2013年7月23日火曜日

卒業フィーバーで燃え尽きて、、、。

いやー こりゃ長い間ご無沙汰でした。
5月の下旬から 仙一の卒業関係のことで
記憶にないほど忙しくなり、実際に卒業してもなお
雨で延期になった卒業旅行の振り替え野球観戦とかに付き合って
夏休みに突入した訳です。

私にとって最初で最後の息子の小学校の卒業だったので
進んで「GRADUATION COMMITTEE」の一員になったら
思ったより大変だった、、、、その時は激しく後悔。
パーティの案、記念品の案、準備、ETC 全て英語でメールが
回って来るのだけど 込み入った内容に加えて 意見が合わない人々の
様子を見て さらなる提案をしたり、調整を図ったり、
何せ各国出身の親たちとのやりとりだから 考えの相違に目が点になったり。

まぁ かなり大変だったけど 最終的にはいい経験になった。
とくにダンスパーティは 来るはずのDJが時間になっても現れず、
一同パニックになったけど 本業でミュージカル・プロデューサーを
やっているお父さんが機転を利かせて 自宅に戻ってDJセットを持ち込んで
子供たち(140人!!)にダンスレッスンをしてくれて
場を凌いでいるうちに 予定のDJが登場、、、、というハプニングもあったり
したのだが。

アメリカに来て翌年からこの6月まで 6年間(キンダーの一年含む)、
雨の日も、雪の日も、嵐の日も、泣きながら笑いながら怒りながら
毎日同じ道を通ったわけです。
日本と違って ずうっと親が同伴の登下校。
親も頑張りました。

6年を振り返ると 結局ここが仙一のホームタウンになったのだ。
周りには友達家族もたくさん住んでいて
商店街を歩けば 必ず顔見知りに会うわけです。
そんな環境から一変、9月からはちょっと離れたところの
中学に通います。さて、どうなることやら。

この夏も日本に一時帰国します。
毎度ですが 会える人、楽しみにしてまーす。

2013年5月29日水曜日

花粉症の改善?!

毎度のことながら
あっという間の毎日で 気付けば日記の更新も
「下書き」に保存したまま数週間、、、、。


さて 今年の仙一の花粉症だけど
思ったよりも症状がひどくなく、医者に駆け込むことも
しないで済んだ。
NYのこの春は異常なくらい低温続きで
5月に入っても まだジャケットが手放せない。
そういう絡みもあって 花粉の量が少なかったのか
それとも 2月くらいから早めに仙一にビタミン剤を
与えたり、野菜を多めに取る食生活に切り替えたり、
そういった予防に努めたのが功を奏したのか
何が幸いしたのかいまひとつ分からないけれど
まぁ つらいシーズンを何とか切り抜けた感じがする。

とはいっても 2週間くらい前は就寝中に咳き込み始め
睡眠不足の日々が結構続いた。
それでも 去年の経験を生かして
「朝晩の鼻うがい」、たまねぎスライスを枕元に置く、の
このふたつで咳の悪化を防ぐことができた。
一応 経験を生かす、という この頃の私にはあり得ない
進歩した対応ができたと思う。(自画自賛)

子供にビタミン剤、、、と最初は迷ったものの
ビタミンD不足は NYの長い冬には起こりえることで
D不足が花粉症の原因にもなっているという研究結果から
判断し、過剰に与えすぎないよう配慮して仙一に与えたのだ。

また、太陽の下で遊べる4月くらいからはD摂取はお日様から
得るものとしてサプリは中止、そのかわり 不足がちなビタミンBを
多めに取るように気をつけた。食事も人参等 粘膜強化に活躍できる
野菜を多めに取り入れて、、、、。

これだけ頑張ったので効果があったと思いたいのだけれど
先日会った友人に
「今年は 花粉が少なくて よかったよねー!!」と
あっさり言われ、がっくりしたのでありました。


とはいえ 花粉症をきっかけに こどもの栄養について
ふかーく考えさせられたのは 大きな収穫か。


PS 去年は喘息にもなりかけたので心底
花粉のシーズンが怖かった母である。

2013年4月25日木曜日

テロと強盗と学力テスト。

ボストンでのテロ事件で ここ10日ほど落ち着かない日々だった。
直接的には関係ないけど NYもテロとは無関係ではないので
何だか気が気ではなかったのだ。

そんな中、そのテロのあった翌日の火曜日。
私は学校関係の友人ママたちと 呑気にフィリピン料理を食べに
出かけ、未知な食べ物に狂喜乱舞、そのまま仙一を迎えに行って
帰宅した。

