北の町は
かなりの被害だ。
彼の両親の無事を確認するまで4日かかった。
それも 数十秒の電話で声を聞けただけ、、、。
それ以来 依然として現地と連絡が取れていない。
それでも とにかく無事と言うだけで やっと
一息つけた。

その後 2時間ほど経って
今度は私の実家のある静岡・富士宮が震度6.
幸いこっちとはすぐに連絡が取れて
家族は無事だった。
家の中はめちゃくちゃのようですが。

このダブル・ショックに かなりこたえました。
見渡せば我が家も めちゃくちゃな状態。

今回、たくさんの方から連絡を頂いて
協力してもらったり、励ましてもらったり。
本当にありがとう。

また、こちらの友人家族にもかなり助けてもらいました。
感謝感謝です。
特に 仙一に悲惨なニュースを見せ続けたくなかったので
友人宅に預かってもらって ご飯まで食べさせてもらったり、、、。
実にかたじけない、、、、、。

被災地の詳細がまだわからないので(ニュースでは
おおむね把握できますが、、。)
心配事が尽きませんが また近日中に
近況報告をしたいと思ってます。

PS 体調はやや良くなりました。
  点滴の後、腕がパンパンに腫れ、お箸が持てないくらいに。
  やっと それも治った。。。。。

2011年3月5日土曜日

MET美術館 & BORDERS














ミッド・ウィンター・リセス(真冬休み)の間、
結局 サイエンスのプロジェクトを完成させなければならず
外出もプレイデイト(遊ぶ約束)も 大して出来なかったので
腹いせ(?)に 仙一とメトロポリタンミュージアムへ
出かけてきた。

というか 私の勘違いだったことが後で判明したのだが
ポンペイの遺跡の一部が展示されているはず、と
ここのところ にわかポンペイ・ブームの私が
はりきって仙一を誘ったのだ。

行けば、ある。
勝手に確信して いざMET(美術館の略称)へ。

基本的には 入場料が20ドル。子供は12歳以下は無料。
しかし この金額は高いし あくまでも「提案」と謳っているので
誰でも 好きな金額を払って入ることが出来る。
人によっては1セントだけ、とか、1ドルだけしか
払わない、と言う人もいるけれど
それはねー やっぱりねー ちょっとねー、と
いうことで 5ドルだけ払って 入場。
(それでも5ドルかよ!って感じだけど NY在住で税金も
たっぷり払っているのだから、それで良しとして欲しい。)

さて グルグル回っても ポンペイは見当たらない。
あっれー おかしいなぁ、、、、。
館内地図にもない。

仙一曰く、それって 自然史博物館じゃない?あったの?

ウーム。
そうか、そうだったかも。

でもさー 仙ちゃんと二人でMETに来たかったんだよー。

すかさず 仙一、
えぇー、二人で来たことあるじゃん、
ゴッホの写真を僕が撮りたくて。

!!!!!!!!!!!!

そうだった!
一年前に 来ていた!
その時は地下の図書館で絵本を見まくったのだった!

お母さんは絶句だよ。
すっかり忘れていたよ。
家に帰って 父ちゃんに話したら
「前に 入場料をいくら払うか 悩んでから行ったことあったじゃん。」

そうです、そうでした。

それにしても 毎回広すぎて 全部を見ることが出来ない。
しかも 地図を見ていても 現在位置に迷い、
あちこち ウロウロした挙句、ここはどこだ???となる。
気づいたら ネパールの文化コーナーに居たりして
そこで 道草食って 目的地に辿りつけないのであった、、、。


PS METの後に寄る予定にしていた BORDERSという本屋が
  無くなっていた。破産したとかで 店舗縮小をしているのは
  知っていたけど、気に入っていた支店が あっという間に
  閉店になっていたのだ。
  かなり歩いて着いたら 無くなっていた、
  という悲しいおまけつきの一日でした。

  

2011年2月24日木曜日

春の虫

だんだん 日差しは春めいてきたNY.
気温は上がれば 帽子も手袋も要らない
ところが 気温が下がると すぐに氷点下。
まったく 体調管理の難しい季節になってきた。
ここ数日は 三寒四温、といったところ、
春も近い、、かな、、。


