2009年12月15日火曜日

世界中の人に自慢したいよ

と、とうとう新型のPCを買った。
前のはかれこれ10年近く使ったノートパソコン。
容量が少なく、動作も遅かった。
遅いも遅い 検索に時間がかかるので
画面の前で 編み物をして待つ日々であった。。

今回は引越しをしないですんだので 買ってしまえ!と
年末大セールを逃さずに電気屋に駆け込んだ。

それにしても いまどきのPCは何と使いやすいことか!
検索もサクサクだ。ちなみにウィンドウズ7っちゅうやつです。

さて 最近の仙一くんの口癖。
「あー、また大人自慢してる!!!!」

この秋に始まり、この台詞を連発している。
大人自慢というのは 例えば
①熱いスープを 苦なく飲める。(ラーメンをズルズル食べられる。)
②ビールがうまいという。
③キムチを食べられる。
④買い物をしたいようにできる。

こういったことが 大人自慢だそうで
あー コーヒーがおいしい。
なんて呟くと また大人自慢してる!といって仙一に怒られる。

そして 今回新しく買ったばかりのパソコンをいじりたがるので
駄目だというと、また 大人だからって!!!!と オカンムリ。

2年生になって学校でPCの授業が週一回あって
パソコンの使い方をかなり覚えてきているのだ。
家でも使いたくてしょうがないらしい。
そんな授業はできればしてほしくないのだが
アメリカでは小さいうちからこの辺の勉強をさせ、
3-4年生になると リポートもPCで作るとか、、、。

私は子供PCを使わせたくない派だし
しかも買ったばかりのものに勝手に使われては!!!と
使用厳禁にしたのであるが   仙ちゃんは涙目。
「大人ばっかり、、ずるい」

そんな訳で いろいろと設定したりいじりたいのだが
仙一の見えないときにコソコソと PC作業をする羽目になってしまった。

なーんだよー 子供だって子供自慢するじゃないか。
え、子供ができる自慢って???

2009年12月5日土曜日

THANK TO KIYOSHIRO

しつこいけど 今年は清志郎を悼む一年だった。
わかるヒトにしかわからないとは思うけど
彼から(もちろんチャボからも)得たものは 
一生を左右するものだった。

ここへきて
息子・仙一に伝えられることは何か、 切実に思う。
OTIS REDDING: TRY A LITTLE TENDERNESS
JOHN LENNON;HAPPY CHIRISTMAS:IMAGINE

NYといえば 私にとってはPATTI SMITH、LOU REEDだったけど
じわっと愛していたのは 実はCURTIIS MAYFIELDだったのだ。

ウーム。
そうなのです、実は  カーティスだったんだ。
もう これ聞いて、涙。
しつこいけど 清志朗に 感謝。

、、、、、最近 感謝することばかりだなぁ、、、、しみじみ、、、、。

2009年12月4日金曜日

まだまだ夢助。

先生も走る、という12月・師走に突入してしまった。

アメリカの11月末は サンクス・ギビングの連休があって
そこから年末大商戦が始まる。
11月最後の金曜はブラック・フライデーといって
早朝(4時とか5時が殆ど)からあらゆるデパート、
電気や、服や(洋服や)が目玉商品を用意して
大セールをするのが 恒例でそれは、もう、凄いことになる。

今年 初めてそのセールに行ってみたが、、、
いやぁ、凄かった。人ひとヒトの山。
もう 来年は行かない。
行くもんか!!!

父ちゃんは別行動で 激安のPCを狙っていったのだが
どういうわけか 開店時間より早く店が開いていたらしく
当然お目当ての品は売り切れ。
やはり 初心者がこの手のセールで成功するのは
難しいようだ。トホホ。。。。。

さて そんなこんなで12月。
引越しは、というと 禿げるほど悩んだ末に
このアパートに留まることにした。

引越しを考え始めたきっかけは
更新ができないから、という理由だったのだが
その他に 近所に急増している日本人のシガラミ問題やら
上階の騒音がひどくなって 睡眠にまで影響を及ぼされだしたからだ。

しかし 日本のシステムほどではないけれど
引越しには 高額の費用がかかる。
毎夏 日本に帰る我が家には 既に余裕がない。
赤字抱えてまで 引っ越すべきか、、、、
さんざん 悩んでいたところ 父ちゃんが
一か八かで マネージメントに「家賃下げてくれない?!」と
聞いてみたところ 何と!!!!!!
日本円で8千円ほども 家賃が下がったのである。
言ってみるもんだ、、、、年間で換算すると
この値下がりは大きいぞ。

それでも 騒音問題と家賃の値下げを 秤にかけつつ
部屋探しをしつつ 気に入ったアパートも見つかったところで
さて、 どーする?と毎晩あーでもない こーでもないと
話し合った挙句 もう一年ここに住むことにした。
(ほんとに禿げそうなくらい 悩んだのである。)

契約書にサインし、送った後で
摩訶不思議な出来事がおこり
上階の騒音問題も 緩和されつつある。
ひとまず また1年、模様替えなどでリフレッシュしながら
ぼちぼちやっていこう。
希望としては 近い将来郊外ののんびりしたところに
移り住みたいのだ。それが 当面の目標。

それにしても
3年前、スーツケースひとつで
この国にやってきた私たちが
いまでは 大量の本と物に囲まれて暮らしている。
あーだこーだ言いながらも 
何とかやっていけていることに感謝し、
あらたなる毎日に期待していこうと思う。

2009年11月17日火曜日

ラプソディ

とうとう11月も中旬になってしまった。
この春 水漏れ騒ぎですったもんだがあって
このアパートの更新はできない、という通告を
もらっていた。

それで ぼちぼちと引越し先を探し始めていたのだが
どういうわけか 更新手続きの書類が送られてきた。
どうやら 更新はできるとのこと。
しかし 諸事情もふまえて 新しいところに引越すのも
ひとつの選択である。

なんだかんだとウダウダ悩みつつ
物件を探しまくっているのだが
「これ!」といったものに出会わない。

今回は日本人不動産やを通さないで
探しているので 英語でのやり取りも
なかなかハードだ。

このところ頭の中は 引越しのことで回らない。
ここに留まるべきか 新天地を求めてまだまだがんばるか、、、、
結構な労力なのよね~ あー 禿げそう。

2009年11月6日金曜日

最強!


連日連夜 落ち着かない日々であった。
それにしても 最後の最後でやってくれた、松井に拍手。
日本人として ヒジョーに誇らしいことである。
仙一も学校で鼻高々であろう。
今日はブライアンのパパと会ったら ハイタッチだな。
 

そうそう 一応ハロウィーンも終わったのであった、、、。

それにしても 男子って。。。。。

2009年10月24日土曜日

イマジン

愚痴から始める!

宿題が多すぎる。
予想していたとおりではあるけれど
親子ともどもヘトヘトである。

慣れてくれば かなりスピードupして
宿題をさばけると思ったのだけど
そうは問屋 が卸さない。とほほ、、、。
☆算数のドリル系を毎日2冊(2ページ程度)、
 これは まぁ 一人でできるからいい。
☆reading logといって 毎日読書と簡単な感想を
 用紙に記入。これも 時間はかかるが何とかなる。
問題はウィークリー・ワードだ。
週ごとに10~11単語の課題が出て
その単語を辞書で引き、定義をノートに写すのである

単語もその週のテーマがあって
この間は「地図」の言葉。
今週は「哺乳類」の言葉。
いわゆる 恒温動物、肉食、草食、肉も草も食べる種、昆虫食、
背骨(背骨があるのが哺乳類だって。)などの単語である。
(ちなみに WARM-BLOODED,CANIBAVORE,
HARBIVORE,OMINIVORE,INSECTIVORE,)
こんな英語知らなかったよ、、、、。
辞書を引くのだけでも 仙一の場合、えらい時間がかかる。
そう、図解のあるページに ついついはまってしまい
目的の単語まで辿り着けないのだ。
これは 私でも同じことをやりかねないので
叱りようがない。
上の画像のように いささか奇妙なページがあったりするのだ。
寄り道もしたくなるわ、しょうがない。
さて お目当ての単語が見つかったとして
その定義を写すのも一苦労。
焦って書こうとするから 字が汚い。
もともと字がきれいに書けず 先生に再三注意されている仙一だ。
写すだけ写して 書き直す。その時点で既になんて書いてあるか
自分でも不明。よって やり直し、、、、、、。
だいたい 月曜火曜で10単語調べて
水曜でその単語を使って文章を書き上げ
木曜には単語の見直しをして
金曜がテスト。
そのあいまに別の科目の宿題、ほかのテストの
review(見直し&訂正)を求められ、
親としても もう限界です!という感じ。
そこへ加えて 仙一の場合日本語の勉強もあるから
夕方 校庭で遊んで帰ったら
ひたすら宿題なのである。
あぁ かわいそう、、、
かくいう私も夕ご飯の下準備を
仙一の帰宅までに済ませないと
宿題のチェックや親宛のレターのチェック、
その他で のんびり御飯も作れないのだ。
いったいどうしてこんなことに?????
そして いつまで続くのだ???
あまりに腹が立つので 怒りに任せ
てごねでバターロールを焼いてみた。
よく捏ねたから けっこう美味しい。




2009年10月19日月曜日

WHERE THE WILD THINGS ARE !


