2012年12月21日金曜日

このアメリカの現実。

月曜から熱を出して しばし倒れていたのです。
軽い風邪かな、とのんきに構えていたら
あれよあれよの悪寒、鼻水、くしゃみ、そして38度の熱。
仙一が学校に行っている間 ひたすら眠ってようやく回復しました。

さて 日本ではあまり取り上げられていないニュースかもしれないけれど
先週の金曜にNYの隣の州、コネチカットで銃乱射により
小学校にいた20人もの子供、そして職員6人が射殺された。
犯人はその場で自分の頭を撃って死亡。
学校襲撃の前には自宅で母親を撃って殺している。

こうタイプしているだけでも 嫌な気分になってくる。
銃乱射による事件はこの2日前にも他の州で起こっていたし、
夏には映画館での乱射事件もあった。
つい先週だったと思うが マンハッタンでも白昼ありえないところで
男が頭を撃たれて殺された。
これは狙われていたらしいから計画的だったようだけど
人通りの多い街中で 流れ弾のことを考えたらぞっとする。

毎日毎日 銃による事件は絶えなかった中でのこのコネチカットの事件。
しかも 犯人は「全く意味も無く」小学校に押し入り、いきなり銃を乱射したのだ。
いつも通りに学校に行って過ごしていただけの 6-7歳の子供たちをターゲットに。
本当にやるせない。

ここのところ毎日TVではそのニュース。
詳細が明らかになるにつれ 感情的な報道も増えてくる。
もちろん仙一の学校からも子供たちに精神面でのケアについて等
手紙は来たが、今回は子供たち、親たちにとっての衝撃は大きすぎる。
どうも 大人にも精神面でのケアが必要な気がする。
現に私は 週末からこのニュースで鬱々としているうちに、風邪にやられてしまった。

オバマ大統領がスピーチ中に涙を流し、二度とこのような惨事が起こらないよう
銃規制について大きく乗り出すことを表明したが、、、、
そうかんたんに 安全がやってくるとは思えない。

それでも 良い方向へ向かうことを祈りつつ。






2012年12月8日土曜日

頭の痛いサンタの季節。

NYでは サンクスギビングが終わると一斉にクリスマス・モードに入る。
一年で一番にぎやかで 買い物をするにも 街は
セール!セール!!セール!!!なので
一番お買い得な時期でもある。

さて 今年のうちのクリスマスは、、、、、
っていうか 年々家を飾ったりするのが面倒になってきている私。
何だか今年はさらにやる気が出ない。
仙一がぼそっと
「うちは 何にもやらないんだよねぇ。」つぶやいた。

まずい、、、のか、、、???

「うちは クリスチャンじゃないしさぁ、まぁ、いいじゃん!」

と ごまかした母であったが

「何言ってんの。うちのアパートのことだよ。
 ロバート(管理人)がまだ飾りつけしてないってことだよ。
 アパートのエントランスとか。他のアパートはガンガンやってんのに!!」

あ、ああ。私に文句言っているんじゃなかったのか、ほっ。

とはいえ 何かホリデーシーズンっぽいものを 
少しくらい飾りたいのだけど

うーーーーーーーーーーーーんーーーーーーーーー。

来週だな。

2012年11月29日木曜日

とうとう7年目。

早いもので 明日で渡米して7年目に入る。
その間 一度も引っ越していないから この部屋も7年目。
この町も、学校も、ご近所も知り尽くし、1ブロック歩くだけでも
誰かしらに会って 挨拶するのが日常になった。

仙一は今 5年生だけど 通っている学校が5年生までしかないので
(学校によってシステムが違う、同じ公立なんだけど。)
来年から通うミドルスクールを決めねばならない。
そのことは いずれ書くにしても(ややこしい話なので)
とにかくだ、仙ちゃんも今の学校に入って6年もの年月が経つのだ。
(キンダーから数えるので。)

昨日、仙一がSTUDENT OF THE MONTHという 栄えある賞を
頂いて、そのセレモニーが講堂で行なわれた。
毎月 クラスの一人に渡されるものなのだけど
ここ3年、この賞をもらうことができずにいたので 嬉しさもひとしお。
しかも 最終学年の最初の月の生徒に選ばれたのである。
いやぁ、感動しましたね。

そこで ばったりクラスメートのママに会って
しゃべりながら お茶しに行くことになり、
1時間ほど 近くのパンやでコーヒーを飲んだ。

彼女の娘と仙一は キンダーの頃から ほぼ一緒のクラス。
そうして そのお母さんとしみじみ 小さかった頃の話や
これからの彼らの進路のことなど しゃべくりまくった。
見た目はおしゃれな若いお母さんなんだけど、
彼女は クラスの発表会で娘の活躍する姿を見ては
人目をはばからず 涙を流す人。
一昔前の 日本のおっかさん、みたいな感じ。
そして、また、どういう訳か そこの夫婦揃って 仙一のファンなのだ。
クラスの発表会があると 必ず仙一に声をかけてくれたり、
(ふつう 大人は書かない)
コメントを勝手に書いてくれたりする、嬉しい存在である。
 
★★★


あーあ 来年から知っている人のほとんど無い学校に通うのか、、、
さびしいなぁ。親のためのワークショップも無いだろうしなぁ。

そんなこともあるので このところ学校の行事には殆ど顔を出し、
あろうことか 卒業式関係の委員にまでなってしまった。
とはいっても 6年も通っている学校だから 知っているお母さん方ばかりなので
怪しい英語で話していても なんとかなっている。
そんな風に今頃になって いろんな人と濃い付き合いをするようになってきた。
最終学年、悔いの無いよう過ごしたいものだ。






2012年11月8日木曜日

ハリケーン サンディー その前後





嵐の後、停電のエリアは真っ暗。ミッドタウンから下が闇の中。
(雑誌の表紙より転載)


前回の更新からいろいろあって 
あれこれ考えあぐねているうちに
大型ハリケーンにNYはみまわれ、
街は大混乱に陥ってしまった。

日本でも報道が大きかったようで
メールを頂いたり電話をもらったり、ご心配おかけしましたが
我が家とその周辺の地域は 大きなダメージも無く
家族は無事に過ごしています。

サンディ直撃から1週間以上経つけれど 
日常生活に戻ったとは言いがたい。
とはいえ 本当にうちの近所はラッキーだっただけで
未だに 停電のところも多いし
洪水の被害で 住むところを無くした人、
地下鉄や公共機関もまだ混乱状態である。
おまけに 極めつけのガソリン不足。
うちは 週末しか車を使わないものの
仙一のサッカーの試合が(毎週)ブルックリンなので
これは 辛かった。
今回は 車はあきらめて 混乱状態の中にある地下鉄を乗り継いで
ブルックリンまで。(2時間かかった。車だと30分以下なのに。)

そこまでして この非常時にサッカーの試合に行く必要があるか
悩んだけれど 先週いっぱい学校もサッカーの練習も休みで
ただただじっと家にいるしかなかった仙一のストレスを考えると
連れて行ってやるしかなかったのだ。
(っていうか コーチが何気に何が何でも来い!って圧力かけるから、、、。)