さて 毎年この季節になると
どういうわけか 無性に日本に帰りたくなる私だが、
今年は仙一のほうが ホーム・シック。
年明けくらいから 「日本に帰りたい」を連発。
どういうことか聞いてみると
「コンビニに行きたい。おじいちゃんやマーおじ(私の兄)に会いたい。
ショーちゃんや皆と遊びたい。ファミレスに行きたい。」のだそうだ。
それが駄目なら ヨーロッパに行きたい。
(サッカー馬鹿もここまで来るとは、、、、。)

ふーむ。
もうちょっと待てば 夏に帰省するのだから 我慢だね、、。
ヨーロッパなんて 行ける訳ないじゃん、日本で散財だよっ。

私の最近の日本恋しいブームは、あれだ、あれあれ、
あの雑誌のせいだ、この間友人(日本人)が回してくれた雑誌に
「鎌倉特集」があったせいだ。

東京や横浜の特集だったら それほどでもなかったかもしれないけど
「鎌倉」ですからね。
この歴史も風情も情緒もなーんにも 感じられないNYに住んでいると
「鎌倉」、と言っただけで ノック・ダウン。

落ち着いたカフェでお茶。
ただそれだけで うーん、帰りたいぃぃぃ。
海辺を散歩。
ただそれだけで うーん、帰りたいぃぃぃ。
どこそこで お土産を買って、、、あぁ 夢のよう。

まぁ 現実の暮らしから遠いからこそ
よく見えちゃうんだろうけど。

このところ 日本人との付き合いも全くなくなり、
英語付けの日々だった故
なおさら ホーム・シックなのかも。
この間 久しぶりに 仲良しの日本人ママたちに会って
どうでもいいくだらない話をして 大笑いした晩は
かなりのストレス発散でした。

、、、、、私も まだまだよのう。

PS 只今 恐怖の「真冬休み」。
  10日間の休校、それなのに 宿題がてんこ盛り。
  でも 明日は意地でも MET(美術館)に行ってやる。
  次回は マンハッタン便りになる予定。

2011年2月17日木曜日

初・救急車

昨日 仙一と放課後のジム・クラスに行く途中、
舗道を杖をついて歩いていた
おじいさんとすれ違った。

ちょっと ふらついていたので
「大丈夫?手を貸しましょうか?」と声をかけると
「大丈夫、、歩きにくいけど いつものことさ。」というので
「じゃ、気をつけてね、」と 先に追い越して歩き始めた、
その次の瞬間。

ドサっという音がし、振り向いたらおじいさんが
舗道に仰向けにひっくり返っていた。

慌てて駆け戻ると 「救急車を呼んでくれ!」と言う。
おろおろしつつ 911(救急の電話番号)。
ちょうど ママ友のマリアもジム・クラスに行く途中で
通りかかり、手助けをしてくれる。
他にも 色んな人が声を掛けてくれる。
(意外に親切な人が多いのだ、、、それにもびっくりした。)

たまたま そのおじいさんのアパートの住人が通りかかり、
「大丈夫か!!」と寄ってきた。
幸い 頭を打っておらず、背中を強く打ったのと
左足に痛みがある、と 本人が言う。

意識もあるし、流血もしていないが
救急のオペレーターは 
「絶対に動かさないように。」と指示。

動かそうにも 大柄のおじいさんなので
とてもそんなことは出来ない。
ただ じっと寝たまま救急車を待つ。

この日はかなり冷え込んでいたので
寒さにもやられてしまう!と
こっちが ドキドキし、おろおろしていたら
「落ち着いて!!大丈夫だから!」と
逆におじいさんになだめられてしまった。