とうとう先週の金曜に
「where the wild things are」が公開になった。
仙一は夏の終わりころから
TVのCMで映画が10月16日から、と知って
それはもう 見たくて見たくてワクワクしていた。
公開日が近づくにつれ
私もむずむず、父ちゃんもソワソワ。
たまたま書店でカモメ時代から欲しかった、センダックのアートブックを激安で手に入れた。
                   
またしてもコレクター熱が再燃中、、

すったもんだの挙句
土曜日に映画館へ行ってきた。
実は家族で映画館に出掛けて映画を観るのは
仙一が生まれて初めてである。
仙一と私はこの夏LAに行ったときに
ハリウッドでG-FORCEを体験済みだったが
このときは父ちゃんは仕事で同行できなかったのだ。
まぁ、そんな話はどうでもいい。
とにかく アメリカの映画館で鑑賞なのである。
その辺もいつか書くけど 今回は とにかく
「かいじゅうたちのいるところ」なのである。
あの短いお話をどうやって1時間半のお話にするのか。
そこが最大の関心であった。
いやぁ よくできていた。
話も 映像も MAXも かいじゅうたちも 
心をわしづかみにされてしまった。

MAXの部屋にあった レゴブロックの人形頭3個乗せ。
まったく同じことを仙一もやっていた。
そんな小さな描写が ひとつひとつ泣かせる。
それでなくても 小学生の子供と暮らしていることに
このところ 深い感銘を抱いて過ごしているのに
このMAXの心象風景、かいじゅう・キャロルの気持ち
かいじゅう・KWのやるせない気持ち、、、、
まったく涙を誘うシーンでもないところで
ひとり感涙にむせっていた母であった。
 ↑ かなり浮いていた。周囲はPOP CORNポリポリ
足を前のシートに投げ出してリラックスしまくっている観客だらけである。)
あー 月並みなことしか言えない。
いろいろな観点から映画を評することはできるけど
今はしたくないなぁ。
しかし 大人も子供も楽しめる映画には間違いない。
あ、でも どっちかっていうと
大人のほうが味わい深く観られるはず。
大人といっても あれですけど、
その、あの、「あれ」をもっている
大人にしか楽しめないかと、、、。
「あれ」っていうのは、「あれ」です。
そう、それですわ。























2009年10月7日水曜日

よそもの

近所は最近日本人が急増中。
仙一の学校のキンダーには 何と12人も
日本人の生徒がいるそうだ。

この9月から 仙一の学年にも日本の男の子が
入ってきた。その辺のことはまた書こうと思うけど
このところ 彼のお母さんと話していると
「ああ、3年前の私もそうだった、、、」と 記憶が蘇る。
つまり アメリカに来たばかりの戸惑いや
衝撃や心配や怒りなどを いま、まさに彼女が体験中なのである。

だいぶ暮らしに慣れてきた私にしてみると
「そんなもんなんだよ、、、、しょーがないよ。」という感じなのだけど
日本から来たばかりの彼女にしてみると 
不満を通り越して 怒りに変わっている。

そんな中、先週末 友人が日本から
仕事兼休暇でやってきて
うちに2泊していった。
彼女もやはりNYは初めて。
来て見て驚いたこと、など
そんな話に付き合っているうちに
ここで紹介しそびれてきた 日米の生活の違いを
あらためて書いてみようと思ったのである。
(今では色んなことに慣れてしまって
驚かなくなったので 逆に新鮮でもある。)

題して「それって??? IN NY」
うまくいけば シリーズで書いてみようかな。

①スーパーにて

まず スーパーだけではない、どこの店に行っても
お客様は神様でなく、あくまでも
「売ってもらっている人」。
なので レジでお釣りを貰いながら
客が「サンキュー」という。
店員は「You welcome」(どういたしまして)
大体にして店員の態度の方がでかい。
100%近く レジの人が袋詰めもする。
雑な人に当たると玉子が下の方に入れられたり
パンが押しつぶされたり ひどい入れ方をされる。

凹んだパンほどまずいものは無い。
それ以前に 美味しいパンなんて買えないので
つぶされたら悲劇である。

お。
けっこう このネタで書いていけそう。
でもよーく考えたら
基本的にそんなことばかり書いてきたような気もするが、、、、。

2009年9月30日水曜日

HB・2B・2H

新学期が始まって 新しいクラスにだいぶ馴染んできた仙一。
今年は κ(カッパ)クラスという 優秀生徒が集まるクラスに
入ることになったので 親としてはドキドキである。

ここで断っておきたいが 仙一がそのクラスに入ったのは
優秀だったからではなく 日本人で普通にやっていれば
入れるクラスなのである。(ベテラン日本人ママ談)

何というか 不思議なんだけど
普通にやる、っていうことが
アメリカではあまり無いような感じだ。
ぜんぜん 勉強しないか
進んで(親の力だが、もちろん)勉強を
ものすごくするか、極端なのである。

仙一は5歳近くになって ここへ来て
それからようやく英語を覚えて
まだまだ 英語力でいったらランクが下のはずなのに
アメリカ生まれ、アメリカ育ちのインドやロシアなどの
他の子たちよりも
読書レベルなんかが上だった。
なんで?あの子、日常会話は英語ベラベラじゃん、
と 思っても 何故か読書レベルがBとかC。
(Aが一番最初のレベル。1年生の終わりではHとかIが標準。)
教室のなかで できる子とそうでない子の差が激しかったのである。

そして仙一の学校は2年生から クラス分けは成績順となる。
しかも κクラスは特殊なカリキュラム。
去年の知り合いの子の宿題を見せてもらったことがあったが
すごい量にすごい質。
ビビりました。こんなの仙一ができるわけが無い!!!

確かに去年のκの宿題は多かった。
今年は父兄からの苦情により 若干ゆるいスタートに
なっている。今のところはついて行けているが、、、、。

問題はそんなことより
当初はおとなしく「いい子」を演じていた仙一が
とうとう地をだして 「親への手紙」をいただいてきた。
授業中にしゃべってばっかりで 注意しても聞かない、
という内容だった。

あちゃー、学校が始まったばかりのころは
「みんな頭がよさそうだし しっかりしている」ので
本人としても プレッシャーが強かったようだけど
もともと仲良しの クラスメート、悪がき3人が(仙一含む)
とうとう場慣れしてきて 騒ぎ始めた、そんな感じなのだ。

「優秀」生徒ばかりでしかも 素行の良い子たちに混じれば
この悪がき三人が ものすごいワルに見えるのは当然。
すでに 先生に「要注意」のレッテルを貼られてしまった。

それでもねぇ ちょっと弁護してやりたいんだよね。
もともと 担任が神経質なとこもあるし
授業と授業の間に休憩がほとんどなく
昼休みも ほんの少しの休み時間だけ。
友達と雑談する時間というのがまったく無いようだ。

日本の学校と違って 緩めるところと締めるところが
うまく機能していない気がする。
男の子がずっと椅子に座って 授業を聞いていられるのには
限度があるのだ。
僅かでも休憩時間があって それを楽しみに
ひとまず授業を受けて
息抜きして、また授業。
このほうが よっぽど効率的だと思うんだけど。

さて どうなることやら。

2009年9月26日土曜日

R E S P E C T

先週から PCの調子が悪くなり あれこれいじっていたら
元に戻らなくなり 起動しなくなってしまった。
かれこれ10年近く使っているPCだから
新機種に買い替えか、、、とも 思ったけれど
念のため 父ちゃんの仕事関係の修理やさんに
相談してみたところ 格安で引き受けてくれ、
昨日無事復活を果たしたのである。

はぁ よかった。。。
夏に散財してしまったので
年末までは出費は控えたいのだ。

そんなドタバタの中、先週木曜の夜に
念願のアレサ・フランクリンのコンサートに
行ってきた。
日本公演はしたことが無いし
去年はチケットが完売で行けず
歯噛みしていたのだけれど
今年は父ちゃんが頑張ってチケットを押さえてくれ、
かのRADIO CITYで観ることができたのだった。