その前の週も嵐の前で危険ということで 試合がキャンセルされたから
今回は3試合ぶっ続けでやる羽目に。
一敗、一引き分け、一勝。という結果だったけど
初戦のときに接触プレーで みぞおちのあたりを強く打って
仙一はノックアウト。
普段、多少の怪我なら ヒーヒー言いながらも
ゲームに戻るのだけど かなりの強打だったようで 立ち直らず、退場。
彼はそうとうな負けず嫌いなので 次の試合から フィールドに戻ったのだけど
夜寝る頃になって 痛みがブリ返し、大泣き。
それが2日ほど続いて 焦ったけど(それで学校欠席するのもねぇ。)
昨日から調子が戻ったようで ホッと一息。

それにしても 1週間学校が閉鎖で 月曜に再開、でも昨日(火曜)は
大統領選挙のために また学校は休み。
今週3日行ったら 来週の月曜が退役軍人の日でまた学校が休み。
しかもそのあと10日ほどで サンクスギビングで連休だ。ふぃー。

しかも 来年から仙一は中学なので(日本だとまだ6年生なんだけど。)
学校選びのいろんな催し、説明会が目白押しなのである。
あれこれ考えること、やることをこなしつつ
サッカー(週四日)に連れて行くのだけど 正直言って
頭も体もまわりません。

そんななか 今日も午後から嵐の来る予報で しかも雪になるという。
まだまだ 大変な思いをしている人たちに これ以上被害がないといいのだけれど。
それから はやく通常の生活に戻りたい。
おそらく NYに住む人たち皆が強くそう望んでいると思う。

取り急ぎ 無事のご報告まで。





2012年9月29日土曜日

ナツメと竜の目


全く、、、、学校が始まってひと月も経たないのに
3年越しのクッション完成。
既に休みだらけのNYの学校。
それは全てユダヤ教徒の休日。
公立の学校はユダヤ教徒でなくても皆休み。
9月だけで平日の3日間もあったのだ。

毎年のことだけど 何だか解せない。

ま、もう終わったからいいや。

でも再来週も今度は
ナショナルホリデー(国民の休日)連休だ。
うちは父ちゃんがこういう日も休みじゃないから、関係なーい。

ま、これもいつものこと。















さて 先日 中国人の友達と中国人街に出掛けてきた。
彼女と私は貧血・冷え性仲間。
会うといつでも 「最近、どう? 冷えてる?」が挨拶だ。
二人で話しているうちに 私が漢方に興味があることを知って
ナツメのお茶を飲むといい、と教えてくれた。

彼女も中国人だけど漢方には今まで あんまり興味がなく、
彼女の母親が詳しかったから 知識はあるものの
自身で試すことはなかったそうだ。
もったいないなぁ。

それで 二人で 電車で小一時間ほどの巨大な中国人街へ行くことに。
お目当ては 「なつめ」と「竜眼(ロンガン)」。
竜眼はタマタマ私がネット上で探り当てた 幻の(大げさだな)果物。
これは夏に旬だそうで とてもおいしいもののようだが
今は乾燥したものしか手に入らない。冷え性や貧血に効果があるとか。

今まで 何度かその街には行ったことがあったけど
漢方のものを探したことがなかったので
新たな発見ばかり。
しかも その友人がバリバリ中国語で話して
色々聞いてくれたので大助かり。
(あ、彼女は旦那さんが日本人なので日本語を流暢に話せる。)
中華街って 英語も通じないことが多いから
何となく漢方薬局に行っても 困ったことだろう。

ナツメも日本語でその存在は知っていたけど
初めてお目にかかりました。しかも乾燥ナツメ。
これを煮出してお茶にして飲むのだ。
ドライ竜眼もお手ごろ価格で見つけ、ふたりでワクワクしながら
帰途についたのであった。。。。

その晩、初めてつくったナツメ茶。
ほんのり甘くておいしいぃぃ。
冷え性じゃなくても 嗜好品としていける感じ。
でも その友人いわく この甘さが嫌いな人、多いんだそうだ。
私は気に入ったので しばらく 飲み続けてみることに。

そうそう なつめやクコの実、ロンガン、イチジクなんかを
ワインに漬けて薬膳ワインなるものも作れるそうだ。
漢方ワイン、近いうちに試してみるつもり。

ps 日本人バッシングはNYでもあると聞いていたから
   実はちょっとドキドキの中華街だった。
   何だかきな臭い話が多くて 嫌になる。






2012年9月14日金曜日

すっかり秋に。

まるで気を失っていたかのように夏が過ぎてしまった。
今日はもう9月13日。ああ。

この夏も 毎度のごとく
東京滞在(まいにちお祭り騒ぎ)→岩手滞在(じっと過ごす)→
富士宮滞在(実家なので究極のゴロゴロ)を終えて
日本里帰りの夏は終わったのでした。

7月のNYは異常なくらい暑かったのだけど 
8月の日本も半端じゃなく暑かった、、
東京にいた数日は冗談みたいに過ごしやすい日が数日あったけど
岩手に帰ってびっくり。あり得ない暑さで 昼間からクーラーかけたほど。
嫁になって10年経つけど こんな夏は初めてだ。義父母もびっくりしていた。
当然 誰もがバテバテ。

静岡・富士宮は暑くても どういうわけか風通しのいい家なので
クーラーがいらない。というか 母屋には無いのだ、もともと。
夜はぐんと冷えてくるし、、、。それよりも 今回の帰省で驚いたのが
明け方(4時とか)に 裏の神社の森に集っている鳥たちの騒ぎ声。
 
 ギャーギャー ギャギャギャっ
 ピー!!ピーピピっ キー!!
 グェー ゲ、ゲ、ゲ ゲキョゲキョ キョキョキョッ キョーッッ!!!!

思わず目が覚める。何だ何だ、何なんだ??
すると数十分後には静寂が訪れる。

母に聞いたら 何だか知らないけど今年の夏の明け方は
こんな風に鳥が騒ぐんだよね-と言っていた。
例年はこんなにうるさくないのだけれど、おそらく
近所の家の人々はみんな目を覚ましていて絶対に寝不足だったはず。

、、、、とまぁ 久々の更新にどうでもいいことを書いている。
さて そろそろ活動開始だな。
NYは涼しくなって 食欲全開です。

ps 今年も会えなかった方々、訪れることのできなかった所が 続出です。
  それが心残り。



実家から40分で新五合目に行ける。
今年は思いつきで母が運転し、いきなり出かけていってみた。
蛇行しまくる道をひたすら登ると 突然目の前に
富士山山頂がどーんと見えてくる。
感激でしたね。
ここに来たのは20年ぶり。
大学時代にあの山頂で泊り込みのバイトをしてました、私。



2012年7月18日水曜日

忙しすぎたから、、、、



ひいい。
気付けば7月も半ば。
何をしていたかというと
、、、、、、、思い出せない。。。。

6月下旬に仙一の終業後 休むまもなくサッカーのデー・キャンプが
始まり、彼は9時から3時まである大学のサッカー部主催のプログラムに
みっちり通っている。
しかも 仙一所属のチームの練習がロングアイランドで
月金は夕方1時間半、土曜は午後、日曜の午前中は
(助っ人で)ブルックリンで試合。