、、、、だって こんなこと初めてだし
救急車を呼ぶなんて人生初めてだし
しかも 正確に住所が伝わったか 心配だし、、、、

結局 10分近く待ってようやく救助隊がやってきた。

はぁぁあ、、、、、、、、ドッキリした。

自分の親の年頃のおじいさんだったので
日本に住む家族のことを思い、人ごとじゃないなぁ、と
やけに 心配になってきた。
ウーム。

☆ ☆ ☆

全く話は変わるけど
仙一が通学バックから 
こんなものを取り出して見せてくれた。















一見 レーズンの箱なので
「それ、いつのオヤツ??食べちゃ駄目だよ!!」と
言ったら ニヤニヤして中を開けてくれた。
「宝物」なんだそうだ。

う、、、、、、、

小学生っ、、、、、。

隣のナンシーが箱を折ってくれて
そこに「大事なもの」(ゴミ!)を入れてある。
消しゴムの欠片とか、剥げたシールとか。。。。

「クリスもこういうの、持っているんだよ♪」

ああ、、男子たちよ、、、、、。

2011年2月9日水曜日

辛くて熱くてすっぱいスープ。

この間のインフル感染時に
自分で作ってみて はまったスープ。
その名も HOT SOUR SOUP。
日本だと中国名 酸辛湯(サンラータン)という。
ん?何か違う気がするが まぁそんなスープだ。


この近所ではチャイニーズ・デリの
どの店にもあるメニューで店によって味が違う。
すっぱいけど まろやかで 温まる、という点は
どこも共通で、しかも 値段も安い。
(たっぷりコンで 2ドルしないのだ。)

治りかけのある日、猛烈にこのスープが呑みたくなって
家にある材料で適当に作ってみたら これが大ヒット。

というわけで 風邪の引き始め、もしくは
治りかけに体を温めるのにもってこいの このスープの
作り方を紹介しておきます。

白粉コショウをたっぷりかけるのが良い。


①なべにお湯を沸かして チキンスープの素を溶かす。

②その鍋に 少し(こさじ1程度)のしょうゆと酢(大さじ1-1.5)を入れる。

③ぐらぐらに煮立てて 水溶き片栗粉でとろみをつける。

④卵を溶いたものを ゆっくりと入れて溶き卵スープをつくる。
そして さいの目に切った豆腐を投入。
豆腐が温まるくらいで出来上がり。


THAT’S IT!!
簡単で実に体が温まる。
いつも行く店のスープには 千切りセロリ、人参、きくらげが入っている。
あと多少の豆板醤状のとんがらし。

酢の量はお好みだけど 実は ウーっとなるくらい
たくさん入れるほうがおいしいのです。

あー また食べたくなってきた、、、、。

2011年2月7日月曜日

判決を言い渡す。

  

!!
判決を言い渡す!!
!!

この冬は 最悪の冬である。

既にご存知の方もおりますが
先週月曜に仙一氏が高熱出して早退。
帰宅するやいなや 立てないほどの状況。

ところが 翌日にはまぁまぁ平熱近くまで下がり、
残すは「激しい咳」のみ。
あんまり 咳き込むので その後の2日間は
学校を休ませた。

仙一の早退の翌日。
私も何だか変な感じ。
体温計で計ってみると39.1℃。
多分人生初の9度台だ。

それでもその日は 何とか勢いで
仙一の世話やら炊事やらをこなした。
でも 熱は下がらず
下がっても8度台が続く。
頭が痛いし 体が鉛のよう。
咳き込み始めると 止まらずに
終いには 腹筋が筋肉痛で
咳をする度に 地獄を見る。

ここで不安がよぎる。
やっぱりインフルエンザ?
でも仙一は違ったぞ。
どこから来たのだ?

そんなこと考えてもしょうがない。
そこから何と今日(日曜日)まで
結局 ノック・ダウンだった。

医者に行きたくも 仙一も咳が酷かったから
学校に行けないし 
そうなると病院に同行させるしかない。
そりゃかわいそうだ。
しかも私の主治医はマンハッタンだから
えらい遠いし 状況的に一人でも行けない。
タミフルをもらって楽になりたかったが
医者行きは断念。
まぁ 半端じゃなく寒い外気に触れるほうが
危険だよね、この時期この天気では。

多分 インフルエンザだと思う。
今も微熱と背中の痛みが残っているが
気分はかなり良くなった。

記憶する限り
子供の頃から インフルエンザにかかったことは
無いんじゃなかったか。
なーんてことを うつらうつらベッドで考えていた。

ちなみに 仙一君は2年ぶり(?)の
発熱で 自分自身でもパニックだったよう。
「自分の体じゃないぃぃぃ!!!!」と
泣いて叫んでました。


皆さんも くれぐれもお気をつけて。
うちは このあと父ちゃんが罹らないことだけを
祈っております。

PS 新聞の懸賞でバスケのVIP席を当てたので
   今日は男二人でNJまで出かけていった。
   本当なら 一昨日スキーに行って
   一泊してバスケを見て帰ってくる
   ゴージャスな週末の予定だったのに!!!!
 