仙一はアレサの歌、特にRESPECTが
好きなので 「何で俺だけ行けないんだよぅ!!」と
さんざんブツブツいっていた。
そりゃ 連れて行けるものなら連れってってやりたいが
子供は厳禁、アダルトな世界なのである。
残念だったな、仙ちゃん。
この晩は 同じアパートの日本人COCOのおうちに
仙一をお願いして 久しぶりに夫婦で出かけたのであった。

いやー それにしても ラジオ・シティの豪華な造りに驚き
アレサのステージに感激し しばし放心状態。
もっと懐かしの曲のオンパレードかと
思っていたら いやいや 魅せる、聞かせる、
観客とのコール&レスポンス!
歳をとっても ビビッドなソウル・シンガーであった。
すんばらしい。

どうにかして ブルース・ブラザースのビデオを
手に入れなくちゃ。

滞在3年目にして やっとNYの夜を味わえた気がする、、、。

2009年9月16日水曜日

誇り高く生きよう

完全に夏は去ってしまった。
NYの朝晩は初秋である。

今年の夏は日本に帰る前から
いろいろと考えあぐねていたことの
解決策、というか 打開策、というか
自分の位置の確認をするのに
いい時間を過ごすことができた。

そうして 意気揚々と
8月のアタマにNYに戻ってきたのだが
しばらくして 日本から訃報が。

友人というか知人というか仲間というか
何といっていいか迷ってしまうような間柄の人が
突然亡くなったのだ。

彼はかもめブックスの立ち上げ、
営業中はもちろんのこと
店を閉めてアメリカに渡るときも
ひ弱な かもめブックス店主を
影でかなり支えてくれたのだ。
店の様子をしょっちゅう気にかけてくれて
アドバイスやら手伝いやら
本の仕入れまで協力してくれた。

本当に世話になったのである。
まだ若いし独身で いきなり死んでしまうなんて
いったいどういうこと?!
きっと 本人も死ぬ予定ではなかったはずだ。
残念なことに 今回の帰国中は会うチャンスがなかった。
今後 もうちょっと私が足場固めをしたら
何か面白いことを 一緒にやれるんじゃないかと
思っていたのに、、、、、。

そんなこんなで 悲しいというよりも
あっけにとられたまま 一ヶ月が過ぎた。
やはり 葬式というのは必要で
出席できなかったから なおさらそう思うのだけど
気持ちに区切りがつかない。
今も東京の隅っこで 彼が普通に生活しているように
思えてならない。

こんなことは 非常に個人的なことだから
書こうか迷ったけれど
かもめブックスで御世話になったお礼は
ここで 公にありがとう、といっておきたい。

遠くから
「あ~ いいよお~ また 電話するからさぁ~。」
と、例のちょっととぼけた感じで返事がきそうだ。

彼の死を踏まえて
ますます これから自分の行く先を
楽しんで進んで行こうと思う。

日常に埋没せぬように。

2009年9月10日木曜日

毎日がブランニューデイ

9月9日 水曜日

6月25日から始まった仙一の夏休みが
ようやく終わった。

長すぎて 色々ありすぎた。

やっと PCを使う時間がとれる。

夏のお礼やら報告やら
たくさんの人に ご挨拶をしたいので
明日以降 ぼちぼち ガンガンで飛ばしていこうと
思ってます。

2009年7月14日火曜日

あの夏のGOGO

連日連夜 お付き合いいただいている方
ありがとうございます。
中央線にどっぷりつかり、
何だかNYでの生活が嘘のような気がするほど
「素」に戻っております。
日々膨らんでいる
ビールっ腹には 涙が出るけど。

久々にいろんな人々に会って
エネルギーチャージができて
この秋から 気合入れていこうと
ひそかに思っとります。
あ~ よかった。
温故知新だわー。
******************
先日 かもめブックスで販売していた
大人気商品を ROCOさんが
復活して焼いてきてくれました。



もったいなくて 食べられないっ

2009年7月6日月曜日

じーさーボケ

ようやく時差ぼけ解消、
今日から仙一も学校に行きました。
おかげさまで 新型インフルは発症してません、って
もう数日間は潜伏期間ですが
かなり 元気な母子です。

さて 西荻ウロウロしてみるか。

2009年6月23日火曜日

SUMMER TOUR 2009@よるひる

ひぃぃー 里帰りまで
あと1週間しかない~
結局今年もバタバタだ。

滞在中の予定がたちそうでたたない、
それは 今回は父ちゃんが遅れて合流するからで
彼がいない約10日間、
夜の徘徊も仙一連れでは キビシーのだ。
仕方が無い ほとんどは母子でじっと過ごすことにする。

それでも このままでは夜出かけることが不可能なので
実家の母さんに 泣きついて数日だけ上京してもらうことにした。

というわけで 勝手ながら予定を入れてみた。

7月8日(水)の夜、もし来られる人は来て頂戴!という感じで
JR阿佐ヶ谷駅 北口から出て 徒歩2分
「よるのひるね」にて 一人淋しく飲んでます。
お店が7時からなので その頃から数時間はそこにいるつもり。
お時間がある人は 是非お寄り下さい。

特に何の集まりということもなく
友人知人恩人 温故知新 旧交を温める、といった感じで
ゆるゆるテキトーに過ごします。
ただ 来られそうな方は事前にメールをもらえると助かります。
折り返し 携帯番号等連絡しますので。

たぶん 日本到着から1週間が経つときなんで
「濃厚接触」による 新型インフル感染のリスクは
少ないはず、、、、、。
心配な方は マスクご持参で!


 

2009年6月19日金曜日

激しい雨

もーぅ 嫌になっちまう。
この2週間ほど NYの天気は毎日不安定。
もともと6月、7月はストームの季節なのだけど
今年はちょっと異常である。
気温は低いし 湿気も結構あって
バスルームにカビが!!!
いつもパサつくお肌がお陰さまで
しっとりしている。
いいんだか 悪いんだか、、、。

昨日は久々に晴れたけど夕方から再び曇天。
そして 今日は窓の外、大雨、、、、。

さて 一時帰国まで残すところ10日ほど。
去年同様 やることが山積みだってーのに
仙一の学校は 終業ムードで
ハーフデイ(半ドンのこと)が何日かあったり
遠足が入ったり、やたらとイヴェントつくし。
全く落ち着かない日々である。

しかも 昨日はピッツァ・パーティと称して
STUDENT OF THE MONTH
に選ばれた子たちだけのお楽しみ会が行われた。

今年は担任と そりが合わなかった仙一、
今年は一度もメダルはもらえないねぇ、、と諦めていたのだった。
ところが 最後の月で受賞できたので 母としては嬉しいが
パーティのその前日に手伝いに来い、という手紙を
よこされてもねぇ、、、、、仕方が無いから行ったけど。

びっくりしたことに山のようなピザが図書室に積み上げられ
すごい量のソーダとジュースも用意されていた。
学校でソーダが平然と置かれている。
ジュースもいわゆる あれだ、あれ、合成着色料ばっちり入っている
果汁なんて数パーセントのあれである。
ピザもジュースも食べ放題。
勉強を頑張ると こんなご褒美がもらえるのだ、、ウーム。

そして 今日もクラスで ピッツァ・パーティがあるそうだ。
これは ある学校主催のイヴェントで寄付金を一番集めたクラスに
やっぱりご褒美としてパーティの権利が与えられたのだそうだ。
仙一のクラスのお友達の親御さんが
大金をポーンと出してくれたらしく
そのお陰での ピッツァ。

あー なんだかよくわからない世界である。

それにしても 仙一はあんな大きなスライスを
3枚ぺろりと食べていた。
着実に アメリカ人に近づいている、、、、、。

2009年6月10日水曜日

山のふもとで犬と暮らしている

実は4月に友人の知人から車をもらって
この春から ようやくクィーンズ区から脱出し
あらゆるところへ外出できるようになった。

NYというところは 全米でも珍しく
バスと地下鉄、電車を使えば 生活できるという
まことに便利なエリアだけれど
やっぱり ちょっと郊外に出たり
重いものを買い物したりするときに
車があったほうが楽だし 行動範囲も広がる。

で、もらった車(しかもタダで。)は 
さすがに古いし,難があるんだけど
徐々に乗り慣らし、とうとう この間の週末、
念願のウッドスットックまで 足を伸ばしてきた。

片道3時間。
と、遠い。
しかも 車の調子からいって 無謀とも言える。

それでも 父ちゃんの仕事の絡みで
某高級リゾート、ゴルフクラブに
招かれ、そこがウッドストックの近くだったので
車の故障の可能性が高くても 行ってみようということになった。

そう、ウッドストックである。
知る人ぞ 知る70年代ロックの聖地である。
私の目的はただひとつ ザ・バンド&ボブ・ディランが
一時根城にし さまざまなレコーディングを行った
「BIG PINK」という愛称の家を探すことだった。