つまり 月金はダブルでサッカー、土日もサッカー。
もちろん 大学のキャンプの他は全て親が同伴なので
しばらくの間うちには週末の休みがなかった。
一昨日の日曜は 試合に来るように言われたけど
「もう、無理!私が限界です!!」と
断って休んだのであった。

まぁ こんな日々、どうかしているけど 仙一が
かなり楽しんでいるので良しとする。

先月、この所属チームのほうで大きなトラブルがあって
そのことを書こう書こうと思っていたのだけど
時間が経ってしまって意欲がうせてしまった。
でも いつか書こう。人種問題絡みだった。

んで 今年も日本に帰省します。
その準備もあって ワーワーしている今日この頃。
それに加えて 年に一回の健康診断を入れたら
何だかひっかかることがあって 再検査が幾つか。
うーん タイミングが悪かったなぁ。
来年は 早めに済ましたいものだ。

あ、FOR THE HAPPY FEW 17号完成しました。
今号は日本でも配ります。へへ。




2012年6月7日木曜日

ギター歴3年。

6月に入ると仙一の学校はいきなり
やる気なくなるモードに入る。
半ドンの日、休みの日、行事の日。
そんな感じで27日の最終日まで
何となく落ち着かない日々。

で、明日も何故か学校が休み。

また、そうこうしているうちに
放課後のギタークラスも今日で終了。
これで仙一は丸3年ギターを習ったことになる。

果たして上達しているのか?
好きでやっているのか?
と 疑問に思っていたのだけど
数週間前に ギターを大きいサイズに変えてやったら
(今度はギブソン!!安物だけど、、、。)
俄然やる気を出し始め、暇を見つけては練習をするようになった。
そして 今では「Hey, Jude」をスムーズに弾くようにまで!

ってことで 古い小さいギターを私が譲ってもらい(情けない)
とうとう おばさんギタリスト目指して 練習中。
これがまた 脳の活性化にいいようで(それも情けない)
レベルは仙一より少し下ほどにまで 追いついている。
でもねぇ コードが覚えられない。
ピアノを習っていたので 勘で音を探して弾いているんだけど
仙一の冷ややかな視線が痛い。
「ねぇ、譜面みないでよくできるね、、、。」
「勘だよ、勘!!!」


昨日 ツェッペリンのビデオを見せたら
仙ちゃん、のけぞってました。
次は何を見せようか。

PS フリーペーパー FOR THE HAPPY FEW!16号できました。
  センダック特集です。欲しい方は連絡ください。



2012年5月23日水曜日

悩ましき栄養問題

サッカーを始めて ますます「腹減り」度が高くなってきた仙一。
学校の帰りには 「腹減ったぁー!!」の連発。
家に帰れば 食事並みのものをぺろりと食べる。

体が小さい割りに よく食べる方なのだけど
ここ数ヶ月 身長が全然伸びないので まずい、と思って
いろいろ調べてみたら 驚愕の事実が!!!

っていうか ふつう知っているのか、お母さんは?
小学生(運動する男児)の一日の摂取カロリーは
2000-2500キロカロリーが必要だって。
大人なみ、それ以上のカロリーではないか!!!!

朝ごはんもちゃんと食べるし、お弁当もっていっているし
おやつも食事並みのものを食べるのだけど
計算すると2000キロにすら遠い。
あれこれ 余計なものを食べたとしても
なかなか到達できないのだ、、、。

ということは これまで 必要カロリーを満たしていないのに
サッカーでさらにカロリーを消費していた、ので、
成長するための要素が残ってなかった、、ということ、、かも、、、。
加えて 花粉症の酷い時期は乳製品も控えめの
素食にしていたから ますます状況は厳しかったのだろう。
    、、、、、涙。

すまん、仙一。
母さんは慌てて栄養について研究を始めました。
でも どうやって2000キロ以上にするか、、、悩ましい。

2012年5月19日土曜日

NBAバスケ その②


これがジェレミー・リン。















結局 この間の試合でニックスは敗退。
近所のニックスファン、子供達はがっくし。
リンも結局出場できず、盛り上がらないまま終わってしまった。
でも仕方がない。
最後の試合前には ニックス選手の怪我人が続出で
どう考えても マイアミに勝てるとは思えなかった。
それでも もう1勝できたら 面白かったんだけど。

◎  ◎  ◎

さて それでもプレーオフは続いている。

驚いたことにリーグで1位だったシカゴ・ブルズが
最下位の76SERS(セブンティ・シクサーズ)に負けて
一回戦敗退。
仙一の一番好きなブルズが敗退、、
これにも仙ちゃんがっくし。


こうなると 毎日新聞とにらめっこで 各チームの成績チェック。
毎朝 アパートのロビーに届けられる朝刊を仙一が取りに行き、
おおまかにスポーツ欄に目を通し 父ちゃんにNBAニュースを報告。
どこチームの誰が怪我をした、出場停止になった、など
朝からワーワー騒いでいる。

、、、、、今日はある選手のことを書こうと思っていたのだけれど
時間切れ。また次回ということで、、、、。











2012年5月10日木曜日

NBA・熱いバスケの世界 その①

NYに来て5年も過ぎたというのに
いまいち わかってなかった
NBA(ナショナル バスケット アソシエーション)というバスケの世界。
2年前にはネッツVSレイカーズの試合を見に行ったけど
どうにも ピンとこなかった。

といっても 父ちゃんと仙一は既に数年前から
NBAの試合をテレビや新聞を見ては 二人でワイワイ語り合っていたので
彼らがわたしのNBAの先生である。
選手についても随分教えてもらった。

★ ★

今年は NYのチーム、ニックスがプレーオフに進出できたので
(ここまでが ハラハラさせられっぱなしだった。)
地元民としてはこのまま勝ち進んでもらいたい。

でもね、、、プレーオフは1位と8位、2位と7位(ニックスは7位)、
といったように 強いチームが優位にたつようになっている。
この組み合わせで同じチームと7戦し、4勝した方が勝ち抜ける。

ニックスは2位の強豪、マイアミ・ヒートと対戦中で既に1勝3敗。
今夜(米9日の夜)勝たなかったら トーナメントから脱落するのだ。

ここ数ヶ月、ずうっと負けそうで勝ったり、勝てそうで負けたり、
人気選手、実力選手の怪我、シーズン途中のいきなりの監督交代、
いろいろと話題の尽きないニックスを我が家は家族中で応援してきた。

特に日本ではあまり話題になってなかったと思うけど
ジェレミー・リンという若い選手の快進撃。
彼は台湾系アメリカ人で 彼の2月からの大活躍によって
ニックスは低迷していた成績を一気に挽回できたのだ。

たまたま2月の上旬、うちに友人親子が来ていたので
みんなでニックスの試合を観にいった。
その日、チームは負けこんでいて 意気消沈モードだったのだけど
後半にリンが出てきて にわかに活気付き、結局試合は勝って終わった。