やはり 最低の冬だね!!

2011年1月28日金曜日

雪が溶ける前に、雪。




 
                                                                                                          





雪で仙一、学校、休み。
大した雪じゃない。
でも休み。
ま、このところ異常なまでの
宿題の量と放課後活動だったから
休んでのんびり、は ちょうどいいタイミングであった。

でも明日も雪の予報。
どうするつもりだ、教育委員長!
(この間就任したばかりで揉め事ばかり、この人。)
明日も休みなら 4連休だよ、
お母さんは気絶するよ。

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で、この間の続きを書こうと思っていたら
その後 たまたま知り合った女の子のお母さんは
「アゼルバイジャン」出身。

あ、あぜるばいじゃん????
(発音もむつかしい。)

んー、それは どこだ。
よく聞いたら彼女は 前述のジョニーの親戚だという。
ジョニーのパパの兄弟の奥さんなのだ。
えーっと、ってことは ウズベック関係?

すかさずマリア(最近良く話すロシアン・ママ)に聞いてみる。
(たまたま近くに居た。)

「アゼルバイジャンは もとソ連の国のひとつ。
だからロシア語を一応話す。
でもアゼルバイジャン語を現地では話すようだから
ジョニーの家族(ウズベック)とはロシア語で話すようね。
ウズベクとアゼルは言葉が全然違うから、、、、。」

うーむ。
なんだかよくわかんない。
でも その彼女はどっちかっていうと
中近東の顔立ち。
地図で見てみたら ロシアというより
中近東のほうが近い感じ。
ってことはイスラム教の国なのか?

時間のある時に もうちょっと
マリア先生に教えて頂かねば。
ロシアは奥が深くて複雑である。

まだまだ この話は続く。
でももう書けるかどうかわからない(笑)。

2011年1月25日火曜日

世間知らず

このところ 仙一氏の交友関係が広がり、
あちこちのお宅に遊びに行くようになった。

去年からクラスメートが変わらないので
少ない男子の仲はよくなる傾向になるようだ。

そんななか 必然的に親同士も以前よりも
話す機会が増える。
そこで 知った新たな事実たち。

ジョニーの家族は
ユダヤ教徒というので イスラエル出身かと
勝手に想像していたら(子供たちは米国生まれ)
ウズベキスタン出身の家族だった。

、、、すでに ウズベキスタンの地理も歴史も分からない私。
最近知り合いになったマリアから 色々教わる。
ウズベキスタンは ロシアのはずれの方。
基本的にイスラム教徒が多いが ユダヤ人も共存していた。
しかし 近年のイスラム勢力に押されて ほとんどが
国を捨て、別の国に移住してきているとのこと。

ずっと 彼らがヘブライ語を話しているのかと
思っていたら ロシア語だった。
見た目は イスラエルっぽいのだけど。

マークの家族。
フィリピン人かと思い込んでいた。
先日 お母さんと話していたら
「私は 中国人の両親のもと、フィリピンで育った。」という。
基本的に家での会話は 中国語。
しかし 中国語も色々あって
(このことは いつか書く、複雑なのだ。)
彼女は福建語しか話せない。
中国語を書くのは無理。
日常のタガログ語は問題なくこなせるけれど
ダンナさん(同じくフィリピン育ちの中国人)
とは 福建語でしか話さない。
や、ややこしい。

ブライの家族。
マレーシアの人とは知っていたけど
話すのは中国語。しかも広東語。
だから 多分マークのママと話すなら
英語のほうが話が早い。
聞いてびっくりだけど 実家のマレーまで
25時間のフライトだそうだ。
と、遠い。