これがねぇ 簡単に見つかると思いきや
その近くまで行ったはずなんだけど
なにしろ山の中で しかも私道のような道なき道を行くので
下手すれば 遭難、、、、、
散々 グルグル迷った果てに
この辺に住んでいたってことで諦めた。

ウッドストックってところは 広範囲にわたっている上に
家も点在していて どことなくイメージは
軽井沢、っていったところか。
今も芸術家、音楽家、ヒッピーハッピー系の人が
住んでいるそうだ。

それにしても 初めてアメリカで
山のあるところまで行ってみたのである。
クィーンズの周辺には海はあるけど 山は無い。
滞在したホテルは山の中。
蛍はいるわ 野うさぎがゴルフコースに出没し
コースの途中で魚釣りしている人もいるし
鹿がとびだしてくるし
ホテルの客層もアメリカ人ばかりで
愛想がいいし 近所の町のひともフレンドリーだし
ふだん住んでいるエリアの住人の暗さからいって
天と地のようだった。
(この辺は移民ばかりだから仕方がないのだけれど、、。)

年末の引越し、考えちゃうなぁ、
田舎に住もうかなぁ。

2009年6月2日火曜日

恐るべきジェネレーションの違い

さて あと一月ほどで日本に里帰りだ。
去年と違って 今年は仙一とふたりで飛行機に乗る。
(父ちゃんは滞在途中に合流してまた一人で帰る。)
さすがに7歳ともなれば 手が掛からないので
逆に2人で旅をするのがたのしみだ。
今回は 音楽聞き三昧で長旅をしのぎたい。

ここ一年ちょっとで 仙一の音楽の趣味がはっきりしてきた。
日本を出るときは ウルトラマンに熱中していて
ウルトラマンのテーマ曲集とかばかり聞いていた。
まだまだ 幼い仙チャンであったが
去年くらいから
アメリカンアイドル(っていう昔のスター誕生みたな番組)出身の
歌い手さんに夢中になり、
「 キャー、エイコン~!!かっこいい~!」
なんて騒いだりしてた。
(彼はその後 ゲイであることをカミングアウトして 話題になった。)

同時期に ハイスクール・ミュージカル(映画)を観ては
歌って踊って大騒ぎ。 サントラを録ってやったら
CDかけまくりで 朝からノリノリ、小躍りしながら登校。
主役のトロイみたいな長髪にしたくて
かなり頑張って髪を伸ばしてみたりした。
ぷぷぷ。

その合間に とーちゃんかーちゃんの趣味で
ジェームス・テーラーやJBやアレサ・フランクリンや
ニール・ヤングやボブ・マーレーや
ビートルズやキンクスやザ・バンドや
とにかく やたらめったら かけまくっていたら
とうとう ボーダレスの趣味になってきてしまった。
そして ラジオから流れてくる曲を聴いては
これは黒人?白人?どっち?とか
ロッド・スチュワートの声を
ルイ・アームストロング?と聞いてきたりする。
ち、近くて遠いぞ、仙一。

また 昨今のこどもは YOU TUBEで
ジミヘンを見て「うーん よくわからない。」といい
スティービーワンダーが70年代にセサミ・ストリートに
出て クローバーと歌ったりしているのを見て大喜びしたり
自分で好きなものを 映像で見られるのだ。
しかも 新旧関係なく。
(あんまり 見せないけどね。うちはケーブル加入じゃないので
MTVとか見られないから アーチストの顔くらいは見せてやっている。)

で、ちょっと前に聞いてみたところ 仙一氏の
この頃のお気に入りは
Daughtyの 「HOME」
James Tayler「MEXICO」
Jason Mraz「I'm Youres」
だそうだ。

関係ないけど 仲良しの女の子は
T・REXのGET IT ONにハマって
これまたノリノリだとか。

いーなぁ 時代とか関係なく音楽聴けるってさ。
母ちゃんはうらやましいぞ。

2009年5月23日土曜日

こんなんなっちゃった 仙一編

こくこくと 新型インフルの状況が変わっていて
あれこれ思うことが多いけど 
まぁ いいや あんまり 考えても仕方が無い。
実際に 仙一の学校は通常通りだし。

っていうことで 最近の仙一をリポート。

去年の夏の終わりあたりから 漫画に目覚めた仙一。
最初は日本から戻るときの飛行機で読むように
ドラえもんを成田で買ってあげた。
このときは ひらがなもカタカナもかなり読めないし
ましてや 漢字なんて!という状態。

その次に父ちゃんが別のドラえもんを買ってきて
その巻末のCMにあったパーマンを
是が非でも読みたい、と言い出した。

たまたま 父ちゃんがブックオフで発見し
お土産で与えたところ まさに大ヒット。
寝ても冷めても寝っころがって読んでいる。

パーマンブームはかなり長かった。
その後 友人が誕生日にヤッターマンをプレゼントしてくれた。
これは 劇画タッチで少々難解だったようだ、、、。

そして あるとき近所の日本人ママが
いましろたかし作の「化け猫 あんずちゃん」を
貸してくれ、これが まさにつぼにはまり、
この本は最終的に 日本に住む私の友人(で、いいのか、キョーコちゃん。)に
送ってもらって いま またホクホクと読み返している。

同じくいましろ作品の「デメキング」を友人マナミちゃんが送ってくれたが
やはり これは大人漫画であった、ちと仙一君には理解不可能だったようだ。

この春には おばあちゃんに頼んで 忍者・はっとりくんを送ってもらった。
さすが 愛孫のためだ、おばあちゃんは どーんと
4巻分を送ってくれ、いま、仙一の国語力アップに
大きく貢献している。
私としては オバQを読みたかったのだが
今は絶版で無理だった、、、、

そんなこんなで 仙一は最近TVよりも漫画に夢中。
ウチの中が し~んとしている時は だいたい仙一が
本を読んでいるときだ。(漫画以外の絵本も児童書もけっこう読んでいる。)

そして ここ数日は
「漫画を描きたい」と言い出し
一昨日は あらすじとキャラクター設定を
ひたすら私に語って聞かせ、
昨日は 何かひとりでゴソゴソ始めた、、、と思ったら
スケッチブックに 漫画を書き始めていた。

これがまた オリジナリティがある、というか
ヘンな才能というか、、、字も絵もヘタクソなんですがね。
漫画に関しては日本語のみ使用、だそうです(笑)。

タイトル、主人公は「ほしくん」。
いまいち 意味がわからない、、、、。

2009年5月19日火曜日

すべてはALRIGHT (YA BABY) 、か?!

うーん 新型インフル、とうとう日本でも
身近になってきたようで、、、、。

のんびり構えていたアメリカ(というか NYエリア)も
とうとう 休校措置の学校が増えてきた。
それほど 遠くない場所の中学の教頭先生が 日曜の晩に
SWINE FLU(豚インフル)で死亡。
この学校は2百人以上の生徒が欠席したことを発端に
休校がきまったそうだ。

さて 仙一の学校は、、、というと 相変わらず
緊急連絡で「お知らせ」が来るわけでもなく
クラスの欠席数も1人とか2人とかの程度のようだ。
なんだかわからないけれど のんびりしているんだよなぁ。

とはいえ SWINE FLU、OUT BREAK IN QEENS、と
ニュースのトップ項目にはあがっている。
それでも、日本のようにパニックにならないのは
この発熱や咳やダルさが 新型インフルのせいだけではないのを
自覚している人が多いからかもしれない。

先週まで 花粉の飛散率が半端じゃなくて
花粉症じゃない人までもが 強風による埃と花粉でゲホゲホしていた。
花粉アレジーのある子供達は ある子は熱も出たし
また 別の子はひどい咳が止まらず
同様に 仙一も先週は薬漬けだった。

加えて 今年の気象が奇妙で 5月だっていうのに
寒くて雨の日が多く、それでも いったんお日様が顔を出すと
グワーンと気温が上がる。
インフルじゃなくて 普通に風邪を引きやすい状況なのだ。
トホホのほ。

そんな中 我が家の 夏の一時帰国まで
残りあと一ヶ月ちょっと 。
さまざまな 不安が頭をよぎる。

もしかして 仙一が受け入れ予定先の東京の小学校に
入れてもらえなかったりするかもしれない。

もしかして 同じ飛行機に感染者がいて 近くの席だったお陰で
成田のホテルに7日間停留(監禁)されてりして。

もしかして 滞在予定のマンションを借りるのを断られたりして。

米国帰りっていうだけで 白い目でみられるかもしれない。

ああ、 今までの状況をみていると
鎖国時代の日本に帰るようで
不安がいっぱいだ。
何も悪いことはしていないのに。。。。。。

そういえば 何故アメリカがこんなに
新型インフルで騒がないか、っていうと
下手に情報を煽ると パニックになり、差別や
暴動が起きる。
過去の歴史と国民性からみて やはり情報操作を
しないと危険な国なのだとか。