そのあと数試合、リンが出場し続け、チームは連勝。
リンはスーパーヒーローとして
メディアで取り上げられ続け、NY中大騒ぎであった。

なぜこんなに熱狂的なブームなったのか。

アメリカではまだまだまだまだアジア系の人間は格が低い。
言い方が悪いが なんというか「下にみられる」ことが多い。
差別されるわけではないけど 時々NYに住んでいて実感することである。

とはいえ、 日本人、日本文化に対しては高感度が異常に高い。
簡単に言うと 日本人というだけで扱いが変わったり
相手の態度が変わったりする。びっくりするくらい。

・・・・・・・・・・

そこで リンの登場。
NBAで活躍したアジア系アメリカ人はいままでいなかったそうだ。
(日本人の選手はいたけど アメリカ人じゃない。)

というか どこのチームの選手も大方黒人。ちらほら白人。
しかも みんな半端じゃなくデカイ。
体もでかければ 態度もでかいし みんなタトゥをバリバリ入れている。
(それが面白いんだけど、、。)
そして 経歴もたいてい悪い。前科もあるし素行も悪かったりする。
(だから そういうところが面白いんだけど。)

リンはサンフランシスコで台湾人の両親のもとで生まれ育ち、
とにかくバスケが好きですくすくと育ったそうだ。
バスケも成績も良かったので 大学は「ハーバード」へ!!
そして 彼の試合、インタビューをみてもわかるように
実にまじめでストイックで、ガッツがあるし、
何というか、もう、優等生なのである。
もちろん タトゥは入れてません。

そりゃあ、もう、アジア系の子供達に
本当の意味で夢を与えてくれた。
仙一も例外ではない。
リンがいれば 奇跡が起こる、そんな感じだった。

だった、、、、というのは 彼は
4月の半ばに怪我をして緊急手術を受けざるを得ず、戦線離脱。
プレーオフ5戦目も(今日のニュースでは)出場はできないとのこと。

残念なことに 先週からニックスの選手は軒並み怪我にやられ、
数少ない使える選手で頑張るしかなくなってしまった。
さて 今夜、どうなるか、、、、。
しかも 試合会場はアウェイのマイアミ。

うーん、。

とにかくNBAおもろ話、次回に続く。




2012年5月9日水曜日

センダックのいたところ

絵本の方のブログに書いたので
あれなんだけど、

センダックが亡くなりました。

がっくりきてます。

と、同時に ぼけっとしていられないことに気付きました。

ぼんやり毎日、脱出の時期ですな。



それより NBAのことを紹介したい!

たぶん 明日、書けることでしょう。


本日は センダックを偲ぶのです。


2012年5月2日水曜日

花粉症の続き。

あ、そうか 日本はGWなのだな。

今日はバスケのプレーオフのことを書こうと思っていたけど変更。
とにかく来年の自分に向けて
今年の仙一の花粉症の経過を書いておく。
のどもと過ぎると何でも忘れてしまう私は
去年観てもらった医者に 去年の仙一の状態を
いろいろ聞かれ、記憶が遠くて曖昧にしか
答えられなかったのだ。
(カルテを見ながら先生苦笑。)

★ ★ ★

その後
仙一を結局 専門医に連れて行った。(4月23日)
その日の診断は 鼻づまりは酷いけど
喘息の心配はない、とのことで数種の薬が処方された。
診療所で鼻の洗浄をしてもらい、鼻づまりが解消したら
仙一の様子がみるみる元気になったのにはびっくり。
翌日も鼻づまりにはならず、数日は元気に過ごしていた。

そんな感じで 取り合えず 何とか落ち着きそうだったのだけど
しばらくしたら乾いた咳が止まらず、夜になると咳き込んで
痰が絡んだように ゲボゲボと苦しそうな状態になり、
明らかに 様子がおかしいのでもう一度 医者を訪ねた。
(というか スグに連れてきなさい、となった。)

危ぶまれていた「喘息」の気配があらわれているので
急遽ステロイド剤も処方され、炎症を抑えるためのシロップも出された。

この時点で 点鼻薬2種、抗ヒスタミン剤(朝晩)、シロップ(一日一回)、
インヘーラー(吸入薬)と 大量の薬を飲むことに。

とはいえ 気管に炎症があるせいで喘息も起こるということで
この処置をとらなかったら 咳から酷い発作を起こしていたかもしれない。
今年は サッカーの練習もあるので 早めに悪化を防ぎ、
回復を促したほうがいい、と、このあたりで考えを改めた。
西洋医学に頼ることにしたのだ。

、、、っていうか 鼻水、咳で眠れない日々が続いて
本人も家族もヘトヘトだったし、、、。


お蔭さまで 咳は徐々に治まり、発作も起きず、
まだ若干の咳はあるものの 元気に練習にも試合にも参加できるようになった。
ようやく 一安心だ。

毎年 このシーズンは同じような経過を辿るのだけど
年々その症状がひどくなっている気がする。
ただ、今年の経験から幾つか対処の仕方が見えてきたので
これは来年に生かさなくちゃ。

*鼻うがいはかなり効果がある。
(サイナス・リンス、NEILMEDという会社の
 洗浄器具と調整されたパウダー(塩)で鼻を洗浄できることを発見。)

*仙一の場合はとにかく 鼻づまりから悪化するので
 来年は鼻づまりに徹底的に気をつける。

*やっぱり ツボの指圧。肩甲骨の周辺もよくほぐしておくこと。
 (肩ぐるぐる回し。)

とにかく 喘息になってしまっていないことに感謝。
来年も気をつけねば。

関係ないけど 専門医の女医さんはロシア系の美人である。
ロシア系の人って きつい人が多いのだけど
彼女はかなり親切に観てくれるし、説明も良くしてくれる。
しかも 心配して 週末の緊急時の連絡先や対処のしかたも
丁寧に教えてくれるし、数日するとオフィスの人が
その後どう?と電話をかけてきてくれる。
アメリカでこんな丁寧な医者、なかなかいないのではないか、と
変なところで感心してしまうのだけど
仙一の鼻の穴の状態をみて
「アヤヤヤヤァ!!!」
(あら、あら、あら、の意)と叫んだのには笑ってしまった。
ラテン系のオバちゃんとかがよく この言い方をするのだけど
まさか こんな品のいい、美人の先生がそんな言葉を使うなんて。
帰り道、仙一と大笑いしたのであった。









2012年4月21日土曜日

今年の春も。

   THE BANDの一員であった レヴォン・ヘルムが昨日亡くなった。

  半年に一回くらいの割合で ザ・バンドブームがやってきては去る、の
  繰り返しをここ5年ほど繰り返していて(つまり渡米してからずっと、だ。)
  ちょうど先週くらいから半年振りの波が来ていたところだった。

  先月は車で4-50分の街で彼がライブをやる、という告知を目にしたので
  行きたいなぁ、でも 50ドルは高いなぁ、、、と 
  ぼんやり思っていたりしていたのだ。

  とにかく 残念で悲しい。

  今日はラジオから彼の音楽がたくさん聞こえてきている。
  
★ ★ ★

さてさて 今年の春も花粉で苦しむ仙一。
例年と比べて 春が早くやってきたので
花粉シーズンは長引くと言われている。
実際は2月の下旬頃から軽く咳が出始めた。
今年は体質改善と称して 起きぬけに体ぶらぶら体操、
ストレッチ、食品の見直し、お茶を変える、など
早めに対策を練ったのだ。