ここまでは良かったのだが 夜になって父ちゃんが帰宅すると
「あの貼り紙、何、どういうこと?」と聞く。
何のことか分からないので 実際にアパートの正面玄関にある
エレベータのところへいくと、
「本日 午後1時半ころ このアパート内で強盗事件がありました。
見知らぬ人が呼び鈴を押してもエントランスは開けないように!!」
という旨の張り紙がしてあった。

どうやら 仙一と私が帰宅した時にはまだそのお知らせは貼られておらず、
被害にあった人にかわって 住人の誰かが張り紙をしたようだ。

翌日、同じ建物に住む日本人ママに電話をすると
彼女から詳細を聞くことができた。

彼女もその時間は出かけていて事件は知らなかったが
帰宅した時に隣人がわざわざ知らせに来たそうだ。
それで 事件は白昼のエレベーターで起き、
若い女性が黒人の大男に顔を殴打され、現金を奪われたとのこと。
被害者は**号室の人で、今病院にいる。(顎の骨が折れたそうだ。)
などなどの情報を得た。
彼女は上の階に住んでいるので エレベーターは必需品。
私は1階なので エレベーターを使うことが無いので
まぁ、ましだけど 彼女は本気で怖がっていた。

それにしても 昼の1時半、誰もが普通に出入りする時間帯に
そんな事件が起きるとは!!
いつもなら 洗濯、ごみだし、郵便チェックなどなどで
わたしも建物の中をうろちょろしている時間である。
背筋が凍ったのはいうまでもない。

それで 翌日たまたまスーパー(管理人)にあったので
「犯人は捕まったの?」と聞くと いや、まだだ。
でも 防犯カメラにばっちり顔が写っていてその写真も警察が
持って行ったし、どうも余罪も他であるような感じだから
じき捕まると思うけど、、、、と言っていた。

しかも事件が起きたとき、彼は外壁のペンキを塗っていて
決して管理人不在の際の事件ではないとのこと。
そんな人目のある時間帯にこんなことが起こるなんて
本当にクレイジーだ、とも言っていた。
彼によると女性はどうやら 買い物した店からつけられていたらしい。
支払い時に財布に現金をかなり持っているのを見られたと思われる。
彼女の不注意とは言わないが やはり背後には気をつけないと、、、


その日以降、私も洗濯室に行くのにびびり、
ゴミだしにもびくびく、仙一も朝の新聞を取りに行くお手伝いを怖がるようになった。
テロもあったし強盗もあったし、今週はNY州一斉学力テストもあるので
仙一は数日前 悪夢を立て続けにみてしまい、夢遊病者のように
起き上がってきては、寝る、を繰り返していた。

ことしは花粉症はあまりひどくなっていないが(今のところ)
別のことで トホホな春です。


2013年3月16日土曜日

現場の英語

やっと 春らしくなってきたけど
油断すると寒風にふきさらされ、
骨まで冷える今日この頃のNY。

さて ここへ来て住んで今年で7年目。
さすがに来た当初よりは英語を話せるようになった。
一応 大学で英米文化科に4年ほど在籍していたので
英語を読む、書くことはどうにかなっていたのだが
生の英会話となると 最初の年なんて
しどろもどろ、人に会うことに恐怖を覚えさえもした。

しかし 仙一の学校関係を通して 徐々にだけれど
英会話にも慣れてきた。今では 路上で
いきなり話しかけられても ビビることも無くなった。
大した進歩だ!!!
(それでも 言いよどんだりすると
 隣で仙一がニヤニヤしているのだが。)


とりあえず 買い物でのやり取り=OK
       電話での約束取り付け=OK
   学校の先生、ママ友との会話=OK 
     電話で保険会社に問い合わせ=苦手
      子供の友達と会話=ときどき通じない(苦笑い)。

*************

よく言われることだけど 学校で習った英語というのは
実際に使われている会話とはかけ離れたものが多い。
私が中学から習った英語は 基礎的なものはいいものの
ある意味、役に立たないどころか 弊害が多い。