うーん 確かに暴動なんて簡単に起きそうだし
差別も当然あり得るね、この国じゃ。

PS 当面の間 日記のタイトルを
   忌野清志郎氏にちなんだもの
   (曲名、アルバム名、歌詞 ETC)
   にすることにした。しつこく
   故人を惜しむことを続ける。
   
   

2009年5月13日水曜日

あふれる熱い涙

清志郎の訃報から時間が止まってしまっている。
あまりのショックに言葉も出ない。
しばし 引きこもり状態で10日ほど経った。

あれこれと 思いが浮かんでは沈み
深いため息、そして ゆるんだ涙腺はなおらない。

しんどいなぁ と思うのは
ふとした瞬間に その人がもういない、という事実に
あらためてドッキリする時だ。

それでも 時間は過ぎていく。

思えば 私の人生の節々に清志郎の存在があった。
中学、高校、暗い大学時代、偏屈な高円寺時代、
勢いで住んだ国立時代。
結局 中央線に長いこと住みながら
数々のライブに出かけた。
結婚した頃に 勤め先の高円寺文庫センターで 念願のキヨシローのサイン会、
仙一が生まれて間もないころにも 2度目のサイン会、チャボのサイン会。

かもめブックスの壁にはパティ・スミスのポートレートの横に
清志郎の切抜きを貼っていた。
レジに近づいた人しかその切抜きは見えないのだけど
絵本屋に来て 清志郎が貼ってあるっていうだけで
店のファンになってくれたお客さんも かなりいた。

最後になってしまったアルバム、「夢助」が出たときに
メンフィスでの録音を記録した番組をみた。
それは ちょうど私達が家族で何かも うっちゃって
アメリカに渡る直前のこと。
スティーブ・クロッパー、、、、、オーティス・レディング。

復活の報告を聞いて
「JUMP」のプロモーションビデオに大うけ、号泣。
それは そんなに前のことじゃない。


あーあ もういいや。
書いても書いてもしょうがない。
基本的にセンチメンタリズムは性に合わない。

だけど こんなに悲しい思いをするとは、、、
知ってたけど知らなかった。

2009年5月2日土曜日

衝撃の事実に、、、。

そういえば 日本ではGWではあーりませんか。
タイムズスクエアでマスクをした
日本人観光客の写真が
こちらの新聞に載せられていて気付いた次第です。
はっきりいって 笑いもの、、、。
こちらでは 誰もマスクをしていないし、
しかも 日本特有の四角い白いマスクときたら
そりゃもう、、、不気味としか 受け取れられない。

それはそうと 仙一がおととい寝る直前に
ボソリと言った。

「ジャネテンがね 今日から学校に来たんだよ。
ずっと メキシコに旅行していて お休みしてたんだ♪」

「はっ?! 何だって? ジャネテン、メキシコ?
彼はロシア人ではないか? め、メキシコ?」

「うん。ほら リセスでさー ジャーニーでさぁー。」

もう その時点でめまいがして パニック状態の私。

とりあえず 取り乱さないよう心がけながら
仙一にクラスの様子を聞くが まぁ 眠いし
普段から意味不明な話が多い仙一(妄想派)なので 埒が明かない。
もちろん 彼はメキシコが今どうなっているかなんて知らなかったし
学校でも 具体的な説明はしていないそうだ。

しょうがないから豚インフルのことを新聞を見せて 説明し、
手洗い・うがいの重要性を説き、
ビビる仙一を寝かしつけ
慌てて クラスメイトのママに電話をし 確認。
しかし 詳細はわからず
しょうがないので 学校に問い合わせのメールを送った。

翌日 メールの返事が昼過ぎまでに来てないので
業を煮やし 直接電話をして聞いてみた。
こちらが知りたかったのは
彼がメディカルチェックを受けた上で 登校しているのか、
ということだけど ソコには返事が無く
今のところ 彼は発熱もしていないし 大丈夫そう。
学校側としては 州と市のガイドラインに合わせて
彼の処置をとっている。のだそうだ。

うーむ。
英語力が足りなくて もっと学校側に情報開示を求めたかったが
上手くできなかった、、、、。

それで昨日 
仙一を迎えに行ったら クラスのお母さんでそのことを
知らない人もいて 大騒ぎに。
一人が 担任に問いただしに行くと
なんと その問題の彼は今日は欠席、とのこと。

え?欠席?
何故休みなのだ、、、、発熱か?医者に行ったのか(検査)?
             もしかして 学校側から登校を控えるように言われたのか?
謎は深まるばかり。

取り立てて大騒ぎするべきじゃないのかも知れないが
事実は知らせて欲しいよ、
一体なんでこんなにノンキなのか 理解に苦しむ。

とはいえ こうなると自己防衛が第一だ。
それじゃなくても仙一は花粉症で鼻グズグズ。
インフルじゃなくても 簡単にウィルスをもらってしまう状況だ。

去年 日本に引き上げた友人ママが
看護婦なので 心配してメールでさまざまな対策を
知らせてくれた。

とにかく 基本のうがい手洗いに加えて
アロマオイル、ビタミン剤、エキナセアなどで
免疫力をあげること。
よく寝てよく食べること。
ビビらずに過ごすこと。
幸いアロマもエキナセアも常備していて
ふだんならビタミン剤なんて子供にあげたくないが
今はしょうがない。
毎晩の手抜きご飯を反省する母である。

ふ~む。
とりあえず今日が終われば週末である。




2009年4月30日木曜日

豚と花粉と。

先週末から 仙一がくしゃみを連発。
数日は風邪かな?と思っていたが
どうも様子がおかしい。
花粉のせいかも、、、?!
ここのところ 記録的に気温が上がり
真夏並みの暑さとなって 花粉が飛ぶのに好条件なのだ。

そんな折、豚インフルのNEWSが飛び込んできた。
しかも 感染者を出した高校は 同じクイーンズにあって
そう遠くないエリアだ。仙一の学校の兄弟姉妹の
誰かが通っている可能性もある。

すわっ、仙一も もしかして、、、と
疑ってみたけれど どうみても花粉によるアレジーだ。
去年同じ時期に 同じような症状が出た。
(AOLのブログが消えたので 記憶が定かではない、、、)

NYでは毎日無料の新聞が何誌か発行されている。
                           我が家の貴重な情報源

それにしても 当初 日本の報道の過熱にびっくりしたものだが
対照的に こちらでは(感染者が出ているのに)報道がのんびりしたものだった。
しかし ここ数日事態が悪化しているので
さすがに さまざまなメディアで連日取り上げられている。

ちょっと違うのは 日本のように「急いでマスク買わなきゃ」とか
「豚肉販売を見合わせる」とか 国民が大騒ぎしないことだ。
草薙君の報道のときも ネットのニュースで見ただけだけど
マスコミのやりすぎ、日本国民の騒ぎすぎには げんなりする。

とはいえ アメリカの応対も暢気なもので
一応学校経由で市の衛生局からの通達(豚インフルの説明)はあったものの
じゃぁ 学校内で手洗いやうがいなどを
子供達に推奨しているか、、というと
特別 何の方策もとっていないようだ。
それじゃなくても 食事の前に手を洗う習慣がない人たちだけに
不安は募る。。。。。


もしかして パニックを避けるために政府(US)が隠していることが
たんまりあるのかもしれない。
今朝のニュースで米で感染者初の死亡が報じられていた。
一方では NYの市長が会見でNYの感染者は
みな回復に向かっていると声明を出している。
一体 状況は好転なのか悪化しているのか
よくわからない。

しかし よーく考えると これだけ南米移住者が多い国で
メキシコからその時期に入国した人の数を考えれば
感染者がこんなに少ないはずが無い。
やっぱり 重要機密事項として
 まだ明らかにできないことがあるのかも、、、、。
こ、こわい、、、、。

夏の里帰りに影響の無いことを祈る、、、。







2009年4月21日火曜日

リセス!リセス!!リセス!!!