3月の中旬から鼻水が出だしたので
日本から取り寄せた「小青竜湯」という
子供でも飲める配合の漢方を
飲ませたら 効果があったのでシメシメ、と思っていた。
今年は漢方で花粉症撃退の予感がしていた、、、のだが、、、。

4月6日から9日間の春休みが始まって
ニュージャージーに引っ越した友人宅を訪ねた夜から 様子が一変。
目は真っ赤になり、鼻が詰まり、あきらかに容態が悪化してしまった。
これは NJの樹木に対する反応なのか それとも
うちの近所の別の木が花粉を吐き出し始めたからなのか
よくわからないけれど この日を堺に 夜は鼻づまりで
眠れなくなってしまった。

ちょうど 人生の進路が決まると言うNY州一斉テストが
始まったばかりで(3日間連続が2週にわたって行われる。)
どう考えても まずい。集中力なんてもともと無い仙一が
鼻グズグズでくしゃみ連発でテストに取り組めるわけがない。

仕方が無く 医者へ。
(去年薬疹で苦しんだので なるべく医者にかかりたくなかったのだ。)

ちょっ ちょっ と診察した医師は
「こりゃ 駄目だわ。専門医(アレジー専門)にいって。」
そう言って 取り合えず 一時しのぎの点媚薬を処方された。

そして アレジーの医者に予約の電話を入れると
来週まで予約が入れられない!!!!!

あーあ。

そうこうしているうちに 最初の3日間のテストは終わってしまい、
この間、毎晩鼻づまりとくしゃみと咳で 睡眠不足のまま
今日を迎えている。
どうにもならなかったので
いわゆる民間療法を手当たり次第試してみた。

ごぼう茶。
(タマタマ大量のごぼうを購入したばかりだったので。)
鼻の穴にワセリン。
緑茶でうがい。
牛乳を当面飲まない。
塩温水で鼻うがい。
アロマ テラピー(これは日常的にやっている。)
ベポラッブ塗りまくり。

これらが功を奏したのかはさっぱり分からない。

でも はっきりと効果があったのは咳のひどいときに 
切った玉ねぎを枕元において寝る。

これは 何回か効いた。びっくりするくらい。

でも 加湿器(ヴィックスの液体入り)と玉ねぎとベポラッブの匂いで
寝室はすごい匂いになったので 普通の人には厳しいかも。
とはいえ これ以上薬を与えるのは無理だし危険なので
これで 少しは眠れて体力が回復するのなら匂いなんて「へ」でもない。

、、、、、、、偉大なる玉ねぎ。

週末は大雨の予報なので少しは症状が軽くなることを祈る。

2012年4月6日金曜日

表紙の人



仙一は昨年の11月からサッカーを始めた。
最初はインドアの小さい子向けの教室だったけど
やはり物足りないので チームとして活動している
サッカー団に入った。

思ったよりもできるので コーチからお呼びがかかり
トラべルチーム(マジモード組)に入ることになった。
最初はついていけるか不安だったのだけど
いつの間にか身につけたタフさでチームメイトとも
仲良くなった。一安心である。

しかし 週二回、夜の練習(2時間)、週末は試合。

もうすぐ州一斉テストがあるので
学校、担任はそれに向けて最後の追い込みをかけ、
周囲は勉強一色。
宿題もてんこ盛り。
昨日はギターの教室もあったので
当然宿題は終わらないままサッカーへ。

今朝はいつもより一時間早起きをして
朝からエッセーの宿題を小一時間。
本人はサッカーのためなら何でも頑張るので
文句なくこなしているけど
お母さんは ヘトヘトです。

日本みたいに行っといでー
おかえりー、ってできないので
フィールドに2時間。


こうなったら 
ダルビッシュぐらいになってもらわなくちゃ
やりきれん。

本人もサッカーで生きていくと 本気で言ってますがね、
まぁ、好きにしてください。
やりたいだけやりなさい。

ちなみに母子して好きな選手は岡ちゃん(岡崎慎二)。
ドイツで頑張ってます。

2012年3月31日土曜日

混乱中

何だか知らないけれど ブログのスタイルが変わって
もとにもどらないので アレコレいじってますが
、、、、、どうしよう、、、、


来週いじってみようか。
よい週末を。










写真はUPできるみたい。
えと、絵本のブログの方は更新しました、写真が同じです。
わはは。

2012年3月17日土曜日

インドからの強風。

去年に続いて 仙一の学校で開かれている
親向けのワークショップ、「食事と栄養」に出席中。
去年と違って 今年のは「調理実習」が多いので
食べる楽しみもおまけでついてくる。

去年は けっこうまじめに「栄養」を学んだのだけど
ここ何回かで どういうわけか内容が各国の料理紹介に
なってきてしまった。

そして昨日は「インド料理」。

私の生活区は  一位;ロシア人
        二位;中国系(マレーシア等、含む)
        三位;インド人(宗派はいろいろ。)

という割合の人種構成だ。
いわゆるアメリカ人の白人って殆どいないし
どういうわけか 黒人も少ない。
ラティーノ(南米系)も 上位三国ほどはいない。

そして 昨日は「インド料理」。
彼らのグループが うちの国のを紹介したい!!と
熱望し、それが叶ったのだ。
講師は インド出身のママ数人。

もうすごいんですよ、インドの人って。
いや、いい人たちです。
知り合いになれば、基本的に。

何がすごいかって、、、、、その押しの強さ。
絶対に 自分の意見、主張を曲げない。
そして 大体において 自分の意見は正しい、と言って譲らない。

例えば 昨日の実習中、シアントロ(パクチー)を刻んで鍋に入れるのを
「あたし、まな板なんて使わないの。指とナイフでちゃ、ちゃ、ちゃ、よ。
(親指と人差し指でうまく刻みつつ、鍋にシアントロを投入。)」
「えぇ?それ、難しいよ、技術がないと。」(私)
「できるのよ、誰でも。まな板なんてね、駄目駄目!!
これはみんな出来て然るべき! こうしなくちゃ 時間の無駄よ。」
「そ、そうっすか、、、。」(私)
ええ。反論の余地もございません。

しつこく言うけど 仲良くなれば、いい人だと思う。そう思える。
ただ 日本人の感覚からすると
一体、どうやれば そんなに 自信たっぷりに意見を持てるのか、
相手の話なんて聞いてるようで聞いてない。
これは かなりの訓練がいるぞ、私には。
(ま、仙一はできてるけどねっ。←嫌味。)

、、、、ってここまで書いて 気付いたのだけれど
上位3つの国の人々は
おうおうにして 同じような感じ。
強いのです。なんだか知らないけど。

言いよどんだり、言い回しを考えたりする日本人からは
真似のできない(うーん、敢えてそうはしない、のだけど。)
力強さで生きている。

、、、、、まぁ、 でも 、昨日教わったレシピ、
夕飯で試してみたけど 上出来だった。
まさに 家で本格インド料理ができたわけです。
(家中 スパイスの匂いだらけですがね、、、、。)