日本なんてまだまだ近い方だね。

あ、、、時間切れ。
今日はマイナス10度。
これから 完全武装でお迎えに行ってまいります。

2011年1月21日金曜日

新入り。

 
SERGENT MURPHY



だいぶ遅くなっての紹介だけど
クリスマスに仙一が私にプレゼントをしてくれた。

それは、、、
リチャード・スキャリーのキャラクター、
犬のおまわりさんだ。

最初は 猫のハックルの縫いぐるみを
買ってくれようとしたのだが
(前から 私が欲しくて欲しくて大騒ぎをしていた。)
ひょっと見たら お隣にこの犬が並んでいて
思わずこっちに決めてしまったようだ。

仙一の貯金は大してないので
父ちゃんが半分出してやったとのこと。

、、、泣けるねぇ、、、

それにしても 可愛い新入り君、
結局 仙一の縫いぐるみ仲間コーナーに入っている。
実は 仙ちゃんが欲しかったのでは、、、。



横向き

2011年1月10日月曜日

故障の連鎖

何だか知らないけど 年末あたりから電気製品が
順繰りに壊れたり、不具合が生じたりしている。

まず TVのコンバーターボックス。
こちらの地デジ化は2008年に済んでいるので
TVをつけただけでは もう番組は見られない。
2つTVがあるのだけれど
そのうちのひとつが壊れてしまった。
修理を試みるも、、、無惨な結果に。
実はコンバーターって 高いんだよね。
それなら 液晶テレビ買ったほうが得なんだけど
(コンバーターが内臓されている。)
その余裕はないし、、、以来 1つのTVで我慢状態、。

ビデオデッキ。
古いのを友人にもらって使っていたが
巻きもどしが出来なくなった。
巻き戻らないってことは 一回見たらもうお終いということ。
どうすりゃいいのさ。

DVDプレーヤー。
ビデオが壊れても DVDで見られるからいいや、と
のん気に構えていたら これも急に壊れた。
もしかして レンズの汚れのせいか、と
クリーナーを買ってきれいにしてみたが
ダメです、お釈迦です。

コンバータボックス、そのⅡ
仕方がない、新しいコンバーターを購入。
ワクワクしながらセットするが、、、、、
どう考えても不良品。
キーっ。返品だよ、面倒だなぁ、もう。

トドメ
車のバッテリーがあがってしまった。
うんともすんとも言わない。
仕方なく近所の友人に車を持ってきてもらい
繋いでスタート。
知り合いの車やに電話したら
うちの車のバッテリーは(古いから)要交換、とのこと。
幸いすぐに処置してくれたが 120ドルの出費。
痛い、痛すぎる。
それでも 遠方に出かけていたときの出来事でなくて
良かったと、いい方に考えることにする。


それにしても この他にも微々たる電気系の不具合が多い。
いったい どういうことなんだろう。
関係ないけど このところ 耳鳴り、のような
嫌な感じが耳にあって それも気がかり。
いや、これは ただの風邪か?!

2011年1月6日木曜日

OMG 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
こちらでは 3日から仙一も学校が始まり
正月ムードなんて皆無。
年末から 父ちゃんが熱を出してぶっ倒れ、
完治まで4日ほどかかったので
仙一は私とべったりの日々となってしまった。

それでも アパートのクラスメートの家に行ったり
友人家族に誘われて出かけたりしたので
少しは気が紛れていた、、、と思っていたけど
2日の夜 寝る間際になって 一人ベッドから這い出し
リビングで編み物をしていた私のところへ来て
大泣きし始めた。
「ぜんぜん パパと遊べなかったよ、、ぅううう、、ウヮワワーン」

そりゃそうだよねー
年末仕事が大忙しで(職業柄しょうがないじゃん)
やっと 休みに入ったら 熱出してしまうし
治りかけてきたら 仙ちゃんは学校が始まるし、、

まぁ そうは言っても 父ちゃんは
正月明けて6日まで休みだから
学校の送り迎えも 夕ご飯もずっと一緒にとれるし、、
それで何とか納得しておくれ、、となだめたのであった。

そんな訳で 今週はまだ休暇モードの我が家。
(今度は私が風邪気味だよ、、、)
来週から いろいろ始まります。

今年もよろしくお願いします。