例えば いまだに
Hi ! How are you?
と声をかけられると 
I'm fine, thank you.
というフレーズが頭に浮かんでくる。
これは 中学の時に英語の教師が
毎授業ごとこの挨拶を強要したせいだ。
しかも ご丁寧にAnd how are you? なんて
聞き返すことも叩き込まれたので
いまもって 気楽に返事を返せない私である。

じゃあ 実際には何て受け答えるか。
OK! とか GOOD!
これだけでいいのだ。
まぁ かなりくだけてはいるけど。
(もちろん 時と場合によります。)

それから 仙一がキンダー(幼稚部)だったころ
ある親と話していて
うちの子はdistractionが多くて宿題が出来ないんだよねぇー。
と英語で言われ、え?distractionって何???と
戸惑ったことがある。
今思えば簡単な言い方だし、よく使う言葉だけど、
distractionというのは「気が散ること」なのである。
とくに 男児の親の間では頻繁に使われる用語なのだ。
、、、、ははは、、、。

このとき痛感したのは
大学受験の時に必死こいて覚えたprejudice(偏見)なんて
難しいタンゴなんて知らなくてもやっていけるが
distractくらいは 普通の会話で知っているほうがいいことだ。
あの頃は 相手にdistractionって どういう意味?と
聞き返せる度胸も無かったし。
(最近はずーずーしく何でも聞いちゃう。)


そういったことが ちょくちょくあったので
忘れないうちに 時々ここで紹介していくことにする。

ああ、そうだ、但し書きが必要なんだ。
私が住んでいるのは NYのクィーンズというエリア。
ここは マンハッタン以上に移民の多い場所なので
話している英語も「米語」ではなく
各国共通語としての英語である。
所謂アメリカ人の話す英語とはちょっと違う。
そういう意味では「クィーンズ・イングリッシュ」なのだ。(笑)

という訳で アメリカ全土で有効な英語ということではないので
お許しください。

来週は 何か紹介できることでしょう。



 

2013年3月7日木曜日

サイエンス・プロジェクト

今日は強風。雨まじり。
夜には 雪になる予報。
、、、、夜、仙一のサッカーの練習なんですけど、、、、。


さて 仙一の宿題は去年から引き続き 多いっ。
いつもぼやいてますが 多いのだ、多すぎる。

この時期には さらにサイエンス・プロジェクトという
日本で言う理科の自由研究の宿題がでる。
けっこう 手間がかかるので 1ヶ月以上前から
サイエンスの先生が資料を子供たちに渡し、
自分のやりたいテーマと簡単な内容を事前に提出し、
OKをもらったら 実験を開始できる。

一ヶ月前に 開始OKをもらっても
結局は どん詰まりで課題提出になる。
それは この3年間、同じ。
(仙一の学校は2年生からこの課題がでる。)

仙一に 「早く始めないと、間に合わないよぉ」と 念仏のように唱え続けても
実際には 日々、他の宿題を終わらせるだけで精一杯。

そんなこんなで 今日(水曜)提出日だっていうのに
着手したのは先週末。
実験も結果が予想外で やり直し、やり直し、何度やっても
結果が同じ。変だね、変だねー、、、、、、

そう、「振り子は重さや角度では 速度は変わらない。」のであって
紐の長さによって 速度が変わるのだ。
そんなこと、、、、、知らなかった、、、っていうか、
そんなこと、早く言ってよっ!!(誰に怒りをぶつけたらいいのか?!)

という感じで 堂々巡りをした挙句の簡単な結論。
それを リポートにまとめて パソに打ち込み
タイトルやら見出しをつけて、大きなボードにディスプレイ。

これがまた、、、5年生一人じゃ 無理だって。
だいたい PCの前に座って 一文字一文字打つのだけれど
文の量が多いんだから、何時間あっても終わらないよ、それじゃ。

同じアパートのクラスメート宅なんて 5年生の双子だから
お母さんは悲鳴をあげておりました。
(しかも データー入力終わていたPCが クラッシュしたとかで
おととい会った時、顔が引きつってた。こわいですねぇ、、、。)