何だかんだ言って このワーク・ショップは面白い。

で、次回は 「SUSHI]。(巻き寿司・太巻き)
いつの間にか勝手に決められていて
このワークショップに参加している日本人は私だけなので
どうなることやら。
(しょうがないから 知人の日本人ママを引きずり込む予定。)

納豆巻きでも作ってやろうか。
みんな、気絶するかもね。

2012年3月13日火曜日

虫の知らせ。

去年の震災から一年。
NYでも在米日本人によるいろいろな催しがあった。
私が参加したものはないけれど
ニュースや新聞で目にしては ああ、あれから一年かと
日々思い起こすことが多かった。

ちょうど去年の今頃は自分の体調が悪化し、
何度も病院を訪れ、不安ななか、手術が決まり、
極度の貧血のため 毎日鉄剤の点滴を受けに
マンハッタンまで通っていた頃だ。
震災のニュースを病院でも流していて
スタッフのみんなに声を掛けられ、慰められたりもした。
家に帰れば連絡のつかない義父母の安否を
ひたすらネットで探す、そんな日々だった。

さて その辺のことは去年書いているからいいとして
あのころあった 書かなかったことがある。
私はあまり神秘的なことを
本格的に信じているわけではない。
でも このふたつはあの震災を前に何かを
感じていたような気がする。

まず 父ちゃん。
彼の性格、経歴からして 故郷の同窓会なんかに
出るような人ではない。
それなのに2011年の正月に
「年祝い」といって同級生が集まり、
厄落としを地域の神社で受け、そのあとちょっとしたパーティー
をする行事があった。その案内をもらった時に
「なーんだか 今回は行っておきたいんだよね。」なんて言う。
夏の帰省だけでお金がないのに 正月も日本に帰るのか?!
無理無理無理!!!(←私。)
「昔の同級生が今どうしているか、気になるんだよね。」
、、、、長い付き合いだけど 今までこんなことを言う人ではなかった。
田舎に帰って暮らす、という選択はいままで無かったし。
「一人ででも 帰ろうかなぁ。」(←マジですか?)

もちろん それは現実的に無理だったので
彼はあきらめたのだけど 里心が出るなんて珍しいので
私には不思議な気持ちだけが残ったのだった。

☆ 

それから 仙一。
去年の2月ー3月の日記にもあるように
異常なまでの 日本に帰りたいモードだった仙一。
今でもよく覚えているが 震災数日前、夕方学校から帰ると
「日本に帰りたい。」とポツリ言う。
「うーん 夏に帰るから、それまでガンバレ。」と私。
「なんだか 心配なんだよ、皆のことが。」
そこから 延々と日本に帰りたいと主張し続け、
いますぐは無理、という私に泣いて訴え始めた。
「じゃぁ アメリカの友達ともお別れだよ!いいの!」というと
それは嫌だ!!!!!!!!ぁぁぁぁああああ。
アメリカにも居たいぃぃぃ、、、でも、、、、
うわぁぁぁ、、、ああああ、 !!!
何を言っても聞いてくれない。

最初は 学校で嫌なことがあるのかと思ったのだけど
思い当たることが無い。あれこれ、さり気なく聞いたけど
学校が嫌なわけでは 全く無い。
でも 東京の友達に会いたい、今すぐ会いたい。
日本に帰りたい、今すぐ帰りたい。

最近、忘却力がかなりついた私がこのことを良く覚えているのは
このときほど 仙一がわがままを言って泣いたことが無かったからだ。
その晩、彼は泣いて泣いて 怒ったように寝てしまった。
私は(そうは見せなかったけど)かなり動揺した。
そんなに言うのなら 近い将来、帰国しなくちゃかな、、と。

そして 震災が起こり、私達夫婦は半狂乱で義父母を
心配していたのだけど どういう訳か仙一はすっきりしていた。
不思議に思って あんた、おじいちゃんたちのこと心配じゃないの、と
聞くと 「うん、大丈夫だよ。心配しなくて大丈夫だよ。」と言う。
あまりに取り乱している大人を見せたくなかったので
友人の家で預かってもらったりしていたのだが
日本の惨状を知りながらも あまり 動揺している感じではなかった。

だいぶ経ってから このことを思い出し、
これは虫の知らせだったのではないか、という思いに至った。
その後、仙一の帰りたいモードはぴたりと止み、
グジグジ言うことは全く無くなった。

実は数日前、このことを仙一に聞いてみた。
「そうなんだよ、あの時はね、なんだか知らないけど
胸がドキドキしてさ、 泣きたい気持ちが抑えられなかったんだよ。
よく覚えているよ。たぶんSIX SENSE(第六感)だったんじゃない?」
ああ、そうだったね。
泣きながら胸をさすって ここが痛いんだよって言ってたんだった、、、、。

あれだけの エネルギーが地球で起きたのだから
何らかの影響はあったに違いない。
いまでは そう思っている。

2012年3月3日土曜日

I won't give up.

だいたいやねー、、、、、
(竹村ケンイチ)


冬休みっていって10日も休むことないじゃん。

休みだからって あんなに宿題出すことないじゃん。

そりゃ4月に州一斉テストあるけどよ、

それで一生が決まるわけでもないじゃん。

ないはずじゃん。

ないはずだけど どこの親も大騒ぎ。

ってことは あるはずじゃん?!

いいの、、、別に、、、うちは もともとアウトローだし。

ラフ、で、タフ、で。

ということを 本日の放課後、校庭にて確信。


(それより 仙一の体質改善だ!!!!)

2012年2月18日土曜日

そして10年。

ああ、とうとう仙一も10歳になってしまった。
先週、今週と催しが続いて
準備やら片付けやらで 忙しかった。

狙ったわけではないけど
仙一はバレンタイン・デーが誕生日。
いつかも書いたけど ここアメリカでは
男性が女性に贈り物をしたり花をプレゼントしたり、
日本とは随分ニュアンスの違う日なのだ。

いずれにせよ アメリカ人は何かとお祝い
(セレブレート)をするのが好きなので
学校では季節ごと、イベント毎に
ミニ・パーティがクラスで開かれる。
その日には持ち寄りでお菓子やら
ジュースやらが持ち込まれ、
みんなでワイワイ食べるのである。

例えば 仙一のクラスは毎月末に
その月の誕生日の人をまとめてお祝する決まり。
このときは 誕生日の子たちがケーキや
ジュースを持ってきて配布。
(家の懐具合によって豪華だったり地味だったり。)

その他 春にはイースター(復活祭)、秋にはハロウィーン、
サンクス・ギビング(感謝祭)、クリスマス、年明けて(NYだけか?)
チャイニーズ・ニューイヤー、そしてバレンタイン。
何だかんだで 毎月パーティ。
そのたびに 甘いクッキーやらドーナッツやら
着色料ギロギロのキャンディが教室で飛び交う。
日本の学校じゃ 考えられません!!!!

