2012年3月13日火曜日

虫の知らせ。

去年の震災から一年。
NYでも在米日本人によるいろいろな催しがあった。
私が参加したものはないけれど
ニュースや新聞で目にしては ああ、あれから一年かと
日々思い起こすことが多かった。

ちょうど去年の今頃は自分の体調が悪化し、
何度も病院を訪れ、不安ななか、手術が決まり、
極度の貧血のため 毎日鉄剤の点滴を受けに
マンハッタンまで通っていた頃だ。
震災のニュースを病院でも流していて
スタッフのみんなに声を掛けられ、慰められたりもした。
家に帰れば連絡のつかない義父母の安否を
ひたすらネットで探す、そんな日々だった。

さて その辺のことは去年書いているからいいとして
あのころあった 書かなかったことがある。
私はあまり神秘的なことを
本格的に信じているわけではない。
でも このふたつはあの震災を前に何かを
感じていたような気がする。

まず 父ちゃん。
彼の性格、経歴からして 故郷の同窓会なんかに
出るような人ではない。
それなのに2011年の正月に
「年祝い」といって同級生が集まり、
厄落としを地域の神社で受け、そのあとちょっとしたパーティー
をする行事があった。その案内をもらった時に
「なーんだか 今回は行っておきたいんだよね。」なんて言う。
夏の帰省だけでお金がないのに 正月も日本に帰るのか?!
無理無理無理!!!(←私。)
「昔の同級生が今どうしているか、気になるんだよね。」
、、、、長い付き合いだけど 今までこんなことを言う人ではなかった。
田舎に帰って暮らす、という選択はいままで無かったし。
「一人ででも 帰ろうかなぁ。」(←マジですか?)

もちろん それは現実的に無理だったので
彼はあきらめたのだけど 里心が出るなんて珍しいので
私には不思議な気持ちだけが残ったのだった。

☆ 

それから 仙一。
去年の2月ー3月の日記にもあるように
異常なまでの 日本に帰りたいモードだった仙一。
今でもよく覚えているが 震災数日前、夕方学校から帰ると
「日本に帰りたい。」とポツリ言う。
「うーん 夏に帰るから、それまでガンバレ。」と私。
「なんだか 心配なんだよ、皆のことが。」
そこから 延々と日本に帰りたいと主張し続け、
いますぐは無理、という私に泣いて訴え始めた。
「じゃぁ アメリカの友達ともお別れだよ!いいの!」というと
それは嫌だ!!!!!!!!ぁぁぁぁああああ。
アメリカにも居たいぃぃぃ、、、でも、、、、
うわぁぁぁ、、、ああああ、 !!!
何を言っても聞いてくれない。

最初は 学校で嫌なことがあるのかと思ったのだけど
思い当たることが無い。あれこれ、さり気なく聞いたけど
学校が嫌なわけでは 全く無い。
でも 東京の友達に会いたい、今すぐ会いたい。
日本に帰りたい、今すぐ帰りたい。

最近、忘却力がかなりついた私がこのことを良く覚えているのは
このときほど 仙一がわがままを言って泣いたことが無かったからだ。
その晩、彼は泣いて泣いて 怒ったように寝てしまった。
私は(そうは見せなかったけど)かなり動揺した。
そんなに言うのなら 近い将来、帰国しなくちゃかな、、と。

そして 震災が起こり、私達夫婦は半狂乱で義父母を
心配していたのだけど どういう訳か仙一はすっきりしていた。
不思議に思って あんた、おじいちゃんたちのこと心配じゃないの、と
聞くと 「うん、大丈夫だよ。心配しなくて大丈夫だよ。」と言う。
あまりに取り乱している大人を見せたくなかったので
友人の家で預かってもらったりしていたのだが
日本の惨状を知りながらも あまり 動揺している感じではなかった。

だいぶ経ってから このことを思い出し、
これは虫の知らせだったのではないか、という思いに至った。
その後、仙一の帰りたいモードはぴたりと止み、
グジグジ言うことは全く無くなった。

実は数日前、このことを仙一に聞いてみた。
「そうなんだよ、あの時はね、なんだか知らないけど
胸がドキドキしてさ、 泣きたい気持ちが抑えられなかったんだよ。
よく覚えているよ。たぶんSIX SENSE(第六感)だったんじゃない?」
ああ、そうだったね。
泣きながら胸をさすって ここが痛いんだよって言ってたんだった、、、、。

あれだけの エネルギーが地球で起きたのだから
何らかの影響はあったに違いない。
いまでは そう思っている。

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