この課題は 来週の保護者面談のときに体育館にずらりと並べられ、
子供たち・先生によって投票され、優勝者が決まる。

あ、そういえば 3年生の時には仙ちゃんも賞状もらったんだっけ。
今回は、、、、無理だな、あれじゃ。




2013年2月23日土曜日

ダンス発表会

仙一の学年になると ダンスの授業がある。
といっても 外部からプロの講師を招くので
水・金曜日はクラスが入れ替わり立ち代りで
同じ先生のもとでダンスを教わる。

この授業が始まったころ、男子も女子も「手をつなぐなんてヤダ。」と
大騒ぎだったようだけど 一週間もしたら そんなことは恥ずかしくも無く、
それより 今日のダンスは何?といったように 楽しみになるようになったそうだ。

毎週習うダンスの種類が違い、メレンゲ、タンゴ、ワルツ、ポルカ、スウィングなどを
1時間以上徹底的に教わる。ダンスのステップもそうだけど、ダンスの相手を
リードすることや、マナーもばっちりやっていたようだ。

ダンスのある日はいつでも子供たちが帰り道
浮き浮きとリズムを取りながら歩いていた。
その姿がなんとも可愛い。(といっては 失礼か。もう5年生だ。)

ダンスレッスンはおおよそ三ヶ月ほどあったのだけど、
仕上げとして親を招き、お披露目ダンス発表会が先週末に行なわれた。
子供たちはみんな盛装。
仙一は白ワイシャツにネクタイ、黒ズボン。
見た感じ「ミニ・サラリーマン」、ぷっ。

一クラスずつ 一種類ダンスをステージで
お披露目していくのだけれどみんな緊張しちゃって ぎこちない。
最後の方で 仙一たちのクラスがスウィングで
「HIT THE ROAD JACK](レイ・チャールズ)を踊りだしてから
盛り上がり、そのまま他のクラスも通路に出て
他の曲を何曲かかけて 皆でダンス!ダンス!!ダンス!!!

いやぁ 楽しかったですねぇ。
狭い講堂なので 親と子供たちの熱気でみんな汗だらだら。
この調子で どうやら卒業式へと突入していくそうです。
(卒業式でもダンスするとか、、、。)





他のクラスのダンス。
みんな必死の形相!
(これはタンゴでした。)

2013年2月13日水曜日

オーディション

ついに仙一のMIDDLE SCHOOL(中学)の
オーディションが終わった。

そもそも 何故オーディションを受けたのか、ということから
始めなくてはならない。
というか 中学選びがどうなっているか、である。

イマドキは東京も似たようなもののようだけど
ここQUEENSでは 基本的に今の小学校から
そこのゾーンの中学に自動的に進学できる。
ただし ゾーンの中学以外の隣接の学校も
行きたければそれなりの手順をふんだ上で志願できる。

それで、、、
仙一のゾーンの中学は 家からかなり近いし安全な道を
通って行けるので そこにするのが一番いいのだけど、
当の仙一がそこに行くのは嫌だという。

実は私もその学校のムードが好きではなく、
さてどうしたものかと考えたのだが、
仲良しのクラスメートは殆どが 隣接エリアの中学に願書を出すことを知って
仙一は友達と同じところに行きたくなったのであった。

もともと その学校はここ数年で評価がガンガン上がっていて
この近所のお母さん方にも評判が良い。
でも、人の意見なんて当てにならないので
去年の秋にオープンスクールに実際に行ってみて
自分(もちろん仙一も)の目で確かめてきた。
それで 仙一はこの学校を選ぶことにしたのだ。

この学校の特徴は PERFOMING ARTSというプログラムがあって
そのコースに入ると 週に何回か音楽なり、アートの授業をとることができる。
いま、小学校では音楽は週一、アートは皆無なので
こういったお楽しみがあるほうが 勉強一辺倒より仙一向き。
ただ、このコースに入るためには オーディションを受ける必要があるのだ。
(オーディションの他に 成績もそこそこ良くないと入れない。)

さて、オーディション。
貰った案内状には 歌、楽器、ドラマ、絵(アート作品)の
どれかを選んで試験を受けるとのこと。
仙一は4年近くギターを習っていたので
ギターで挑戦することにした。

毎日ギターは欠かさず練習。
それでも 日によって上手くいったり失敗したり、
ハラハラだったけど
大事なのは試験に受かることだけでなく、
練習したら上手くできるようになった、
その充実感・達成感を覚えて欲しくて 
巨人の星の「星ひゅうまのお姉さん」のように
電柱、もとい、台所の影から そっと見守る母であった、、、、、。