うーむ 税金の処理が終わったかと思ったら
仙一の春休みがやって来た。
4月の9日から10日間、学校がSPRING RECESSで
休みなのである。

な、長い、、、、、日本のように 一人で公園に行っといで!と
できないので 一日べったりにならざるを得ない。
あちこちのお母さんから 深いため息が聞こえてきていた。

そうは言ってもこの時期は 
ユダヤ教信者にとって大事な時期だそうで
いそいそと その祭典(pass over)に向けて準備をしている様子が
あちらこちらで見受けられた。

また、12日はイースターというキリスト教信者のお祭りで
一般的にこの日は どの商店もお休み。
そうとは知らず のこのこ郊外のモールに出掛けていって
軒並み閉店していて がっかりして帰ってきたのだった。

面白かったのは イースターの日にikea (北欧家具や)に寄ったのだけど
ウロウロしているお客さんは ほとんどが 中国人、インド人だけで
妙に閑散としていた。
そうか 我らアジア人には イースター(キリスト復活祭)は
関係ないものねぇ~と 納得してしまった。

当然 我が家は純粋日本人一家なので
イースターと無縁と思いきや
父ちゃんが会社の人から仙一にあげて、と
イースターのチョコレートをもらってきた。
その人は思い切り日本人なんだけど
やはり 子供がいるとか何とかで イベントの一環として
チョコを用意したらしい。
いまでは 宗教的意味合いはだいぶ薄れ、
季節の行事として 学校でもイースターのお祭りを
取り入れている。
ま、要は そういったお祭りが好きかどうかなんですがー
あたしはやらないクチなので、、、、

でも このチョコは可愛くて美味しかった。

2009年4月2日木曜日

南米からIRSへ

さて 日本の税金シーズンは終わったはずですが
アメリカでは 4月15日までに納税手続きを
全員済ませなければならない。

日本と違ってここでは 納税者が自分で申告しなければならない。
だから 郵便局や図書館とかで 申請書類が配られているし
いまどきは 皆さんインターネットとかソフトを使って
済ませる人も多いようだ。
でも 税金の仕組みが複雑なので
(稼いでいる人ほど)会計士を使うのも 結構ポピュラーだ。

去年はビザの変更や父ちゃんの転職があって
税金の申告が複雑極まりなかったので
会計士に依頼した。
しかし 会計士には通常200~300ドル以上支払うので
貧乏な我が家では大きな出費である。

また、去年依頼した会計士は非常に慇懃無礼だったので
彼にはもう頼みたくなかった。
あんな奴に300ドル払うのは 嫌だ!
しかも 今回の申告は比較的簡単だから 自分でもできそう。

、、、、、貧乏人は何でも自分でやらなければならない。
しかも 今、私はHOUSE WIFE。
金は無いが 時間だけはある。

ソコからが長い旅となったのである。

書くと長いから 止めておくけど
結局 この2週間は 税のことをネットで調べて 
NY市の提供する「納税手続きアシスタントサービス」の
会場に何度も出向き、
結局 さまざまなことでそこの係員と 激論(?)を交わし、
そこでは埒が明かないから
IRS(国税局)まで出掛けて行って(2回)
提出書類を訂正して すったもんだの果てに
一昨日、無事 提出できたのであります。

まぁ 何でこんな簡単な書類に 時間が掛かったか、
というと アシスタントサービスの係員が知識を間違っていて
それを認めなかったからである、。

通常 一般的には 子供の控除を1000ドル(約10万円)
受けられるのだが どういうわけか その係員(ANDY)は
ウチはその規定に入らないから 控除は受けられない、と
いうのである。
おっかしいなぁ 同じビザ・ステイタスで同じ状況の人は
問題なく控除を受けてるのになぁ。
その疑問をIRSに行って聞くと
ウチは大丈夫、受ける資格がある、と
明言してくれたので
もう一度 ANDYのトコへ出掛けていって その旨を伝えると
「そりゃ IRSが間違ってんだよ!グリーンカードを持ってない人は
皆子供の控除は受けられないの!だから 書類は直さないよ」と
のうのうと言われた。
(怒り炸裂の私は 謎の英語で がなりたてると
一緒にいた仙一が ビビって ママ、、、止めときなよ、、と
おろおろしていた。 怒って英語で怒鳴るお母さんはかなり
怖かったらしい、、、、、。)

しょうがないから ふたたびIRSへ。
すると IRSの人が訂正を補助してくれて
書類を全て仕上げてくれ、
「そのANDYの組織に連絡入れておくから。
こんな間違いを認めないなら その会場での
他の納税者は みんな子供の控除を受けられないことになってしまう。
不公平だからね。」と 言ってくれた。

はぁぁ こうして初心者納税者の春は過ぎていくのだった、、、。

しかし 子供の控除が1000ドル、これを受けられるか受けられないかで
この夏の我が家の 日本一時帰国の運命がかかっていたのだ。
そりゃ 必死になるでしょう。
、、、そういうわけで この夏の一時帰国は決定しました。
西荻のみなさん この夏もよろしく。

2009年3月24日火曜日

台湾から南米へ

久しぶりに中国へ行ってきた。
といっても 電車で数駅行ったところだ。
地下鉄の階段を登ると 地上は中国。
マンハッタンには大きなチャイナタウンがあるが
このエルムハーストという場所は
ミニ・チャイナタウンといったところ。

歩いているのは殆どが中国系の人々。
大きな中華系スーパーもあって
ちょこっと日本の食品もあるので
時々買い物に出る。

野菜や肉も安いが その周辺のレストランも
安くて美味しい店が多い。
ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシア、中国、
そして 台湾料理店。

私たち家族の気に入っている台湾料理やで
昨日はランチをとった。
仙一は この店ではこの料理しか食べない。
       →筍と豚肉の細切り炒め
この日は臨時収入(?)があったので ふだんは躊躇してしまう
メニューにも挑戦してみた。
、、、、が、画像は上のものしか撮れなかった。
仙一がこの巨大な皿のものを ほぼ一皿一人で食べてしまったのだ。
写真どころじゃない、自分の分を死守するのに精一杯だった、、、。
(情けない母である。)

さて 明日は TAXの申請をしに「南米」に旅に出る。
この「南米」もまた 電車で数駅行ったところで
ここもまた 南米人しかいない。
スペイン語が飛び交い、ギャハハ、、という
笑い声が空を飛んでいるエリアだ。
街角には 謎の売り子が謎の食べ物を売っている。
今回 挑戦できるかな、
なにせ 英語が通じないのである。
それより 明日は時間が足りないかな。
写真を撮るのも ちょっと怖い感じがするしなぁ。


さて これから 仙一を迎えに「ロシア」に行ってきます。
(仙一の学校は実にロシア人が多い。インド人も。)



2009年3月17日火曜日

アメリカ流

すったもんだあったけど
一応 水漏れ事件は決着がついた。
ここへ至るまでは 書いても書ききれないほどの
紆余曲折があったのだけど
あらためて ここはアメリカなんだ、と痛感させられた。

とりあえず かいつまんで記しておくと
まず 抗議のレターをCERTIFIED(配達確認付き)で
送った。この書面を書くだけでも かなりの労力が要った。
書き上げて寝たのは 深夜3時だった、、、。

そこには 今回の被害をこうむった分を請求するということと
流し台(汚くて使いたくない)の工事を翌週中には
完了するように要請し、損害額とリスト、現場の写真を
添付しておいたのだ。

期限は水曜までに 郵便で返答せよ、と付け加えておいた。
しかし やっぱり奴等(マネージメント会社)はツワモノ。
いきなり 水曜の昼に「被害状況のチェックに来る」と
電話をしてきた。
そして やってきたのはデービッドという中国人のマネージャー。
このおっさんが まー なんというか 感じが悪い。
見るからに狡猾そうな顔をしている。

結局このオヤジとそこで言い争いになって
あっちが違法なことを言い出し
(損害なんて払わない!流し台は変えるが契約の更新は
もうしない。もしくは家賃を上げる、、等の暴言)

さすがの私も切れて 「とにかくここで
ワーワー言うな!書面でよこせ!!」と
言うと 怒ったまま出て行った。
しかも その日の夕方、私が同意していないというのに
「工事のものが行くから 明日の夕方家にいろ」と
勝手なことを言い出す。

あったまにきて そんな話は聞いてない!
とにかく書面で返答せよ、さもなければ
NY市のそれなりの部署に訴える、と言うと
ガチャーンと電話を切られた。

そして しょうがないからハウジング・コート(家などのトラブル専用の法廷)に
訴えるか NY市の方に訴えるか もしくは弁護士たてるか
あらゆる方法を人に相談したりして 解決策を練り
マネージメント会社からの返答を待ったのである。

そうそう そのオヤジの来た直後、スーパーが来て
「ペンキの塗りなおしのことは言ったのか?!
その剥げている箇所を見せたか?!」と
怒鳴り込んできた。
(これは 水漏れ後のペンキやが来たときに
直したほうが言いと忠告されていた一件である。)