それで バレンタインには適当にお菓子を持たせて
明日金曜に 2月生まれの子の誕生会なので
今日は必死にクッキーを焼く準備。
(30名分。)

★★★
つづき、
翌日に書いてます。

ここまで書いて 中断して仙一のピック・アップに。
雨なので まっすぐ家に戻り、
彼が宿題を済ませている間に 用意しておいた生地の
型を抜き、ステンシルで模様をつけ、、、、、
模様をつけて、、、、、、、、
その模様が、、、、、、、

大失敗。

あーあ。

生地は30人分しか用意しておらず、
そこからまた小麦粉、バターなどこねる気にもなれず、
急遽 雨のなか、近所のスーパーへ行き、
市販のクッキーを購入。

私の時間を返せ!!!
一日パーティの準備に追われて
とどめがこれですか?!!!!

ええ、 私の失敗です。
やっぱり クッキーは苦手だ。
一枚一枚 型を抜くなんて我慢ならない。
ケーキの方が上手くいくし、
パンなら失敗しないもん。

はぁぁ
残ったのは 失敗した大量のクッキー。
(いちおう 焼いた。)
味はいいのだけれどね、見てくれが問題。

週末はまたしてもお友達の誕生会に呼ばれているし、
その次の週末に仙一の友達を呼んでレストランで誕生会。

イベント続きで落ち着きません。
生活は地味が一番。

2012年2月3日金曜日

アーミッシュ村へ 続きの続きの続き。完結近し。

NYはここ数日温かい。
気味が悪いくらいに。
そして雨が多い。
2月にして春の気配。
でもきっと 大ドンデン返しがあるんだろうな。覚悟。

さて 村の見学施設で受けた説明はまだまだたくさんあるのだが
時間が経つと共に 数日前まで読み返していた本の中で知った知識と
ごちゃ混ぜになってきてしまった。うーん。
ま、いいや。

とにかく子供たちはいわゆる高等教育を受けない。
これは父ちゃんから聞いたのだけど
アーミッシュの人は若い時に外の世界に出て
暮らしてみることもできるのだそうだ。
それを経験した上で その後をアーミッシュとして生きていくのか
自分で決めることも出来るらしい。

もちろん 外の世界に魅かれ、アーミッシュの世界に戻らない人もいるという。
だけど たいてい若者は自分の生きてきた世界を選ぶそうだ。

また、彼らの掟として戒を破ったものは 破門になることもある。
そうなると 近所の助けも得られず(収穫などは近所が助け合うのが基本。)
孤立し、暮らしていけなくなるのだそうだ。
色々な面で厳しいのは コミュニティを守っていく上で必要なことなのだろう。

ガイドのオバちゃんの説明から面白いと思ったのは
彼らは日々の祈りには教会を使わないということ。
教会はコミュニティごとに存在するのだけれど
基本的に祈りは自宅にて行う。
(日曜礼拝は教会であるという。それは一日がかりだそうだ。)

また、神父に権威をつけることを避けるために
その選出も抽選で行われるらしい。
つまり、代々神父の家系ということはなく、
その仕事をやれそうな人物を数人選んで 
やり方はよくわからないけれど くじ引きのようなことをして
当たった人がその職につくのだという。
色々な面において 公平で一人の人間に力を与えすぎないように
かなり配慮がなされている。

あとは何だっけ。

衣服住、もろもろの制約についても説明を受けたけど
ここでは割愛する。

とにかく信仰にのっとって日々シンプルな生活を送る、とされる
彼らだが、このアーミッシュ・ビレッジ見学農場を後にし、
予約していたホテルの近所のファースト・フードの店で
アーミッシュの家族がなごやかに食事をしている姿を目撃。
(余談だけど こっちもびっくりしたけど
 あっちもアジア人が珍しいようで じっと見つめられてしまった。)

そして その後、そのまた近所にある ターゲットという
日本でいうイトーヨーカドーのようなデパートでウロウロしている
彼らを何人も見た。もちろん買い物に来ているのである。

え? ターゲットで買い物するの?!
ってことは ここに馬車で来ているのか???
すんごい違和感、、、、、。

しばらく考えてみたのだけど
どうも 私(たち)がアーミッシュの人々を誤解しているのでは?、と
今では思うようになった。

というのも 彼らは電気を使わず、馬車を使って昔ながらの生活を守って
日々をすごしているけれど、それは信仰に沿って行っているのであって
エコロジーのためでもないし、人として必ずしも正しい姿なのでは無いのだ。
地球のためのエコ、ではなく
教え通りにやってたら 外界からはエコとみなされるようになった。
という 皮肉な話ではないのか、、、と。
ある意味、時代の最先端なのかもしれない。

ある本で書かれていたけど
アーミッシュ自体の文化も変化してきているそうで
たとえば 有名なキルトにしても
綿の布を使う伝統から ポリエステル混が多くなり、
昔のようなくたびれて出てくる見事な風合いがなくなって来たようだ。
買い物も然り。履いている靴は規定どおり黒色のものだけど
観察したところリーボック、ナイキなんかも履いていた。
それに家の中にはプラスティックのものも多いという。
でも それは彼らにとっては普通のことなのだろう。

そう、私が勝手に作ってしまった幻想でびっくりしたり
がっかりしたりしたのである。

とはいえ、まだまだ興味は尽きない。
電気の問題にしても 農業の問題にしても
生活に対する姿勢にしても いろいろな面で
これから考え直してみるためのヒントは多い。
それから ネイティブアメリカンの文化との比較もして
もっと突っ込んで考えて見る必要がある、と考える今日この頃。


さて、次回は写真をまとめるのと 補足があれば補足をしようかなっと。

PS 30年近い付き合いの友人が娘(中学生)を連れて遊びに来ている。
  やることなすこと新鮮で、こっちも楽しませてもらっている。
  明日はどこに行こうか。

2012年1月25日水曜日

アーミッシュ村へ 続きの続き

時間がどんどん過ぎる。
アーミッシュのような生活をしていれば
この時間感覚も違うのだろうなぁ、、、、。

さて アーミッシュ村はエリアによって印象がかなり違う。
大きく分けて
 
1 観光地として栄えているところ、BIRD IN HANDというエリア。 

2 大きな幹線道路に沿ってアウトレット・モールやファースト・フード店が
乱立するエリア(現地に行くまでこのことが信じられなかった。)

3 昔は栄えていたというストラスバーグ・エリア。
ここは今でも古い町並みと小さな個人商店がポツポツある。

まずBIRD IN HANDのアーミッシュマーケットへ。
ここでは 彼らの作った農産物、手工芸品などが販売されていて
軽食を取ることもできる。
私たちはかなりのシーズンオフに訪れたので
観光客もまばら。
でも アーミッシュの男性(服装でわかる)が
おやつを食べに来ていたり、地元の人たちで
(アーミッシュは一般アメリカ人のことをイングリッシュと呼ぶ。)
ぼちぼち賑わっていた。

ここで 目撃したのは 売り子のアーミッシュのお姉さんが
携帯電話を使っている姿だった。
我が一行はその姿を見逃さなかった。

「電話、って使わないはずだよね。しかも携帯電話。」
「、、、、、、、、、、、、、。」

もしかして 客寄せのための衣装を着たアーミッシュ?