って言っても オーディションの当日見かけたのは、
エレキ・ギターとアンプを持ち込む親子や
縦笛(リコーダー)で受ける子供、
カラオケで歌の練習をしただけという子、
まぁ なんというかテキトーなのである。
(たぶん、プロ級のピアノの腕前の子とかもいたとは思うが。)

挨拶に来た校長先生も にこやかに
「今日のオーディションは 緊張しすぎる必要はありません。
ここはブロードウェイでもハリウッドでもないからね。
何より大事なのはENJOYすること。楽しんでいってください。」だって!!!


で、試験を終えた仙一に感想を聞いたら
「緊張したけど、ちょー 面白かった!!
 面接の先生がね、楽しい人だったよ!」だそう。

うーん、さすがアメリカ。

そして 試験の後、サッカーのトーナメント試合があったので
急いで会場に駆けつけたのだけど そこで7時間も過ごす羽目に、、、。
ウチのチームの主催だったのに 段取りは悪いし会場は狭いし
子供たちは 自分の試合が来るまで じっと待つしかなく、、、
しかも最後の最後で チームメートの親が待ちくたびれて、怒って帰っちゃうし、
ここでも アメリカ式のテキトーさに打ちのめされたのであった。。。。


PS 試験を受けたとこの校長の真意は
必要以上に緊張するな、ということと
このオーデションでは「挑戦」する気持ちがある生徒を
見るためなのであって 上手い下手は二の次なのだそうだ。
この校長の人となりが この学校の高評価につながっていると思う。

で、、、、、、結果は5月。
どうなるか、お楽しみ。

  












2013年2月9日土曜日

クリスマスにもらったもの

うー 今夜から明朝にかけて大雪警報。
仙一の中学入学のための オーディションが
土曜に予定されていたのだが 急遽日曜に変更になってしまった。
日曜はサッカーのトーナメント試合があって うちのチーム主催だから
休むわけにいかない、、、という訳で オーディションのあと
試合に駆け込むことになった。

さて この試験のことは 無事に終わってから書くけど
忘れないうちに クリスマスにあったことを記録しておきたい。

仙一は毎年クリスマスには
サンタから、両親から、祖父母からプレゼントをもらっている。
ちょっと 多すぎ、贅沢だ。
一方、数年前から母の日などには 仙一から
手製のカードを貰ったりもしていたのだが
この間のクリスマス前、仙一がこう言い出した。

「オレも かあさんたちにあげたい物があるんだけど、
一人で買い物行けないしさ、一緒に行けばバレちゃうしさ、どうしたらいい?」

密かにプレゼントを用意したかったが ここNYでは子供がひとりで
買い物に行くというのは まずできないこと。
で、どこで買い物をしたいのか、と聞いたら
「ターゲット!」と即答。
ターゲットは日本でいうと イトーヨーカドーみたいな
(ちょっと違うなぁ)大型デパートメントである。
何でターゲット????と思ったら いつだかの広告に
プレゼントしたいものが載っていたので それを買いたいのだそうだ。
しかも とっておいた僅かな小遣いを使ってしまうという。

ふーん。何だろう。
じゃぁ ターゲットでそれを見つけたら 私は遠くにいるから
一人でレジに行ってお金を払えば?と 提案し、いざ買い物へ。

とはいえ 探しているのが何かバレるので 適当な距離をおいて
仙一に携帯も持たせ、一時解散。
しばらくして 仙一と落ち合うと
「無いんだよ、、、探してるの。店員に聞いたら売り切れだって。」
かなり しょんぼりしている。
じゃぁ 何か違うものにすれば?と言うと
「いや、あれが欲しいんだ。ねぇ、他のターゲットにいける日ある?」

そんな訳で 別の日に違うターゲットへ。

「やっぱり ここも売り切れだって。(涙目)」

じゃぁさ、しょうがないから 他のもの選んだら?
そう言っても 何だか気が乗らない様子。
グズグズしている仙一を 適当に促して
結局 父ちゃんには(この日彼は別行動)NBAの雑誌と
NBAスターのトレーディングカードセットを選んだ。
レジに並ぶ前に これで殆どお小遣いが無くなっちゃう、
母さんの分が無い、とまた涙目。