私はその中国人オヤジが怒って帰っただけで腹が立つやら
悔しいやらで ペンキのことどころじゃないのに
何故かスーパーが怒っている。
「いや、そのことを話せる状況じゃなかった」というと
「なにやってんだ!このペンキのことは大事なことなんだぞ!
なんで言わなかった!ダメじゃないか!!!
俺の立場はどうなるんだ!!」と 怒鳴る。

ここで 強気でいた私もとうとう泣き出してしまった。
一体なんであっちこっちから文句言われたり
怒鳴られたりしなきゃならないんだ、
水漏れの被害を受けたのは我が家なのに、、、。

すると スーパーは はっとして
「す、すまん、泣かないでくれ、、、その、、、ここは、
アメリカなんだよ、言うこといわなきゃダメなんだよ、、、
み、水でも飲んで 、お、落ち着いて、、、」と
おろおろ なだめ始めた。

「そんなのわかってる、アメリカだってことも 十分わかってる、
でも あのオヤジもひどい、たくさん嫌なこと言われたんだよ、
だいたい、何で私が嫌な目にあうんだ、、、」と
さめざめ泣いてしまった。

そんなこんなで あっちこっちから「ひっぱたかれ」た
散々な日々だったが
結局 土曜日に郵便で損害分の小切が送られてきた。
今回の結果は 金をやる、だが満期で出て行くように。ということだった。

本来なら徹底的に裁判で訴えれば勝てるのだけど
もう、疲れた、、、、それに面倒、、、、
小切手とここを年末に出ることでいいことにした。

しかーし 今朝 またしても浴室に水漏れの初期症状を発見。
はぁぁぁぁ いますぐココを出たい、、、、、、、。

2009年3月4日水曜日

もう計算できない!CとF。

日本ではひな祭りですな。
3月に入ったというのに
この冬はなかなか終わりそうも
ないNYである。
昨日(月曜)は 悪天候のため公立学校は
全て休校になった。
とはいえ この辺はまだましだったから
「え?休み?!」って感じだった。

それにしても 日本のように
「クラス連絡網」というものが存在しないので
たまたまニュースで知ったとか
人から聞いたとかでないと
あの氷点下の吹雪の中
うっかり学校へ行くところだった。

ウチは友人が何人かが連絡してくれて
早めに知ることができたけど
ある知人が電話してきてくれて
「ウチのアパート、学校の前でしょう、
けっこうな人が学校来ちゃってるよ、、、、
みんな 門のところでうろうろしてる!」
なんて 実況中継してくれた。

明けて今日、火曜は晴天。
日差しはすっかり春だし アパートの中は暖房効きまくって
夏のようだけど 朝の気温は12度(華氏)。

日本の摂氏表示ではないので
一見 摂氏だと何度かわからない。
(計算が複雑なのだ。)

ただ 34Fで摂氏・0度にあたるので
34Fを基準に考えると とても寒いはず。
ただね、もう計算しない、、、っていうか
12度なんて NYへ来て初体験。
ということは 今までで一番寒い、となると
今までで最高に寒かった日より寒いってことで
自分の(皮膚)体験からイメージできる。

つまり 寒いというより 息できない、痛さ、ってことになる。

いいよ、いまさら 数字で理解しなくても、、、。

ちなみに 友人に言わせると
数字がマイナスにならないだけまだいいよ、、、とのこと。
うーむ そうなったらバナナで釘が打てるレベルなのだろうか、、、。

2009年2月28日土曜日

何気ないことだけど。

いやはや すったもんだで水漏れから10日以上が経つ。
その後 たいした進展もない。
水曜に約束したペンキ屋は
結局連絡も無いまま来なかった。
、、、予想通りだよ、全く!

それよりも 最近はかび臭さが漂い始め
あんまりノンキに構えてられなくなってきた。
週明けには 管理会社に何らかのアクションを
起こさなくちゃ。

さて このかび臭さ(コンクリ臭も混ざっている)、
なかなか 気分がメゲるものである。
何とかしなくちゃなぁ と コーヒーの粉を脱臭代わりに
置いてみたけど 効果なし。

ところがある日
ふわ~んと いい香りがバスルームに漂っている。
あれ、何だろ、この香り、、、、
洗濯洗剤の柔らかいような いいにおい。

原因を突き止めてみると
先日 買ってパッケージが何となくカワイイから
ポン、と棚に置いた 石鹸の香りだったのだ。
へぇ 石鹸を置くだけでも違うんだ、、と
妙に感心してしまった。

              
ひとつの箱に縦、横とデザインが
変えてある。商品棚の縦置き横置きを
選ばないデザイン。










っていっても
ベビー石鹸なんですが。
それでも バスルームのカビ臭(水漏れによるもの)は
だいぶ緩和され こちらの気分も若干癒された。

ふぃぃ~ ようやく週末だ。



2009年2月24日火曜日

大災難 健康編

その後 水漏れ大事件はどうなったか、というと
数日上の階の大工事で
ガーン がーん ゴリゴリ ガガガガ、、、、と
一日じゅう騒音と ぱらぱら落ちてくる壁の破片(?)に
悩まされ 頭は痛いわ 御飯は作れないわ
いらいらして 大変でした。

折も折、この週は公立学校は全て 冬休み。
事件の発覚した火曜は 働く友人ママの子を
預かっていたので なおさらテンヤワンヤ。

しかも 彼は数日前から 発熱していたようで
朝 うちに来るなり「お薬&体温計&ヒエピタ」を
用意している旨をそのお母さんから告げられ
一瞬ひるんだものの
その時は熱も下がって 元気そうだから
そのまま 彼を預かった。
(ママも遅刻するって 急いでいたし、、、。)

しかし 彼は夕方になるにつれて くしゃみ、鼻水にまみれ、
熱がガンガン上がっている様子。
仙一とも べったりくっついて遊んでいるのが
何とも不安にさせられる、、、、。

い、インフルエンザ?

もし インフルだったら かなり危険である。
仙一は去年末 手術をしたので
予防接種を受けることができないまま
この冬を過ごしているのだった。

、、、、、そんなこんなで ひとまず夕方お父さんに
迎えに来てもらって 帰っていったが
翌朝 散々迷ったけれど その日のベビーシッターは
断ることにした(2日間預かる予定だったのだ。)。

自分も仕事をしながら子供を育てていたので
彼女が困ることは 凄くよくわかってたのだけど
やっぱり 私が薬をあげてまで
預からなければならないのは 危険すぎる。
第一に仙一にうつる心配、それに彼の状態に急変があったときの
責任が取れるかという問題。

先方は もう少し気軽に考えていたようだから
なおさら こちらの気持ちを伝えるのが難しく
後味の悪い結果になってしまった。

とはいえ そのあと例の水漏れ大事件で
それどころじゃなく
さまざまなストレスでクタクタになり
とうとう 週末 熱を出して私が寝込んでしまった。

あとから 人づてに聞いたら その預かったお子さんは
結局病院に連れて行った結果 
「扁桃腺炎」だったという。
そして 今回 ぶっ倒れた私も喉が異常に腫れ、
飲み食いができない状態。

つまり 、、、、、 仙一にうつらずに 私にうつったのであった、、、。

あ~ぁ 災難はたてつづけにやってくる、、、、、。

それでね、台所の壁の穴、コンクリで埋めただけで
そのあと 誰も何も言ってこないの。
もしかして、、、これで修理は終わりってこと???
またしても クレームの電話しなきゃだ、、、、。
やっぱり 訴訟になるか、、、。

2009年2月21日土曜日

大災難 序章

実は 去年この部屋は3回水漏れにあっている。
全て同じ場所、上階からの水漏れで
被害はバスルームと同じ壁をはさんだ 台所の壁である。

この間は年末に被害にあって
ようやく修理がなされたのが 1月に入ってから。
このときは かなり頭にきて
管理会社にレターを出して 抗議した。

それから まだ一月も経ったか たたないかのうちに
今回の水漏れ事件である。

しかも 物凄い水の量。

最初 うちが水漏れさせているのかと
階下に作業場のある管理人が血相を変えて
やってきた。
しかし うちからは異常は発見できず
???といった顔で 帰っていった。

しばらくすると 台所の壁が茶色に変色しているのに
私が気付いた。しかも 水がしたたり落ちている。
これまた 上階からの水漏れ発覚。
拭いても拭いても じんわりシンクの上に
水が溜まってくる。(しかも 茶色ね、、、。)

結局2階から1階のうちを通って 地下の管理人のトコまで
水が流れ込んでいたのである。
その日は どうにもならないから、、、と
翌日に工事業者が来ることに。

しかし その晩 チョロチョロと壁の間を
小川が流れるような音が
断続的に続いて 不気味極まりない。
しかも 台所に備え付けられている棚には
乾物などの食品が入っていたのだが
ほとんどのものに水がしみこんで
ダメになってしまった。
この棚以外に被害が及ぶかも、、、と
重要なものを 近くのクローゼットから全て移動し
最悪に備えた。(既に深夜だよ、、、。)

翌日 工事の親父がやって来て
いきなり 台所の棚のなかの壁に ガッツンと
大穴をあけると
ぎょえぇぇー 壁の間を水が流れている!
夕べ聞いたのはやっぱりこの音だったんだ。
その場の一同 あいた口がふさがらない。

このときは いきなり棚に穴を開けたのも
びっくりした。
断り無く いきなり、なんだもの。
まだ 棚の半分に食品が入っていたのである。
慌てて仙一に手伝わせて バケツリレーで
中身を運び出した。
(仙チャンの学校は今週いっぱい冬休みなのである。)


管理人は「だから何度も言ったんだ、ずっと
これが続いてたはずだ!ずっと前からだぞ!!」と
ブツブツ怒りを工事の親父にぶつけているが
親父は中国人で英語は片言しか話せないようだ。
故に 文句言われても???の顔をしている。

そんなことより どうなるんだよ!!
うちはこれで4回目の被害だよ!!!