疑問を残したまま その後 村のあちこちを車でまわる。

時折 目にするのは キックスクーターに乗るアーミッシュの人々。
これも謎なのだけど 自転車は使わないようだ。
あくまでも 自分の足で蹴って先に進まねばならない。
ある坂道で 見かけた女性もキックスクーターを駆使していた。
「いやぁ、子供はいいよね、これでも。」、と
追い抜いてから振り返って 仙一が大声をあげた。

「あの人、おばあさんだよっ!!!」

★ ★ ★

翌日 色々な謎を晴らすべく
THE AMISH VILLAGEという彼らの家とか学校とかを
見学できる施設に立ち寄った。

ここでわかったこと。
(ガイドのオバちゃんによる解説より。)

アーミッシュは

電気を使わない。
その代わりに台所ではPLガスを使う。
冷蔵庫もガスで冷やす冷蔵庫を使う。
もちろん エアコンなどは使わない。

車の所有は禁じられている。
でも緊急の時には 車にも乗るし病院にも行く。
その際彼らは保険には入ってないので現金で払う。
かかった費用はコミュニティで貯めたなかから支払われる。
(アメリカの医療費は保険に加入していないと
 とんでもない金額になるのでこうでもしないと大変だ。)

電話も一応緊急用で各家にはあるが
基本的に使わない。携帯は「仕事」では使うことがある。
(そうだったのか!!!本当か???)

ラジオも聞かない。もちろんテレビも見ない。
(これは家の中で、ということらしい。)

楽器は演奏しない。
家の壁に飾りをしていいのは 時計とカレンダーのみ。
ちなみに人形に顔を描いてもいけない。
のっぺらぼうのみ。
偶像崇拝を禁じるためだそうだ。

家の窓の桟はグリーンか茶色か白でなくてはならない。
つまりこの周辺の家の窓を見れば 住人がアーミッシュなのか
イングリッシュなのか判別できる。(ほぉぉーーー。)

子供はワンルーム・スクールというアーミッシュの子供のみの
学校に行き、8年生で学校を終える。その後は手伝い等をして
一人前になる。上の学校に進むことは(基本として)できない。


しまった。今日はここで時間切れ。
続きの続きの続きは また近日。
以下 写真です。



ガイドのおばちゃんがケバくて怖かった。

台所。ランプもガス。

YES!!



2012年1月18日水曜日

Dreams to rember. キング牧師の日に。

ランカスターの話は続けるけれど
その前に 印象的な休日について。

この月曜は キング牧師の誕生日休日で
仙一は土日月と三連休。

今年のこの週の宿題は
「キング牧師の業績3つをエッセイにまとめること。」

既に先週授業で資料のビデオを見たりして
メモはとってあるあるし 
毎年 学校でキング牧師のことを学ぶので
基礎知識はあるのだけれど
彼が「ベトナム戦争」反対の立場をとったこと、の
意味がよくわからないらしく、私に聞いてきた。

私だってそんなのよくわかっていない。
そこで 慌てて調べてから 噛み砕いて話すのだけど
要領を得ない。
人種差別と経済と時代と戦争の話を
わかりやすく、なんて無理、ってことで
ベトナム戦争のことはおいておいても
他にやり遂げた大きなことが3つあるはずだよ、
それを書きなよ、、、、と
ひとまず 宿題を終わらせる方向に話を向けたのだった。

宿題が終わってから
そういえば キング牧師の演説を見たことがないので
(本では読んで知っているけど。)
YOUTUBEで二人で観てみた。
ワシントン・デモの時の有名な17分の演説。

ものすごい数の群集と力強い演説に仙一は絶句。

人はこれだけのパワーを持って 世の中を変えられた。

時代なのか、それとも国民性なのか。

日本ではどうなのだろうか。

2012年1月12日木曜日

アーミッシュ村へ 続編

さて NYCからペンシルバニアへ。
だんだんランカスターに近づくにつれ、気分は盛り上がる。
しかし、、、、なかなか農地らしきものが見えてこない。

とにかくだ。
観光局に立ち寄って パンフレットとかもらおう、と
ハイウェイ沿いのランカスター観光局へ。

車を降りると 近所は高速道路の交差するところなのに
「田舎の匂い」が鼻をつく。
おお、空気は田舎ではないか。
(あとでわかったのだけれど 畑に放置されたトウモロコシの残骸と
道行く馬の馬糞の匂いだった。)

とにかく 宿の下見も兼ねつつ アーミッシュ村へ車を走らせていると
前方に見えるのは、、、あ、あれは 馬車ではないか。
第一村人発見。

本当に車道に馬車が走っている。
もちろん 乗っているのはアーミッシュの人。
黒い服、黒い帽子。そして髭。

あっという間にすれ違う。

さすがに高速道路には馬車は走っていないが
かなり大きい幹線道路でも 車やトラックと一緒に
車道をパカパカ走っているのである。

そんな状態に慣れていないので 父ちゃんは運転にドキドキ。
ころあいを見計らって 追い越したり、信号待ちも右折も左折も
タイミングを見なくてはならない。

最初は 観光用に馬車をある程度走らせているのかと思ったけど
3日滞在しているうちに あれは本当に実生活で彼らが使っていることが判明。
アーミッシュの人は教義により車の所有と運転を禁じられているのだそうだ。
(緊急のとき、人に乗せてもらうことはあるとのこと。)

道路には当然馬糞のあとがあちこちにある。
なかなか風情があるではないか。



アーッミッシュの人は写真を撮ったり撮られることを禁じられている。
馬車はいいけど 人物は撮影禁止。
でも 写真を撮ろうとしたら 窓から手を振ってくれた。

夕方になると 大きな道路以外は照明がない。
真っ暗である。
うっかり 農道に入りこんで 暗い中、
そろそろと見知らぬ道を車で進んでいると
突然ビカビカ光る物体がやってくる。
何かと思ったら アーミッシュの馬車であった。
どの馬車も黒一色に決まっているので
夜走る時には 方向指示器などで存在感をアピールするのである。
これは 電気ではなく電池で光るものだそうだ。
ここでも電気は使わないとのこと。
フーム。

まずは馬車の存在に圧倒された初日。
その後 訪れたところどころで
アーミッシュの人々をみかけるのだが、、、。

続きは続く。
(長くなりそうだ。)

2012年1月10日火曜日

アーミッシュの村へ①

あけましておめでとうございます。
毎度のコトながら
12月は あっというまに過ぎていき、
クリスマス、年越し、気付けば
年が明けて 9日も経っている!!!

さて 今年は(去年は?)年越しを家ではなくて
旅先でしよう、ということになり、
出掛けてきました、ランカスターのアーッミッシュ村へ。

NYシティから車で4時間、ペンシルバニア州にあるその町には
アーミッシュとよばれるキリスト教徒の一派が
この現代社会においても 自分達の教義を守り、
電気、車を使わない生活をしている。

基本情報はそんな感じ。
実は若い頃彼らのことに興味があって
いろいろ調べたり本を読んだりしていたけど
それでも 謎は深まるばかり。

出発前から 疑問にまみれ
じつは 帰ってきてからも 謎は解けない、一部しか。

というわけで この旅のことは 次回に続く。



                 現地で迎えた初日の出
               今年は平和に過ごせますように。