あ、母さんのはいいよ、別に。
プレゼントしようと思っていてくれた気持ちだけで充分です、と言うと
何度も「ほんとに?」と聞いて 父ちゃんの分を買った。
結局 帰り際に可愛い小さなアクセサリーを見つけてこっそり買ってくれ、
私にもクリスマスギフトがあったのだ。(実は物凄く嬉しかった。)

さて 仙一が最初にプレゼントしたかったものとは。

「いつだか 広告に載っていたんだけど
ターゲット犬(この店のマスコット犬)のぬいぐるみがあってね、
そのぬいぐるみ、母さんが気に入るのは知っていたし、
しかもね、それを買うことによって 売上げの*%(何%か忘れた)が
小児がんの子供たちのいる病院(St Jude Hospital)に寄付されるんだって。
オレはその病院のこと、学校で教わって知っていたから
少しは役に立つかなぁ、と思って そのぬいぐるみが欲しかったんだ。」

私はそんなことが広告に載っていたのも気付かなかったし
だいぶ前から プレゼントにしようと思っていたのも意外だった。

いつでも 欲しいものは(ゲームソフト等以外)
たいてい買ってもらえているし、一人っ子なので
いろいろな面で優遇されている仙一だけど
学校で教わるのか何なのか知らないが 
人に還すことも学んできている。
親バカだけど この一件には感動してしまった。


あ、でも母さん達は知っている。
仙一もあのぬいぐるみが欲しかったことを。

これが幻のぬいぐるみ

 
たぶんアメリカで一番有名な犬のはず

2013年1月19日土曜日

年末年始に。

いやはや 新年になって初めての更新、
ご挨拶が遅くなりましたが 今年も宜しくお願いします。

さて 年末からうちの車の調子が悪くなり、
一度は修理に出したものの 直らず、
こりゃ まずいな、、と思っていたら
ある日、エンジンがかからない。
何故だ何故だ何故だ!!!

折りしもその日は小雪がちらつき、
道行く人も少ない。
おそらくバッテリーが上がったのだろうと
持っているスターターでエンジンをかけてみるが
スターターが小型なので どうやら力量不足。
しょうがない 友人家族に来てもらうか、、と
電話をしたら 子供が高熱で家をあけられないとのこと。
そうか、、仕方がない、、、
近くに車を止めた子連れの見知らぬ男の人に協力してもらったが
その人の車の力量が足りないのか、なんなのか、エンジンはかからない。

最終手段で 修理やさんに夕方駆けつけてもらって
エンジンは復活したが 数日後に旅行へ出ることにしていたので
バッテリーも気になるし、故障も気になるし、気が気じゃない。

とはいえ 年に一度の年末家族旅行をやめるのもなぁ、、、

さんざん悩んだ挙句、強行しました、今年もランカスター、アーミッシュ村への旅。

もしかすると 途中で故障して帰ってこられない、という
可能性を大きくはらみつつ しかーも!!
出発当日は 午後から大雪警報。
ええ。心臓バクバクのドライブでした。
NYCは曇りだったけど 1時間半ほどしたところで雪が降り出し、
その量はグングン増えて行き 高速はスリップするし、
途中、案の定事故で渋滞。
心の中で 若干後悔しながらも とにかく無事に現地に着くことを祈り、
慎重に慎重に車を走らせたのだった。

どうにかこうにかランカスターに着いたけど
あたりは当然雪景色。
去年と全く違う風景に感激しつつ
さて、どこで何をする?

そうです。何もないのです。
年末だし、雪だし、もともと何もないところだし。

という訳で ひたすらのんびりしてきました。
(ホテルにインドアプールのあるところを選んだので
仙一は大喜びで泳ぎまくってましたが、、、、。)

結局 車の調子は今も悪いので 修理に出しているけど
直るかどうか、、、っていうか 直らないと困るんだけど。
修理費だって 捻出が厳しいのに 次に車を買う資金もありません。
でも 毎週末はブルックリンでサッカーの試合なので
車が無いと どうにもならんのです。

という訳で 年始からぼやいてます。

あれれ、画像をUPしようとしたら できない。
何でだろ。今回は省略します。