とりあえず 上階の台所を破壊して水道管を修理する(らしい。)
それから うちの壁の修理をするつもり。
しかし 既に壁の穴からは コンクリートの湿った独特の悪臭が
解き放たれ、頭痛がする。
これじゃ 食事も作れない。

そんなこんなで 大災難の序章が始まった。

ここからは 一体どうなるのだろう、、、
とりあえず 怒り心頭、管理会社にキーキー言ったけど
暖簾に腕押しって感じだ。
様子を見ながら 損害賠償か訴訟か すすめなければならない。

考えてみたらこの水漏れ4回とも 誰も私(うち)に謝ってくれてない。
修理の工事のたびに 予定を合わせ 荷物をどけたり
一日中 ペンキ臭に悩まされたり、、
いろいろ大変な思いをしてきているのだ。
 
今回はさすがに 切れましたよ。
ダメになったパスタ(買い込んであった)6箱の恨みは
恐ろしいってことを思い知らせてやる。

しっかし この先工事やら抗議やら、エネルギーがいるなぁ、、、、
とほほ。。。。。。。

2009年2月15日日曜日

今日はクマ作りにもってこいの日だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バレンタインデーというのは 仙一の誕生日である。
去年までは あまりとやかく言わなかった仙一だけど
今年は 色んな店のディスプレイを見ては
「バレンタインなんて ハートばっかりで嫌だ!!」と
自分の誕生日を嫌うようになった。

とはいえ 日本のバレンタインとアメリカでは
意味あいが かなり違っている。
日本だと「愛の告白の日」で
「女性から男性へチョコを贈る」のが通常だけど
アメリカだと この日は「愛の日」で
「老若男女問わずお互いに
愛情や感謝の気持ちを込めて
 チョコやらカードやらを贈る」のである。

だから 街中にハートグッズとか色っぽいランジェリーや
(男性が女性に贈るそうだ。)花束が溢れかえる。
だから 日本のような 告白する、される、の
ドキドキ感は全く無い。

閑話休題。

そんな中 仙一君は7歳になったのだけど
さて バースデイプレゼントは何がいい?と聞くと
幾つか答えが返ってきた。
そのうち自転車、筆箱、ピアニカなどを 
両家の祖父母からもらうことになったし
おもちゃは 欲しいものを友人家族が
用意してくれるとのコト。

さて 両親からは何がいいか。
「・・・・・・BUILD A BEARに行って ぬいぐるみ作るの、
夏に約束したでしょ!!!!!!」と 過去の約束を持ち出してきた。
そう、夏におばあちゃんが日本から遊びに来たので
記念にこの店に行ってお土産に猿のぬいぐるみを
持たせたのである。
そのときに 仙一は自分にも欲しくなったと 
騒いで なだめるために「じゃぁ 誕生日にね。」と
私が言ったそうなのだ。(←覚えてない。)

まぁ、いいや。
ぬいぐるみね。
(しっかし 7歳の男児だぜ、、、、、。)


このお店はマンハッタンの5番街にある
「自分でぬいぐるみをカスタマイズできる」店なのだ。

まず 中身の入っていないぬいぐるみを
数ある種類の中から選ぶ。
(値段も種類もかなり幅がある。クマ以外も充実。)



              それから 綿詰め機械のところに行くと
さわやかでナイスな店員さんが
抜け殻状態のクマに綿を入れてくれる。

ただ綿を入れるだけではないところが
この店のいいところ。



「その箱のハート(ちいさな布製)を2個選んで」
 「そのハートに向かってお願い事をしてね」
「え、、願い事??? 、、、思い浮かばない」
と 素直な仙ちゃん。

「何でもいいのよ、そうだな、OOが欲しいとか、こうなりたいとか」
「うーむ。ムニャムニャ」一応言われたとおりにする仙一。
「OK。それから この子の抱き心地だけど、どう?これじゃ硬い?柔らかい?」
「んんん。このくらいでいい。」
「OK.じゃあ 背中を縫うね。」といった具合に
自分の好みに仕上げてくれる。

その後は 店内にある「ぬいぐるみ用グルーミング台」で
自分でブラッシングしたり 好みの洋服屋ら靴やらを
選んで着せて 好きなように作り上げるのだ。

洋服は世界各国の民族衣装(羽織袴があった。)とか
アイスホッケー等のアメリカンなもの、
今流行のハナ・モンターナーや
ハイスクールミュージカルの衣装、
ヒップ・ホップ系など 
納得のものから アホっぽいものまで揃っている。


今回は クマにジーンズのオーバーオールをはかせて
それでお終いにしたけれど
調子に乗るととんでもない金額になるので 要注意だ。

うっかりしていたけど
人気の店でしかもバレンタインの土曜日の午後に
出掛けていったので 物凄い行列だった。
仙一の誕生日でもなければ 絶対こんな長蛇の列には
並ばなかっただろう。

なんてムスコ思いのよいお母さんなのだろう、私は。
たまには自分を褒めてやりたいものだ。

2009年2月11日水曜日

雪解けちかし、しかし寒風吹きすさぶ

さて 新しいブログにしてから
使い勝手がわからないし
まだ MIXIで繋がっていた人々以外には
ここのことをお知らせしていないし
やらなきゃならんことは山積み。

そうはいっても ようやく外の気温が上がってきた。
先週は氷点下10~15度という 地獄のような
毎日だったが 急にここ数日から気温が上がり
最低でも0度にはなっている。
かなり暖かく感じる、、、たとえ0度でも。

予報によると今週はおおむね温かいとのこと。
春ももうじきかな。

しかし 気温とはうらはらに
この近所の商店街はどんどん活気がなくなってきている。
75年続いていた雑貨やがとうとう閉店したり
その隣の隣の激安バッタや(衣料品)が 突然閉店してしまったり、
一番驚いたのは 最寄の大病院が閉鎖になったこと。
ここは このあたりの緊急指定病院だったのだ。
うちは御世話になることは無かったが
ここがなくなることは 大きい。

日本の景気の悪さも よく耳にするけど
アメリカの状態もかなりひどくなってきているようだ。
大きな企業の人員削減のニュースより
近所の閉店のほうが
ヒシヒシと不景気を感じる、、、。

2009年2月4日水曜日

全て闇のなか、、、、、。

AOLでのブログのサービスが
いきなり1月いっぱいで終了してしまった。
色々 AOL内で再編成があるとは
知らされていたが
ブログが終わることは
全然知らなかった。

これは 結構急に決まったことのようだ。
お知らせメールは12月に来ていた様子。
普段 AOLのブラウザのメールはチェックしてなかったから
今回のことがあって 初めて気付いた。

という訳で 移行手続き(他社への)も できないまま
いきなり 今まで書いたものが全て消えてしまった。

衝撃が強すぎて 冗談じゃなく 卒倒しそうになった。

だって 最後にUPした日記は 消失数日前。
この時点でAOLのサインイン画面にも
日記を書く画面にも
何にもお知らせも警告も無かった。
そんなことになるなんて 知るわけが無い。

NYに来てからのことは ブログがまさに日記代わりだったので
何にも手書きでメモさえ残していない、、、、
かもめブックスの頃の記録は
「いつか ダウンロードして保存しておこう、、」と
そのままにしてあったのだ。

もう この4~5年のことが 全て闇の中、、、、
涙が出るどころじゃないや。
怒りとため息と、、、混乱の中
しょうがないので こちらのブログで
今後は色々書き綴っていこうと
思っとります。

まだまだ やることとお知らせと レイアウトやら
使い勝手がよくわからないので
しばし 混乱し続けますが
よかったら ちょくちょく除いてみてくださーい。